Legend Story
  • mixi
  • Facebook
  • ツイッター
  • Google
20.08.29
ペドロ・マルティネス
null

1990年代から2000年代にかけてメジャーリーグで最強と呼ばれたピッチャーの一人、ペドロ・マルティネス。

実働18年間で219勝、防御率2・93、サイ・ヤング賞には3回輝いた。
ヤンキースで活躍した松井秀喜も、「間違いなく最高のピッチャーの一人」とその実力を認めている。

180センチに満たない身長で、メジャーのピッチャーとしてはかなり小柄。
しかし、サイドスローに近いスリークォーターから150キロ後半のストレートと、カーブやカットボールなど、切れ味鋭い多彩な変化球を操った。
中でも強力な武器となったのがスピードを保ったまま急激に曲がりながら落ちる変化球、通称「パワーカーブ」。
マルティネスは、要所要所でこの魔球を使い三振の山を築いていった。

92年に、ドジャースでメジャーデビュー。
エクスポズ時代の1997年には、17勝8敗、防御率1・90でサイ・ヤング賞に輝いた。
その翌年、名門・レッドソックスに移籍、ここでキャリアハイとなる輝かしい戦績を残す。
98年に19勝、さらに、99年は、23勝、防御率2・07、313奪三振という驚異的な成績で、最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振の投手3冠を達成。
2000年にも18勝を挙げて防御率と奪三振の二冠、そして2年連続でサイ・ヤング賞も受賞した。

数々の個人タイトルを手にしたマルティネスが最も成し遂げたかったもの、それは、ワールドシリーズ制覇。
その夢が叶ったのは、2004年。
カージナルスとのワールドシリーズで、第3戦に先発し、7回を無失点に抑え勝利。
レッドソックスは、4連勝で、86年ぶりのワールドチャンピオンとなった。
名実ともに世界一となったペドロ・マルティネス。
彼が付けていた背番号「45」は、チームの永久欠番となり、伝説の投手として語り継がれている。


----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
過去1週間分の番組が無料でお楽しみいただけるradikoタイムフリー
番組を聴いて気に入ったら、SNSで友達にシェアしよう!

8月29日(土)OA分の放送はこちら