豊ノ島大樹さんは、1983年、高知県生まれ。
2002年に18歳で初土俵。2004年に21歳で新入幕、2008年には25歳で新関脇となり、通算703勝、殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞4回、金星は4個。
2020年4月に現役を引退されました。
現在はタレントとして、さまざまなメディアで活躍なさっています。
──2002年に初土俵を踏まれて、2020年の引退まで18年間。その18年間で、相撲界、角界というのは変わっていきましたか?
入った頃と引退する頃では、ガラっと変わっていましたね。“俺たちの頃は…”なんてあまり言いたくないんですが、生活面も違いますし、こういうことを言うと今の力士から嫌がられますけれども、やっぱりどんどん楽になって来ている気がしますね。
“楽に”と言うと、“今の子が楽をしている”みたいな言い方になってしまうんですが…“相撲にだけ集中できる環境になって来た”と言いますか。そう言うと僕らが集中できていなかったみたいになりますけど、本当に自分たちの(若い)頃は、寝る時間もなかったです。
──お相撲さんは寝るのも仕事、みたいなところがあって、昼寝の映像とかもよく見ますが…。
昼寝は、ある程度年数が経って兄弟子になったり、結果を残して関取にならないと、当時はできなかったです。掃除や付き人の仕事をやって、本当に5分間だけちょっと横になって、目を瞑れる。その5分だけちょっとうたた寝をして、アラームが鳴って、“あ、仕事しなきゃ”というのが、若い衆の時の思い出ですね。
──「相撲」って不思議ですよね。スポーツだけではないというか、神事でもありますし、そういうお世話をする付き人みたいなところも含まれていますし、いわゆるアスリートとは違う側面がありますね。
そうですね。今思えば、気が休まらないというか、大部屋なので、ずっと生活が(他の力士と)一緒なので、1人になれる時間がない。関取は個室を与えられますが。
──もっと上に行くと、部屋から出て、他の場所に住める?
部屋によって違いますが、それこそ自分で生活できるようになれば、それも許される。
だから、(部屋で)1人になれる時間が、トイレぐらいしかない。トイレに入った瞬間、“あ~、1人になれた”という感じでしたね。
──やはり、付き人の仕事というのは、多岐に渡るんでしょうか?
大変ですね。付き人の仕事って、洗濯、掃除、身の回りの世話もそうなんですが、大変だったのは、(兄弟子の)機嫌を取るとか(笑)。それが一番しんどかったですね。やっぱり機嫌が悪くなってほしくないので、機嫌取りに気を遣わなきゃいけない。
入門して半年ぐらいで20キロぐらい痩せましたね。
──待遇というのは、格付けによってかなり違うものなんですか?
そうですね。基本的に、十両からが、いわゆる“一人前”ですかね。十両から給料が出るので。
──付き人の数も変わっていくんですか?
部屋によって違うんですが、大体、十両で2人。幕内で3人みたいな感じでした。
──前頭に、小結に、関脇になって…というタイミングで変わることはありますか?
関取以上はそれほど生活面での変化はないんですが、相撲の方で言えば、幕内に上がれば、懸賞金が付くんです。十両では付かないので。
──たくさん懸賞金がかかっている場合は、燃えるものなんですか?
そうですね。ちょっと心の中で数えたりします(笑)。“今日、何本だな”みたいな。
──懸賞金は全てもらえるんですか?
個人でいただきますけど、でも多いと、やっぱり付き人が目を輝かせますから。「じゃあ、これだけ獲ったし、ご飯でも行こうか」とか、そういう使い方が多いですね。
──ご自身が付き人をされていたことがあるので、ついつい優しくしてしまいますよね。
あと、若い衆のネットワークってすごいんですよ。“あそこの関取、ケチらしいよ”って、あっという間に広まるんすよ(笑)。
それは自分も経験しているわけじゃないですか。だから、「自分が関取になったら、とりあえず“ケチ”と言われないようにしよう」と(思っていた)。なるべくどこかにご飯を食べに行って、他の力士がいても全部自分が出すようにしていましたね。
それで、若い衆から「“豊ノ島関はいろんなところでパッとやって、カッコいいよね”と言っていました」って言われたら、嬉しいじゃないですか。それだけで満足でしたね。
──いろんな人に慕われるようになるわけですし、そのネットワークが後々活きてくることもあるでしょうしね。
そうですね。まあ、でもそれも、今思えば、若い衆が自分の機嫌取りにやっていたかもしれませんね(笑)。「カッコいいって言っていましたよ」って。自分が機嫌取りをしていた時のように。
──今週も豊ノ島さんのCheer Up Song・心の支えになっている曲を教えてください。
Mr.Childrenさんの「終わりなき旅」です。
“高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな”というフレーズがあるんですが、自分が怪我をして(気持ちが)下がっていた時、常にハードルが高く感じたんです。でも、(このフレーズを聴いて)やっぱり乗り越えていけば、絶対にいい景色が待っているんだろうなと、そういう気持ちを持たせてもらった曲ですね。
怪我をして(幕下に落ちて)、もう一度十両に戻ったんです。最初に十両に昇進した時はただ嬉しさだけだったんですが、怪我をしてもう一度十両に戻った時は“ほっとした”というのが1つなんですけど、やっぱり泣きましたね。注目されていたので、記者の方に囲まれたんですけど、もう、その前で…。その時はもう35歳とかでしたけど、めちゃめちゃ泣きました。涙が止まらなかったですね。“泣くかも”とは思っていましたが、家に帰ってこっそり泣くかな…と思っていたら、それが報道陣の前で、本当にもう、自分の目玉が、涙で溺れていた。前が見えなくなるぐらい泣きましたね。
怪我をして“もう一度頑張ろう”という時に、家族と「必ず戻る」と約束をしたからこそ、夫として父親として約束を果たせたということが嬉しかったですね。
──そして、力士を引退されて、親方を引退された後も、“終わりなき旅”が続いていくわけですものね。
そうですね。今、うまかったですね(笑)。そこまで思っていなかったけど、なるほどですね。勉強になりました(笑)。ありがとうございます!
──最後に、今後の「夢」などありましたら教えてください。
相撲界では関脇まででしたけど、これからはタレントとして、大関・横綱を目指していきたいと思います。
──その壁は、なかなか高い壁なんじゃないですか?
はい。“終わりなき旅”です(笑)。
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