視聴率66.8%。
スポーツの中継史上ナンバーワンの座を誇る、1964年の東京オリンピック、女子バレーボール決勝、日本対ソ連。
強豪国のようにバレーボールに専念できるわけではなかったアマチュア選手達が最強のソ連を3対0のストレートで破り、世界一となった。
彼女たちを世界はこう呼んだ…「東洋の魔女」。
日本中を興奮の渦に巻き込んだこの勝利の裏には、鬼と呼ばれた男の存在があった。
バレーボール女子日本代表監督、大松博文。
「黙ってオレに付いて来い」
その特訓はすさまじいものだった。
練習開始は、選手たちが仕事を終えた夕方の4時、そこから深夜2時にまで及んだ。
アザや捻挫は当たり前。
拾い損ねた選手は、頭から水をかけられた。
こうした地獄の特訓の末あみだされたのが「回転レシーブ」。
相手のスパイクを拾い、すぐ攻撃に移る体勢をつくる。
身体能力では及ばない日本人の弱点をカバーし必殺技に変えたものだった。
10月23日午後7時30分。駒沢屋内競技場。
第1セットの立ち上がりこそソ連にリードを許したものの、変化球サーブと回転レシーブを武器に、日本が2セットを連取。
「東洋の魔女の勝利」…誰もがそう思った。
しかし第3セット、14対9のマッチポイントからソ連の反撃が始まった。
次々と得点し、14対13と1点差まで詰め寄る。
日本にとって5回目のマッチポイント、ここでようやく勝利の女神がほほえんだ。
日本がしかけたフェイントでソ連がオーバーネット!
審判の笛が鳴った。
15対13・・・東洋の魔女が金メダル獲得した。
選手たちが監督のところへ駆け寄り胴上げが始まる。
一回、二回、三回・・・「鬼」と呼ばれた男、
大松博文が笑顔で宙に舞った。