「途中でこけちゃいました」。
灼熱のバルセロナを走り抜けた谷口浩美は笑顔で語った。
オリンピック前年の世界選手権で金メダルに輝き、世界王者として臨んだ。
しかし、 22.5キロ付近の給水所でアクシデントが起きた。
30人ほどの先頭集団にいた谷口は、給水のときに左足のかかとを後続ランナーに踏まれ転倒した。
瞬時に脱げた靴を取りにもどる。
そして、給水のボトルを取ると、再び走り始めた。
およそ30秒、150メートル以上の遅れは致命的だったが、谷口は諦めようとは一切、思わなかった。
ソウルオリンピックに出られず、バルセロナオリンピックは出場も危うい状態だった。
本番に向け、練習中だった4月下旬、谷口は右足の人さし指を疲労骨折。
6月末まで極秘で入院していた。
「本当に治るのだろうか」と何度もなえそうになる気持ちを奮い立たせてバルセロナの地に立った。
転んだからといって、やめるワケにはいかない。
谷口の懸命の追い上げが始まった。
1人、2人、3人……。
谷口はつぶやきながら前の選手を抜いていく。
20キロ足らずの間に20人以上をゴボウ抜き、そして8位入賞を果たした。
もし足を踏まれなければ、転倒しなければ、靴が脱げなければ…。
しかし、谷口はそういう考えをきっぱりと否定し、こう語った。
「不運や失敗の連続だからこそ、マラソンはおもしろい。」