Legend Story
  • mixi
  • Facebook
  • ツイッター
  • Google
20.09.26
田村亮子
null

2000年のシドニーオリンピックから今年で20年。
柔道女子48キロ級の田村亮子は、3度目のオリンピックとなるこの大会で、悲願の金メダルに輝いた。

小学2年から柔道教室に通いだすと、すぐさま才能が開花。
中学3年の時には国際大会で優勝を飾るなど、世界トップへと駆け上がった。
連戦連勝、世界選手権も制覇するなど、順風満帆な柔道人生だったが、唯一届かなかったのが、オリンピックの金メダル。

1992年、16歳で出場したバルセロナオリンピックでは、開会式直前の練習で背筋を痛め、銀メダルに終わった。
悔しさをバネに、次こそはと臨んだ、1996年のアトランタ大会。
田村は、バルセロナの決勝で敗北以来、4年間公式戦で負けなし、世界選手権も連覇していたため、金メダルへの期待も高まっていた。

準決勝でこの階級の2番手とみられていたキューバのサボンに一本勝ち、反対側のブロックでは強豪たちが姿を消し、金メダルは田村が手中に収めたかに思われた。
しかし、迎えた決勝戦、誰もが予想しなかった結末が待っていた。

相手は、全くのノーマーク、北朝鮮のケー・スンヒ。
両者ポイントが無いまま迎えた残り22秒、ここまでやや劣勢だった田村が大外刈りを仕掛けたが、これを返され効果を奪われて敗戦。
「やっぱり私も人間だったんですね」と悔しさを押し殺して語った。

そこからの4年間、過去の試合を検証し、外国人に勝つため、そして、オリンピックで金メダルを取るため、徹底的にパワーとスピードに磨きをかけた田村。

迎えた2000年のシドニー大会、ロシアのプロレトワとの決勝戦、開始36秒、鮮やかな内股が決まり一本勝ち。
「最高でも金、最低でも金」という言葉通り、悲願達成、田村亮子が、ついにオリンピックの金メダルを手にした。


----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
過去1週間分の番組が無料でお楽しみいただけるradikoタイムフリー
番組を聴いて気に入ったら、SNSで友達にシェアしよう!

9月26日(土)OA分の放送はこちら