感情と情熱の名ボランチ、元ブラジル代表「ドゥンガ」。
1990年のワールドカップ・イタリア大会。
優勝候補の筆頭と言われ、国民の期待を背負って挑んだブラジルは決勝トーナメント1回戦で故障者が続出していたアルゼンチンを相手に0対1で敗戦した。
監督のラザローニ、そして監督の目指すサッカーを体現したと言われていた
ドゥンガは「戦犯」と呼ばれ、ブラジル敗退の責任を負わされた。
ほぼ4年間続いた執拗な批判と中傷に終止符を打ったのは、1994年、ワールドカップ・アメリカ大会。
ドゥンガがひと際輝きを見せたのは、最大の山場となった準々決勝のオランダ戦。
オランダが誇る世界屈指のミッドフィルダー、ライカールトを徹底したマークで完全に封じ込めた。
試合は、終了10分前に、ブラジルがフリーキックで決勝点を決め接戦を制した。
ドゥンガの目に見えにくい活躍が、チームを勝利へと導いたのだ。
そして、悲願の優勝をかけた決勝のイタリア戦。
互いに譲らぬ展開となったこの試合は、スコアレスドローで、ワールドカップの決勝史上初のPK戦へともつれ込んだ。
両チームとも一人目のキッカーは失敗。
その後2人ずつ成功し、4人目。
イタリアが外した。続くキッカーは、ドゥンガ。
これで決めれば、優勝に大きく近づく大事な場面。
長い助走から強く蹴ったボールは、ゴール右へと突き刺さった。
決まった瞬間、渾身のガッツポーズ。
スタンドでブラジルファンの黄色い波が揺れる。
5人目、イタリアの至宝、ロベルト・バッジョが蹴ったボールは、ゴール上へ大きく外れた。
ブラジルが24年ぶりのワールドカップ優勝。
大会途中からキャプテンとして、チームを率いていたドゥンガは、4年前の戦犯の汚名を返上し、英雄へと生まれ変わった。