Legend Story
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16.02.20
中田英寿

時代を象徴する先駆者として、中田英寿が日本サッカー界に残してきた功績は計り知れない。
右肩上がりで成長してきた日本代表で常に光を放ってきた存在だった。

代表デビューは、1997年5月の日韓戦。
20歳の中田は、体の強さ、スピード、非凡なパスセンスで攻撃をリードし、鮮烈な印象を残した。

1997年11月、ワールドカップ初出場を決め、今も「ジョホールバルの歓喜」として語り継がれるアジア第3代表決定戦のイラン戦では、全3得点に絡む獅子奮迅の活躍を見せた。

年齢を重ねるにつれ、代表での役割も変化。
ワールドカップフランス大会は金髪で自らを世界にアピールし、日韓大会は周囲を鼓舞してリーダー役を担った。

そして、2006年6月22日。
ワールドカップ1次リーグ最終戦のブラジル戦が中田のプロサッカー選手としてのラストゲームになった。

試合中、中田は走りに走った。
無尽蔵のスタミナを誇る男が試合終盤に「ガス欠」になるほど、走り抜いた。

しかし、史上最強の日本代表と呼ばれたジーコジャパンは、1対4の惨敗。
   
試合後中田は、ピッチで10分間もあおむけになって泣いた。
どんなときも強気で冷静だった中田が、ピッチで初めて流した涙だった。

「自分たちの力を素直に受け止めて、次につなげていくしかない」。   
サッカー人生を全力で駆け抜けた稀代のフロントランナー中田英寿。
その最後の言葉は、次なる黄金世代への糧になっている。