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2023.06.03

ネイマールにヴィニシウス、原口元気…「フットリンガル」創業者が語るスター選手の知られざる素顔

今週の「SPORTS BEAT」は、ブラジルの名門サッカーチーム、サントスFC広報部や、ネイマール来日時の通訳、ガイナーレ鳥取通訳など、サッカー界でも様々な活動に携わり、今年の3月、徳間書店より出版された『東大8年生 自分時間の歩き方』の著者、タカサカモトさんをゲストにお迎えし、お話を伺っていきました。
タカサカモトさんは1985年、鳥取市生まれ。
東京大学在学中、ふとした縁でメキシコに留学され、スペイン語を習得。
その後、ネイマールのプレーに魅了され、ブラジルに渡航、自ら売り込みサントスFCのスタッフとなります。
そして、地元のJリーグチーム、ガイナーレ鳥取で通訳などを経て、プロサッカー選手のキャリアを学習面からサポートする「フットリンガル」を創業。
著書に、今年3月、徳間書店から出版された『東大8年生 自分時間の歩き方』があります。



──東大の8年生だった時に、衝撃的な出来事があったんですね?

僕が勝手に衝撃を受けただけなんですが、進路を迷っていた時に、たまたまネイマールというサッカー選手のことを知って、YouTubeで彼のプレーを見たら、僕もずっと運動不足だったんですけど、同じようにドリブルをしたくなってしまって(笑)。寮の部屋とか食堂とかでボールを蹴っていて、後輩に叱られたりしながら、翌年ブラジルに…。

──(笑)。そこから“じゃあ、ブラジルに行こう”となって、さらに、ブラジルでいろいろやっている間に、サントスFCの広報部に入ることが出来たんですね。

入れてもらいました。いきなりそんなことが出来るとは思っていなかったんですが…。普通に“日本語の先生をしようかな”とか“日本語新聞社で働こうかな”と思って行ったんですけど、あまりにもうまくいかなくて、開き直りで、“せっかくだからサントスFCに行ってみよう”と。そのまま「入れてくれよ」と言ったら、「いいよ」と(言われて入った)。

──(サントスFCが)日本へのPRを始めようとしていたという、タイミングも良かった?

ちょうど、クラブワールドカップで来日をした直後で、“日本”というキーワードが彼らの中でホットなタイミングで、日本語のサイトとかも作ってくれていたので。そのサイトも、ところどころ日本語を間違えていたので、「これは誰かが直した方がいいと思うんだけど、それは僕じゃないか」という感じの話をさせてもらって。
あと、カズ(三浦和良)さんもサントスの出身だったり、「いろんなコネクションもあるから、ぜひ一緒に何か出来ないか」ということを言ったら、それを聞いてくれる懐の深い方々がいてくださったおかげもあって、運良く、仲間に入れていただきました。

──それで、実際のネイマールと会うことができたんですね。

会えましたね。

──YouTubeを見て衝撃を受けた11か月後ぐらいですか?

そうですね。本当に、“会ってみたいな”という、人と人としての興味だったんですけれども。
ただ、ネイマールは著名な人だから、頭を使わないと会えないなと。そう思った時に、ファンとして会ったとしても、ジャーナリストとして会ったとしても、“人間と人間の出会い”というものは難しいじゃないですか。だから、チームに入って身内になってしまえば普通に会えるかな、というところも少しあって。入ったら会えたので、良かったです(笑)。

──実際に初めて会った時に“サインを渡した”というのは?

いきなりお邪魔しても、“誰だお前は?”という感じだと思ったので、何かしらこちらからも差し出せないかなと思った時に、自分が日本人であるという個性を考えたら、漢字で彼の名前をデザインしたものをプレゼントしようかなと。それで、漢字でネイマールの字を書いた色紙を渡しました。
当て字で、「寧円」。
“寧”は“平和”ということと、“円”は“完全性”という深い意味のある言葉だから、綺麗かなと思って渡したら、わりと喜んでくれて、その場でインスタに上げてくれたんです。

──その写真をネットで見ましたけれども、ネイマールが若い。

ちょっとあか抜けないというか、田舎の少年っぽい感じの残る頃でしたね。

──でもやっぱり、その頃から、ネイマールは光るものがありましたか?

運良く、スタジアムでも何試合か観させてもらったんですが、やっぱりピッチの上では別格でしたね。
線が細くて、歩いていても華奢に見えますし、腕も細いし、握手してもそんなに力強い人ではないんですけれど、やはりピッチに立つと存在感も全てが別格でしたね。
ネコ科の動物みたいな第一印象を受けたんです。猫って、歩いている時に体重を感じさせないと思うんですけど、そんな感じでしたね。しなやかな…本当にネコ科(の動物のよう)ですね。

──ネイマールさんは、ブラジルで教育施設を運営しているそうですね。

たしか、20歳ぐらいの時に、ネイマールが「やりたい」と言って、お父さんと家族みんなで(教育施設を運営することになった)。ネイマールのおじさんが運営を主にやっているんですが、家族ぐるみで、ずっと今も続けていますね。

──日本では教育に力を入れる選手がまだ多くないと思いますけど、海外の選手は教育に熱心ですよね。

特にブラジルの選手は、自分自身が大変な出自を持っている選手が多いので、やはり“自分の地元に何かを返す”ということが伝統のようになっていて、トップ選手ほど一生懸命やっています。ブラジル国内ではそのことはある程度知られていますが、ブラジルの外では知られていないことが多いですね。

──ネイマール選手だけでなく、他のブラジルの選手が来日した時にも、アテンドをされるとか。

近年では、ヴィニシウス・ジュニオールという、レアル・マドリードにいる選手ですね。このままうまくいけば、世界のトップまで行く選手なんじゃないかなと思っています。

──ヴィニシウス選手はどんな方なんですか?

素朴ですね。今だから言えることですけど、2019年に(ヴィニシウス選手一行を)アテンドした時に、最後、ちょっとした手違いで、成田(空港)に送っていかなくてはいけなかったのに、羽田(空港)に行ってしまったんです。私はアテンドで付いていたんですが、“羽田で何時のフライト”と聞いていて、(羽田空港へ)行ったら、フライトがないんですよ。出発まで2時間を切っている状態で。マネージャーは激怒していて。それで考えて、“成田まで飛ばすしかない”と思って、運転していた方に急いでもらって成田まで行くんですが、その最中、マネージャーとかが、「羽田に戻れ」と。「もう間に合わないから、羽田で他の便を探すから戻れ」と言っていて、僕もずっと通訳をしていたから声が枯れていたんですけど、「ここは日本なんだ、俺の言うことを聞け!」と怒鳴り返して(笑)。
ただずっと、その喧嘩している最中、一言も何も言わずに、1人だけ、ヴィニシウス選手だけが大人しくしていたんです。彼だけは一切怒らず、ずっと落ち着いて、静かにしてくれていて。“ありがとう”という感じでしたね。

──この番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。タカサカモトさんの心の支えになっている曲を教えて下さい。

ネイマールがブラジルでやっている学校の“テーマソング”というか、校歌がありまして。ポルトガル語で「O Amor Ta Aí」、“愛はそこにあるよ”という曲です。“君の部屋のドアをノックしているのを聞くだけだよ それを開けたら、もう愛はあるよ”という感じのことを歌っている歌です。

──いわゆる校歌、という?

みんなで歌うわけではないんですが、以前、いろんな著名なアーティストがボランティアで集まった「We Are The World」(USA for Africa, United Support of Artists for Africa)という曲がありましたが、それのブラジル版みたいなことを、ネイマールたちが発起人となってやっているんです。
毎年、彼らはチャリティもやっているんですけど、この学校自体が、ネイマールの育った地元の地域の、いわゆる経済的に大変な環境にある子たちを、無償で、毎日数千人、面倒を見ているんです。そういう学校ということもあって、そのコンセプトに合った曲をブラジル中のアーティストが集まって作った、という曲です。

──地域の夢も背負いながらプレーし続けているんだと思うと、すごいですよね。

実際、学校が出来た地域は、薬の問題だったり、いろんな非行の問題があったんですけど、学校が出来て、ピタッとそこのエリアの治安は良くなりました。
すごいのが、ブラジルって落書きが多いんですが、ネイマールの学校には誰も落書きをしないんですよね。そこはみんな敬意があるので、絶対に落書きされないんです。

──タカさんは、故郷の鳥取でJ3のガイナーレ鳥取の通訳を務めつつ、「寺子屋」を経営して教育に携わることになります。この活動の軸となっている“リベラルアーツ”とは、どういうことですか?

“リベラルアーツ”は、一般的には“教養”と訳されるんですけれど、もともとの意味は“自由になるため”、あるいは、“自由人として生きるための知的な技術”という意味の言葉になります。
もう少しシンプルに言うと、“世界を知って自分を知る”という感じに近いですかね。

──“自由”だと、それを教えるのもなかなか難しそうですが…。

なので、「世界を知る」というところから始める。言葉をきちんと…まずは、外国語と、母国語である日本語を、それぞれきちんと使える、本が読めるようになるということとか、あとは、鳥取という田舎でやっていたこともあって、いろんな大人に会ってほしいという思いから、いろんな仕事をしている大人にどんどん入ってきていただいたり、あとは、本や映画をいろいろ紹介して、“いろんな生き方、ロールモデルがあるんだよ”ということを示しながらやっていました。
もちろん、大学受験とか勉強もサポートしていましたが、受験ための勉強だけじゃなくて、視野を広げるための勉強をしようね、という感じでやっていました。

──そして、“自分時間”を生きた結果、「フットリンガル」というものを創業された。サッカーとリベラルアーツを軸としたコンサルティングサービスということですが、具体的にはどんな事業を?

具体的には、選手中心で、サッカー選手がほとんどなんですが、主に、サッカー選手で海外で活躍したい人、海外にいる人、海外を目指している選手を対象に、外国語の習得を中心に、異文化コミュニケーションとか、外国の文化にどう適応していくかとか、外国の選手とどうコミュニケーションを取っていくか、といったことのアドバイスをしたり、そういった(海外への挑戦をサポートする)ことをやっています。

──本の中にも出てきますが、李忠成選手との出会いが最初のきっかけとなった。

そうですね。ネイマール選手が来日時、通訳としてアテンドしていた時に、たまたま李忠成選手と知り合う機会がありまして。

──それで、最初のクライアントが遠藤航選手。

今思うと不思議な感じがしますけど、本当に李忠成選手には感謝ですね。彼に、急に、「東京にいるでしょう、ちょっと来てくれ」と言われて行ったら、遠藤航選手を紹介されたんです。

──選手によって、教え方とか形態は変わってくるものですか?

そうですね。選手は散らばっているのでオンラインでやるんですが、選手であれ、「寺子屋」で子どもたちを教える時であれ、人によって、学び方、学ぶ時の癖、どういうことがストレスになる・ならないとか、どういう風にやると入りやすい、などが違うので、そこを、雑談ぽく会話しながら見極めていって、その都度その都度、一番ストレスなく学べるやり方を提案して指導する、という感じですね。

──遠藤選手の授業が、エド・シーランの歌を完コピする。そして、“エンドウ・シーラン”として、ロッカールームデビューさせるって、これは最高ですね(笑)。

半分、僕の悪戯みたいなところもあったんですけど(笑)。でも、意外とうまくいったみたいで。多分、ロッカールームで実際に歌ったんでしょうね。当時の彼のチームメイトが、インスタのストーリーに彼のことをあげる時に、“エンドウ・シーラン”と書いているのを見たので。

──語学だけじゃなくて、打ち解けられるようなネタも仕込んでくれるって、素晴らしいですね。

歌とか踊りは、あると一気に絆が深まったりするので。

──さらに、原口元気選手もクライアントだとか。どんな方ですか?

原口選手は、サッカー好きな人からすると、“野犬”みたいなイメージと言いますか、とにかくやんちゃで、極端に言うと、粗暴なイメージを持っている人も多いと思うんですけど、私が接した限りでは、とにかく真面目で熱心な生徒。向上心が強くて、自分に何が必要で何が足りないのかということを常に考えていて、そのために必要だと思ったら、自分がやったことのないことでも、すぐに素直に実際にやってみる。本当に素直で気持ちの良い人というイメージですね。

──やっぱり、貪欲で向上心が強いんですね。

特に代表の選手は、2人以外にも見ていましたけれど、やっぱりこういう性格でこういう考え方だから代表まで来たのかなと感じることが多かったですね。
実際、代表に行った李選手も、「代表まで行くと、本当に人間性がしっかりしていないと残れない」と話していたので、そういう世界なのかなと思います。



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