Legend Story
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14.11.29
プラティニ



かつて日本には、世界中のサッカーファンの視線を集める一日があった。
1981年から2004年まで開催されたトヨタカップだ。
ヨーロッパと南米のクラブ王者が世界一を決めるこの大会は、それまでホーム&アウェイで行われていた。
しかし、サポーターの暴徒化などが問題視され、安全が確保される中立地での一発勝負へ変更される。
サッカーの世界的普及に乗り出していた国際サッカー連盟は、日本を開催国に選んだのだった。

ワールドクラスの選手が華麗なテクニックと勝利への飽くなき執念を燃やすバトルは、
多くの名勝負を生み出した。なかでも大会の歴史に燦然と輝くのは、
1985年12月のユベントス対アルヘンティノス・ジュニアーズ戦である。

ハイライトは後半67分だ。
フランス代表の“ナポレオン”ことミシェル・プラティニが、国立競技場の熱狂を呼び込む。
右コーナーキックのクリアボールを、味方選手がヘディングでつなぐと、ボールはゴール正面のプラティニへ。
浮き球のパスを胸でトラップし、すぐさま右足でコンロトールして、ふたりのディフェンダーをかわす。
そのまま左足ボレーで狙うと、ボールはゴール右スミに突き刺さった。

ところが、味方選手のオフサイドで得点がまぼろしと消える。
次の瞬間、プラティニはピッチに身体を投げ出し、頬杖をついた。
自宅のリビングでテレビでも観ているかのようなパフォーマンスは、深い失望をユーモアで隠したものだったのだろう。

試合は2対2のままPK戦までもつれ、イタリアの名門はアルゼンチンの古豪から勝利をつかんだ。
プラティニは1得点1アシストを記録し、PK戦でもユベントスのラストキッカーを務めた。
第6回トヨタカップは彼のために用意されたものだったが、のちにプラティニは語っている。
「優勝は嬉しかったけど、あのボレーシュートが取り消されたのはいまでも悔しい」と。