Athelete News
  • mixi
  • Facebook
  • ツイッター
  • Google
20.08.15
全試合KOを狙っていた
null
今週の「Athlete News」は、ボクシングの元世界チャンピオン、内山高志さんをゲストにお迎えしました。

内山高志さんは、1979年生まれ、埼玉県春日部市出身。
花咲徳栄高校からボクシングを始め、名門・拓殖大学では、キャプテンを務め、全日本選手権で優勝。
卒業後、アマチュア4冠を達成し、2005年にプロデビュー。
2010年にWBAスーパーフェザー級王座のタイトルを獲得されました。
“KOダイナマイト”と呼ばれるハードパンチで、11度にわたり王座を防衛。
2017年に現役を引退。
現在は、フィットネス&ボクシングジム「KOD LAB」を運営されています。



──そもそも、ボクシングを始められたきっかけは何だったのでしょうか?

中学生の時に家でテレビをつけたら、偶然ボクシングをやっていたんです。“なんか面白いなぁ”と思ってたんですよ。その選手が辰吉丈一郎さんで、“すごく面白い選手だし、カッコいいな”と思って、そこからボクシングに興味が湧いて。それで高校に入ったら“ボクシングやろう!”と決めてボクシング部のある高校に進んで、高校1年から始めました。
僕らの時は、みんな、だいたい中学生か高校1年生で始める人が多かったので、スタートは同じくらいでしたね。
今の子達はみんな小学校からやっているので、シャドーボクシングとかは、小学生や中学生の方が僕らより上手いですね(笑)。

──でも、高校から始められて高校3年生で国体準優勝というのは、トントン拍子なんじゃないですか?

国体準優勝の時は、ぶっちゃけ“運が良かった”というか。1回戦から全部判定で勝ち上がっていったので、決勝戦では圧倒的にボコボコにされてしまいました(笑)。だから、決勝の相手に1回戦で当たってたら、1回戦で負けてましたね。

──強豪の拓殖大学に進まれて、それだけの輝かしい成績だったら、注目されていたわけですよね。

いやいや。拓殖大学はその頃全国でトップクラスだったので、ボクシング部に入ってくる同級生は皆チャンピオンクラスしかいないんですよ。ですから僕なんて、ほとんど無名です。
僕は国体の準優勝になったのがベストスコアだったんですけど、それまでは無名だったので、「内山っていうすごい奴がいる!」とは、一切ならなかったですね。もう名前が売れているすごい選手がいっぱいいたんです。大学に入った時は周りはそんなメンバーばかりだったので、僕は下から2番目とか3番目とか、そんなレベルでした。

──でも、結局、拓殖大学ではキャプテンを務め、全日本選手権で優勝まで成し遂げたということは、相当努力されたと思いますが。

1年生の時は同級生の荷物持ちとかそういうこともやっていたので、やっぱり悔しいじゃないですか。皆同じスタートで始めているのに、そういうのがすごく悔しかったので、暇があれば練習をしていました。だから、大学1年の時は遊んだ記憶がないですね。週7で練習をやってましたから。

null
──大学を卒業された後は、プロの道を選ばずにアテネオリンピックを目指されましたね。

大学を卒業して、サラリーマンをやりながらずっとボクシングを続けていて。それでオリンピックを目指そうと思って、24歳まで日本代表としてやっていました。
最後、24歳の時に、パキスタンで行われたオリンピックの最終予選で負けてしまって結局出れなかったので、そこで一旦ボクシングを辞めようと思って辞めて、そのまま仕事をしていただけの時期がありました。

──またボクシングを始めることになったのは、どういうことだったんですか?

プロの試合を観戦するのはすごく好きで、後楽園ホールへ観に行ったり、世界戦を観に行ったりしていたんですよ。
僕の後輩や同級生や先輩にもプロでやっている人がいたので、その応援にも行くじゃないですか。僕はその時、サラリーマンとして何となく生きていたんですよ。頑張っている仲間の姿を見ていたら段々と恥ずかしくなってきて…。“こいつらすごいな。こんなに努力して殴り合って、世界チャンピオンを目指して”って。自分がいま目標がないまま生きているのが、すごく悔しくなったんですよ。そう思ったら、“やっぱり俺はボクシングがやりたいな”って思うようになって、それですぐ、会社に「すみません。プロになりたいんで」と言って辞めて、プロに入りました。

──実際にプロになってヘッドギアなしで8オンスのグローブで殴り合って、どうでしたか?

気持ち良かったですね。アマチュアの時からパンチ力には自信があったので、“こんな小さなグローブだったら、全員勝手に倒れちゃうんじゃないかな”というのが最初のイメージでしたね(笑)。プロに入った時の目標は、全試合KOしようと思っていたんですよ。

──27戦して24勝、20KOという驚異的なKO率。KOというのは最初から狙ってらっしゃる?

狙ってますね。僕は試合の会見では絶対に「KOは全然狙ってないです。判定でも勝てれば良いです」と言っていたんですけど、実際はメチャメチャ狙っていました(笑)。

──2010年にWBAスーパーフェザー級王座のタイトルを獲得され、11度の防衛を果たされました。そして2017年に現役を引退されましたけど、その思いをお聞かせください。

僕の中で、34歳くらいの頃から練習でちょっと変化を感じてはいたんですよ。反射神経というか、一瞬の反応が“ちょっと遅れるな”と、練習していても感じ始めていて。その時から“タイミングがズレたらいつか倒されるな”と感じていたので。
最後、2連続で負けた時に、“もう、これ以上強くなるということは厳しいな”と。それならもう引き際かな、というのはありましたね。

──ボクシングを辞めた後は、練習はされていないんですか? 身体を見ると、かなり絞られているというか。

僕は、“プロを辞めてからも、おそらく練習は毎日するだろうな”と思っていたんです。実際、辞めてからも最初は練習していたんですよ。ジムに練習に行くと、引退したとはいえ、僕は元世界チャンピオンで先輩じゃないですか。僕がリングにあがると、「あっどうぞ」って若い選手達がリングから出ちゃったりして、「俺、もう選手じゃないから」って言っているんですけど、皆気を使っちゃうんですよね。"気も使うからジムには行きにくいし、でもまだ運動もしたい。だったら、自分で動けるジムを作っちゃおう”と思ったのがきっかけで、フィットジムを作ったんです。

──“自分で身体を動かしたい!”という思いから、ジムを立ち上げたんですか?

そうなんです。自由に(身体を動かせるように)出来るようにやりたいと思って、作ったんですけど。実際のところ、ジムを作ろうと思って、物件探しから始めて見つけて、工事とか色々とやるじゃないですか。その頃には全く練習してなかったですね。ジムが出来たら出来たで、全然やらないですね(笑)。筋トレは週1くらいでやって、ランニングは月1くらいになっちゃいましたね。

null
──この番組では、毎回ゲストの方にcheer Up Songを伺っています。内山さんの心の支えになっている曲を教えてください。

Three 6 Mafiaの「It's a Fight」です。
この曲を27、28歳の頃から僕の入場曲として使っていたんですけど、たまたまハワイに行った時に飛行機の中で観た『ロッキー・ザ・ファイナル』で使われていて。この曲はロッキーの最後の対戦相手の曲なんですけど、聴いたら“めちゃめちゃ格好良い!”と思って、すぐに日本で使うようにしましたね。

──この曲を聴くとどんな気持ちになりますか?

やっぱり気持ちがすごく上がりますね。試合前に、幕の後ろ側で待機しているじゃないですか。そこでこの曲が流れると“よっしゃ、今からやるぞ!”っていう気持ちになりますね。

──試合に臨む時は、恐怖心はあるんですか?

恐怖心はほとんどないですね。アマチュアでやっていた時の方がありましたけど、プロに入ってからは開き直っているので、緊張はほとんどないです。
ただ、プレッシャーは強かったです。いろんな人が応援してくれますし、スポンサーさんもついてくれたりするじゃないですか。“負けちゃいけないな!”というのはありました。とにかくお客さんに喜んで貰いたいという気持ちが強かったです。

──“お客さんに喜んで貰いたい!”というポジティブな気持ちだったら、より良いパフォーマンスが出来るんじゃないですか?

試合の時は、入場の時がすごく楽しいというか…。”今からどうなるんだろう?”“1時間後に結果はどうなっているんだろう?”って、自分ではわからないじゃないですか。
そういう先の事を考えるんです。“今日の夜の12時にはどうしているんだろう? ワイワイ楽しくやっているのかな? それとも落ち込んで1人で落ち込んでいるだろうか?”とか、そんな事をけっこう考えてましたね。

null



----------------------------------------------------------------------------------------------------------------

過去1週間分の番組が無料でお楽しみいただけるradikoタイムフリー
番組を聴いて気に入ったら、SNSで友達にシェアしよう!

8月15日(土)OA分の放送はこちら