鈴木朋樹選手は、1994年、千葉県生まれ。
生後8か月の頃に交通事故で脊髄を損傷し、中学から本格的に陸上の車いす競技を開始され、中長距離を中心としたトラック種目と車いすマラソンの二刀流で活躍。
車椅子常用の"T54"というクラスで競技と向き合い、2021年の東京パラリンピックでは4×100ユニバーサルリレーで銅メダル、去年のパリパラリンピックでは車いすマラソンで銅メダルを獲得。
3月2日に開催された東京マラソンでは大会記録となる1時間19分14秒で優勝し、大会を連覇なさっています。
──まずは東京マラソンでの連覇、おめでとうございます!
ありがとうございます。
──鈴木選手の去年の東京マラソンの優勝タイムが1時間23分5秒、そして今年が1時間19分14秒と、この記録はパリパラリンピックで金メダルを獲得した世界王者のマルセル・フグ選手が一昨年2023年の東京マラソンで樹立した1時間20分57秒の大会記録を1分43秒更新する新記録となりました。この東京マラソンに向けての意気込みというのはどうだったんでしょうか?
昨年パリパラリンピックを経験しまして、そこでマラソン銅メダルを獲得することができました。それから次のロサンゼルスのパラリンピックに向けて、自分の気持ちとしてはゆっくりしていたところです。パリパラリンピックに向けて、気持ち的にもいろいろとすり減らしながら大会に臨んでいたので、気持ち的な疲れが大きかったものですから、一旦家族との時間を過ごさせていただいていました。
今回、東京マラソンに関しては、何か成し遂げたいものがあるというわけではなく、応援してくださってるみなさんに向けて何か恩返しができないかという想いや、世界の選手と戦う中で、自分がロス(ロサンゼルスパラリンピック)に向かう過程でスイッチが入ればいいなという気持ちで走らせていただきました。
──その東京マラソンで大会新記録での連覇。優勝した直後のお気持ちというのはいかがでしたか?
正直なところ、優勝したことは嬉しかったんですけれども、まだまだ世界の先にはマルセル・フグ選手や中国の金華(ジン・ホァ)選手がいるので、勝った喜びというものはそんなに味わうことはできませんでした。でも、前回マルセル・フグ選手が記録したタイムを破ることができたことは純粋に嬉しかったです。
──パリパラリンピックは鈴木選手が大きく成長するモチベーションにもなったのかなと思ったんですが、鈴木選手はパリパラリンピックですり減ってしまったんですか?
東京パラリンピックが自分が初めて出場したパラリンピックでして、その次のパリのパラリンピックとなると、やはり、“ただ出場するだけでは駄目”と言いますか、何かしら個人種目でメダルを持って帰りたいという気持ちがありました。
その1年前くらい、2023年はなかなか自分の競技成績が伸びなくてパラリンピックに出れるかどうかもわからないという中で、少しでも上に上がれるように練習量を積んできたつもりです。
練習量を積むことによって、肉体的な疲れはもちろんあるんですが、気持ち的にも、“もっともっと上に行くためにはこの練習でいいのか”“別の練習をしなきゃいけないんじゃないか”という思いもあったので、その中で葛藤しながら(練習を積んでいた)期間が自分の中ではすごくきつかったです。
──ただ、去年の東京マラソンでの優勝というのは、パリパラリンピックへ向けての大きな弾みにはなったのではないでしょうか?
昨年の大会は、記録というところではなかなか良い記録が出なかったんですけれども、気持ち的な弾みという点ではすごくいい大会だったかなと思っています。
──パリパラリンピックでは、鈴木選手は、車いすマラソンではなくトラック種目の1500mでも出場されています。このトラック種目と車いすマラソンとでは、求められる能力はもちろん、日頃のトレーニングにも違いは出てくるものなんでしょうか?
自分としては基本的には同じものかなと思っています。もちろん練習量はあるという前提なんですけれども、トラック種目である程度強くなれば、マラソンでも通用してくると思います。トラック種目の中でも、特に800mや1500mはすごく高速レースになってきていて、その延長線に42.195キロのマラソンがある、みたいな位置づけなので、トラック種目で良い順位が獲れないとマラソンでのメダルも獲れないと思っています。
──鈴木選手は400mと1500mで日本記録を更新されています。鈴木選手にとってやりきったと思える距離はどの距離でしょうか?
やりきった距離というのは考えたことがなかったんですが、400mと1500mもすごくきついレースですし、でもやっぱり、フルマラソンの距離が自分としてはすごくきつい距離かなと思っています。
──そうですよね。それでも、車いすマラソン1本ではなく、今後もトラック種目との両立を続けていかれるんでしょうか?
やはり、金メダル、銀メダルということを考えた時に、現在自分が重要視しているトラック種目でもある程度のところまで勝てなければ、(マラソンでは)通用しないと思っています。これは今後も続けていきたいと思ってます。
──今年は9月にインドのニューデリーで世界パラ陸上競技選手権大会も開催されます。3年後にはロサンゼルスパラリンピックもあります。鈴木選手の今、そしてこれからの目標をぜひ教えてください。
今年はニューデリーの世界陸上もありますが、ずっと自分が出場させていただいている“6メジャー”、東京マラソンだけではなく世界各地で行われるフルマラソンの大会で表彰台に上がることを目標にしています。
あとは、3年後のロサンゼルスパラリンピックにおいては、パリで自分が獲得した銅メダル以上のメダルを獲れるように精一杯1年1年積み上げていきたいと思います。
──この番組では、ゲストの方にCheer Up Songを伺っています。鈴木選手の心の支えになっている曲を教えてください。
RADWIMPSの「夢番地」という曲です。
自分が高校生の頃に“将来何になりたいか”と考えた時に、自分を育ててくれたのは陸上競技というもので、この曲はその夢を目指そうという気持ちにさせてくれました。“この先も陸上競技を続けていこう!”と自分のスイッチを押してくれた曲です。
──鈴木選手は中学生の頃に車いす競技を本格的に始められたということで、高校生の時はその将来について、どの道を進んでいくかを迷っていらっしゃったんですね。
スポーツ選手としてやっていくのか、それともまた別の道を目指すのかというところで、すごく悩んでいた時期です。
──将来どうしようか悩んだ上で、車いす競技をしていくと決意したその大きな理由は何だったのでしょうか?
やはり、自分は小さい頃からの障害で車いすに乗っているので、健常者の友達とスポーツをやってもなかなか勝つことができなかったんですね。その中で、こういった障害者スポーツと出会って、そこから人に勝つ喜びをパラ陸上で味わったと思っています。
根本に帰ったというか、将来何をしたいかなと考えた時に、この自分を形成してくれたのがパラ陸上だったので、パラ陸上に何か恩返しができないか…パラリンピックを目指してメダルを獲るということが自分がパラ陸上にできる恩返しだと思ったので、そこを目指すようになりました。
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