その決断は、「男気」と賞賛された。
ニューヨーク・ヤンキースからフリーエージェントとなった昨年のシーズンオフ。
約20億円とも言われる巨額のオファーを提示した球団ではなく、推定年俸4億円の、古巣・広島東洋カープを選択。
だが、それ以上に、「カープ愛」を貫いた、黒田博樹の心に、ファンは喝采を贈った。
初めてフリーエージェント権を取得した、2006年のあの光景を、黒田は今でも鮮明に覚えているという。
10月16日のシーズン最終戦。
当時のホームスタジアムである広島市民球場のライトスタンドは、黒田の背番号『15』のプラカードを手にしたファンで埋め尽くされ、
エースの残留を願う横断幕が掲げられた。
<我々は共に闘ってきた 今までも これからも…… 未来へ輝くその時まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる カープのエース 黒田博樹>
2008年に海を渡り、ドジャースとヤンキースという、メジャーリーグを代表するチームで先発ローテーション投手となっても、黒田の、カープへの想いは不変だった。
「いつかカープに戻るために結果を残す」と、強いモチベーションを維持してきた。
メジャー7年間で、通算79勝。
黒田が、世界最高峰の舞台でも一流と呼ばれた背景には、常に「カープ愛」があった。
メジャー移籍後、毎年オファーを送り続けてくれた球団、復帰を待ち望んでくれているファンもいる。今年で40歳。
野球人生の集大成を飾る場として、黒田は広島を選んだ。
「カープのユニフォームを着て投げたほうが、それがもし、最後の1球になったとしても、後悔はない」
8年ぶりの復帰に、黒田は「不安しかない」と言う。
それでも、ファンは黒田と共に闘う。
そしてそのファンの後押しが、黒田の1球を輝かせる。