Legend Story
  • mixi
  • Facebook
  • ツイッター
  • Google
14.08.16
潮田玲子

小・中学生時代からシングルスで数々の実績を残し続けてきた潮田玲子が、高校卒業を前にして選んだのは、ダブルスでの世界挑戦だった。
高校1年で参加したナショナルジュニア合宿でたまたまペアを組んで以来、国際大会でともに戦ってきた小椋久美子からの、「三洋電機へ行って一緒にやろう」という誘いの言葉を受け入れたからだ。

入社直前のオランダジュニアとドイツジュニアで準優勝という実績を持って飛び込んだ社会人の世界。
日本バドミントン連盟は、特例でナショナルチーム入りさせるほどの期待をかけた。
当人たちは“美女ペア”としても注目され始める中、「自分たちは特別扱いされている」とその立場を重圧に感じることもあった。

だが、アテネオリンピック出場を逃したのを機に突っ走り始めた。
04年の全日本社会人で初優勝すると、年末の全日本総合選手権も初制覇。
日本一のペアとして自信を持って世界へ挑み、オリンピック出場権獲得レース真っ只中の07年世界選手権では銅メダルを獲得。
マイナーだったバドミントンに世間の目を引きつける役割を果たしながら、目標だったオリンピック出場も果たしたのだ。

北京オリンピックでは2回戦で優勝した中国のドゥ・ジン/ユー・ヤン組に完敗して5位という結果に。
だが潮田にとってそれはまだ世界挑戦への第1幕にすぎなかった。
“オグシオ”解散が決定した最後の全日本総合で5連覇を達成すると、翌09年には男子ダブルスで北京に出場した池田信太郎と混合ダブルスを組んで世界に挑戦する決意をしたのだ。

潮田と池田はともに、07年世界選手権の銅メダリスト。
日本のバドミントンは実業団が主流で、所属先の都合もあり男女シングルスとダブルスに比べて、混合ダブルスには力が入れられていなかった。
だからこそ二人は注目される存在という自らの立場も利用し、後進のためにも混合ダブルスという道を切り開こうと考えたのだ。

男子と女子が組む混合ダブルスは、それぞれのダブルスとは別物。
その違いに苦労したが3年目からはしっかり結果を出し始め、ロンドンオリンピックには世界ランキング11位で出場権を獲得。
本番では1次リーグ敗退で終わったが、彼女のやり切った気持ちは北京以上に強かった。