「長嶋や王がヒマワリなら、おれは月見草」
数々の名言と圧巻の実績を残した野村克也がこの世を去った。
1954年、南海ホークスに契約金ゼロのテスト生として入団。
3年目からレギュラーに定着すると、扇の要としてゲームを組み立て、
バッターでは常にクリーンナップを担った。
27年の現役生活で、歴代2位となる657本のホームランを放ち、
戦後初の三冠王、ホームラン王9回。
ベストナインは史上最多となる19回受賞するなど、
超一流の証となる数字を残した。
選手としてだけではなく、指導者としても優れた手腕を発揮。
1990年にヤクルトスワローズの監督に就任すると
データを駆使したID野球を掲げ、万年Bクラスだったチームを再建。
古田敦也、高津臣吾、宮本慎也ら、球界を代表する選手たちを育て、
1993年には、チームを15年ぶりの日本一に。
監督を努めた9年間で、4度のリーグ優勝、3度の日本一と、
ヤクルトの黄金時代を築いた。
また、戦力外だった選手や、他球団で活躍の場がない選手を引き取り、
再び、貴重な戦力として蘇らせる手法は、
「野村再生工場」と称され、高く評価された。
晩年には、東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を務め、
最下位だった楽天を4年間で2位にまで引き上げ、監督を引退。
現在、メジャーリーグ・ヤンキースで活躍する田中将大に
プロ一年目、野球のいろはを教えたのも野村だった。
逆境にこそ燃えた、反骨の野球人。
その原動力となっていたのが、
巨人で活躍していたスター選手、長嶋茂雄、王貞治の存在だった。
名選手、名監督、名解説、自らを月見草と例えた野村克也だが、
球界に燦然と輝く功績を残し、数々の大輪の花を咲かせた。
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