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2023.05.27

ワールドカップのミックスゾーンが、彼らのサッカー人生の答え合わせの場所

今週の「SPORTS BEAT」は、サッカージャーナリストの安藤隆人さんをゲストにお迎えして、お話を伺っていきました。
安藤隆人(あんどう たかひと)さんは、1978年生まれ、岐阜県出身。
大学進学とともに取材活動を始め、大学卒業後、いったん銀行に勤めたのち、フリーランスに転身。
数多くの日本代表選手を10代の頃から取材し、著書に、今年2月、徳間書店から出版された『ドーハの歓喜 2022世界への挑戦、その先の景色』などがあります。

──日本中が本当に熱く盛り上がった、去年のドーハでのワールドカップ。安藤さんの著書『ドーハの歓喜 2022世界への挑戦、その先の景色』の中の「はじめに」で、ワールドカップ前、「カタールまで行っても仕事になる?」なんて周りに言われていた、とありましたが、確かに、(始まる前は)期待感はそれほどでもなかった気がしますね。

空気感というか、期待を通り越して、“え? みんな、ワールドカップがあることをわかってる?”というレベルで注目もされていなかったですし、同業者と話していても、「カタールまで行っても仕事にならないんじゃないの?」ということを言われて。でも、それが当然なんですよ。それぐらい、(日本代表への)期待は薄かった。
期待というか、注目ですよね。“認知”というところはすごく感じましたね。

──そんな、ワールドカップがあまり盛り上がっていない中、それでも安藤さんが行こうと決めた理由は何だったんですか?

僕はユースメンバーを取材していたので、“出来上がった選手を報道するのではなく、未完成な部分から追いかけて、人生の成長していく様を完全ドキュメンタリーで見ることができる”というところが、この仕事の好きなところなんです。
なので、中学時代から見ていた選手、高校時代から見ていた選手が、世界の大舞台でどんなことを見せてくれるのか。
それから、僕は高校などで講師をしているんですが、仮に日本が全部負けたとしても、世界を見ることによって、僕がそれを持ちかえって彼らに伝えることで、日本サッカーのためになる、もしくは人生のためになるんじゃないか…と。
良い部分、悪い部分、現地で何が起きているのか、そして、世界最先端で何が起きているのか。
なので、“日本が勝とうが負けようが、決勝まで残る”というつもりで行きました。

──今回のワールドカップで、思い出深い選手というと?

浅野拓磨選手、堂安律選手ですね。浅野拓磨選手は、本にも書いたんですが、「諦めの悪い男になりたい」と、それをずっと言っているわけです。
僕は、カタールワールドカップで1つ気付いたことがあるんです。
ミックスゾーンで(選手に)話を聞くじゃないですか。中には1対1で(話を)聞ける時もあるんですが、何かどこかで聞いたことがあるフレーズを、全員が言うんです。“どこで聞いたんだろう?”と思ったら、高校時代なんです。高校時代に言っていたことと、全く同じことを言っているんです。

──選手それぞれが、聞いたことのある言葉を言っている?

あと、“答え”を言ってくれているんです。
例えば、田中碧選手が、高2の時の関東トレセン(リーグ)で、MVPの小さいトロフィーをもらったんです。その時取材したのは僕だけだったんですが、「トロフィー、小さいよね」と言ったら、「もっとデカいトロフィーがほしいですよね。世界で活躍してデカいトロフィーがほしいです」と言っていたんですが、(W杯の)スペイン戦で、デカいトロフィーをもらっていましたよね。(その時)その(高校の時の)姿がバーン!と(頭の中に)映ったんです。あんな小さかったトロフィーが、ワールドカップの試合のMVPのトロフィーに変わっているわけですよ。

──取材冥利につきる瞬間ですね。

そうですね。僕は27年、このライティング活動、ジャーナリスト活動をしているんですが、これがあるから続けられているし、今もまた高校生を追いかけられている。
答え合わせができるんですよ。10年後、20年後、もしくはもっと早い段階で。
ワールドカップのミックスゾーンが、僕にとってはまさに、彼らのサッカー人生の答え合わせの場所だったんです。
それがわかった時に、この本(『ドーハの歓喜 2022世界への挑戦、その先の景色』)が“書ける!”という確信になって、この本を綴った、という流れですね。

──同じ言葉を言っていても、そこには人間的な成長があるんですね。

あるんです。これも本に書きましたが、浅野拓磨選手も、ミックスゾーンで「諦めの悪い男になりたいんです」と言ったんです。僕が最初にこれを聞いた時は、弁当を食いながら言っていたんですよ(笑)。試合の間の昼飯タイムに、四中工(四日市中央工業高等学校)の監督から、「安藤君も食べていけよ」と弁当をもらって、浅野拓磨の横に座って喋りながら食っていた時に出てきた言葉なんです。
何気ない言葉が、何故か頭の中に残っていて。
でもその時、(浅野選手の)目がちょっと、クッと変わったんですよ。それで覚えていたんです。


──(ドイツ戦の)浅野拓磨選手のあのゴール、素晴らし過ぎましたよね!

立ちましたね、席から(笑)。
あの角度で打つ、しかも身体を当てられても倒れずに打ちきるというのは…多分、彼は“後悔したくない”という気持ちが強くて打ったんだと思います。
ただ、その後、怪我からコンディションが…。怪我からの復帰って、一発目はいいんですけれど、そこで負荷がかかると(コンディションが)ガクッと下がってしまう。それで、クロアチア戦の後は、「こんな情けないプレーをワールドカップで見せてしまったことはものすごく悔しいです」と言っていました。

──事前の怪我があって。板倉(滉)選手もそうでした。諦めないで間に合って、2人とも(W杯に)出ることができて、その板倉選手からのパスですからね。

そうなんです! そこでもう、ドラマができるじゃないですか。
でも、それって偶発的じゃなくて、必然なんですよね。やはり2人で同じ目標を持ってやっていたからこそ、目が合ったんですよ。
ワールドカップって、本当に緊迫しているんです。その緊迫した中で、大人の意志と意志が噛み合わさる瞬間が、あの瞬間だったんですね。

──まさに、ワールドカップの日本チームを変えた瞬間でしたよね。

あれが全てだったと思います。あそこから始まったと。

──そんな安藤さんが、今、“この子はすごい”と思っている高校生は?

大津高校の碇明日麻という選手がいるんですが、彼はすごく人間的にチャーミングで、会うと必ず挨拶してくれて、「今日のプレー、どうでしたか?」とか、「僕、あの時、ああしようと思ったんですけど、どう思いますか?」とか(聞いてくる)。僕はそういう質問をされるのが大好きなんですよ。だから、仲良くなった選手には、「どんどん聞いてこい」と(言っている)。
今、拓殖大学の大学生で関根(大輝)選手というサイドバックの子がいるんですが、彼なども、プレーがあるごとに「見てくださってありがとうございます」と。
上に行く選手というのは、「あの時のこのプレーはどうだった?」と聞いた時に、スラスラと(答えが)出てくるんです。自分のプレーを覚えているんです。

──著書にも、三笘(薫)選手がそうだったと書かれていましたね。

そうなんです。三笘選手はサッカー大好き人間なので、本当に勉強しているんです。例えば、大学時代にスタメンを外れた時があったんですが、その時に、「なぜ外れたのかを考えています」「だけど、自分の代わりに入ったサイドハーフが何をプレーしているかによって、監督が何を求めているかわかるじゃないですか。それを見るようにしています」と。それが印象的でしたね。
他にも、残り5分しか出られなかった時があったんですが、その後にも、「なぜ自分はスタートで使われなかったのかを考えています」と言っていました。

──三笘選手は、どこまで伸びていくのか…。

僕はもう、もっともっと上、それこそビッグクラブに行って日本のエースになってほしいですし、それを見て、子供たちが、“俺たちも行けるんだ”と、もっともっと上を目指せる環境になっていってほしいなと。今、それを彼らが作ってくれているので、それをもっともっと発展させていきたいなと思います。

──この番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。安藤隆人さんの心の支えになっている曲を教えてください。

Every Little Thingの「愛のカケラ」です。
ELTは、大学の時にバーっと来て、“おぉ!”と思っていたんですが、ちょうどこれは、僕が銀行員2年目か3年目の時に、辛くて辛くて辞めたくて、“早くジャーナリストになりたい。5年(は銀行員を続ける)と言っていたけど、もう無理だ”と(思っていた時に聴いていた)。その時に親から言われたのは、「ここで逃げだしたら、あなたはもっと厳しい世界に行こうとしているんだから、絶対にその世界でもダメになる」と言われたんです。
結局、夢を、スケープゴートにしていたんです。俺はこの夢があるからいいやって、仕事に適当に向き合ったらダメですよね。結果は出ないですよね。バカにされますよね。それを“辛い辛い”と思ってしまっていた自分に気付いたんです。
だったらもう、銀行員を100%でやって結果を出して、「辞めないで」と言われるぐらいまで成長してから辞めてやろうと思って、(気持ちが)切り替わったら、営業成績や融資の成績がぐっと上がったんです。3年目、4年目から仕事が楽しくてしょうがなくなって、5年目なんて辞める理由なんて1つもなかったんです。楽し過ぎて。週末はサッカーが観られる、平日は銀行で頑張れる、2つの目標で頑張れていたので、僕的にはものすごく充実していたんです。

──“このままでいいんじゃないか”と思いますよね。

一瞬、思いました。お金もたくさんもらえる。でも、“今はそれでいいのかもしれないけど、じゃあ、君はなぜ銀行に入ったの?”“これ(サッカージャーナリスト)がやりたいからでしょう。サッカーで全国に出れなくて悔しかったからでしょう”と。
これ(銀行を辞めてジャーナリストになること)を延ばせば延ばすほど、自分のこれまでを否定しているような気がして、じゃあ、1回ここでリセットして、自分のあるがままに(生きようと思った)。“でも、銀行でやることはやったから、未練はない。今の俺だったら成功する!”という自信しかなくて(サッカージャーナリストの道に)行ったんです。

──じゃあ、闇から救い出してくれた曲なんですね。

そうです。今思うと、ちょっとやっぱり…今、ここではうるっとしないですけど、多分、1人で半蔵門の淵を見ながら歩いていたら、泣いてますね(笑)。本当に大事な曲です。

──次のワールドカップ、日本代表の中心として輝いて欲しい、輝くだろうと思っている選手は?

今、オーストリアで活躍している中村敬斗選手ですね。
彼も、本当に高校時代は負けん気が強くて、“俺はもう海外に行ってやるんだ!”という選手だったんです。
最初、それは、気だけなのかなと思っていたんですが、話していくうちに、“言葉の力が強いな”と思って。実際、彼はヨーロッパに行って、1回、挫折しているんです。(試合に)出れなくて。でも、そこで日本に帰って来なかったんですよ。帰って来ずに、オーストリアに行って、踏ん張って頑張って代表に来たんです。
これだけでもう、僕は胸アツで。折れるところはたくさんあったんです。だけど、折れなかった。
それで、“高校の時に言っていた言葉は本物だったんだ”と思いました。偽物の言葉じゃなかった。ただ強気なだけの選手じゃなかった。
人間性が素晴らしい選手なんですよ。能力も、彼のアタッキング能力は日本人離れしているので、点を取れるアタッカーとして、次のワールドカップで活躍してほしいという期待をしています。

──森保監督にも積極的に使ってほしいですね。

この間(キリンチャレンジカップ)、1分しか出れなかったんですよ。でも、本人曰く、「この1分が僕の人生を変える」と言っていたので、期待しましょう。

──(普通は)“海外から呼んでこれだけか”と、思うじゃないですか。

もちろん、その気持ちはあると思うんです。でも、「僕はこの1分で人生が変わる。いや、変えなきゃいけない」と。カッコいい! で、めっちゃイケメンなので(笑)、人気が出ると思います。
ぜひ注目してください。本当に素晴らしい選手です。



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そして今回お送りしたインタビューのディレクターズカット版を、音声コンテンツアプリ『AuDee』で聴くことができます。
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