日本のサッカーがプロ化する四半世紀前に世界中を驚かせた一戦があった。
東京オリンピックから4年後の、
1968年10月24日、メキシコ・オリンピック。
アステカ・スタジアムで行われたサッカー3位決定戦。
8万人を超える大観衆の「メヒコ」コールがこだまする中。
日本代表は、地元メキシコ代表と銅メダルをかけて戦った。
試合は終始メキシコペース。
日本は、ディフェンスを固め守りに守ってカウンターという作戦。
メキシコの個人技に対して、日本は組織力で勝負した。
前半17分、数少ないチャンスが日本に訪れる。
“20万ドルの左足”呼ばれるすぎやまりゅういち杉山隆一からのパスを、ストライカー釜本邦茂が胸で落として、左足で蹴りこんだ。
日本のゴールデンコンビが先制ゴールをあげた。
さらに、39分、またしても杉山と釜本コンビが2点目を叩き出た。
格上メキシコ相手に2対0とリードして前半を終えた日本。
後半は、メキシコが圧倒、開始早々、日本はPKを与えてしまう。
しかし、ゴールキーパー横山謙三がファインプレーで防いだ。
攻めながらも得点できない地元チームにサポーターは、憤った。
次第にスタジアムのあちこちから「ハポン、ハポン!」と、日本を応援する声があがった。
敵地メキシコの観客の声援を受けて日本はメキシコの攻撃を最後まで耐えぬいた。
2対0での勝利。
日本は銅メダルを獲得した。
この大会で日本は、ナイジェリア、ブラジル、スペイン、フランスの強豪と戦いながらも負けなしで一躍注目を浴び、そのクリーンな試合ぶりにフェアプレー賞が贈られた。