1992年、夏の甲子園2回戦。
9回表、3塁側内野席から発生した“帰れコール”が球場を震わせた。
明徳義塾が3対2と星稜を1点リード。
9回も簡単に2アウト、勝利まであとアウトひとつ。
星稜の3番・山口が3塁打を放ち望みをつなぐ。
ネクストバッターは、1年の夏から4番に座る怪物・松井秀喜。
明徳ベンチは勝負を避ける。
ストレートのフォアボール。
松井が静かにバットを置き一塁に歩いた時、観客の不満が爆発した。
松井は、ここまでの4打席でもことごとく歩かされ、
1度もバットを振っていなかった。
初回、0対0のツーアウト3塁、
3回、2対0のワンアウト2、3塁のフォアボールは教科書通り。
もし打たれれば先制点か、一打同点の場面だった。
しかし、明徳2点リードの5回ワンアウト1塁でのフォアボールにはスタンドが首を捻り、
1点リードの7回にいたっては、ツーアウトランナーなしからのフォアボール。
5万5千人の大観衆に不穏なもどかしさが募る。
そして、9回ツーアウトからの5打席目も敬遠…。
3塁側アルプススタンドや外野席からは、メガホンや紙コップ、ラジカセまでが投げ込まれた。
歩かされた松井が盗塁してツーアウト2、3塁と一打逆転の場面で5番、がサードゴロに倒れ、ゲームセット。
5打席連続敬遠…1度もバットを振ることなく、松井秀喜は伝説になった。