Athelete News
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18.01.27
観客の声を力に変えて
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今週の「Athlete News」は、走り高跳びでパラリンピック5大会で連続入賞を果たした、鈴木徹選手にお話を伺いました。

鈴木徹選手は、1980年、山梨市生まれ。
中学からハンドボールを始め、高校時代には、国体3位になるなど、
将来を期待されていましたが、卒業前、交通事故に遭い右足を失いました。
その1年半後、走り高跳びでシドニーパラリンピックに出場し、6位。
アテネで6位、北京で5位、ロンドンとリオで4位と、
5大会連続で入賞を果たしています。
40歳で迎える2020年東京大会に初のメダル獲得を目指します!



──走り高跳びと出会ったきっかけは何だったんですか?

大学はハンドボールのスポーツ推薦で行くことが決まっていたので、もちろん始めはハンドボール選手としてもう一回戻ろうっていう気持ちがあったんですけど、やはりなかなか義足ってものはすごく難しくて。
走るまでに2、3年かかるっていうことが一般的に言われていますので、まずは走り方を学ぼうと思って義足を作ってくれてる臼井さんという方の勧めで陸上クラブに見学に行ったら、走っている方が結構いたんです。
僕も始めは走ることからやろうと思ったんですが、事故からちょうど一年後に高飛びのセットが大学に置いてあったので遊びがてらやってみたところ、1時間ほどしか飛んでないんですけど、日本記録作っちゃったんです(笑)。これは挑戦するしかないだろうって思いましたね。

──世界で2メートルを飛べる人なんて数人しかいないわけですもんね。

当時はまだいなかったですね。今でも義足だけだと2人しかいないんです。

──メンタル的に、難しそうなスポーツだなって思ってしまうんですけど…

そうですね。最後にはメンタルが大事になって来ますね。僕、今ゴルフやるようになったんですけど、ゴルフに近いような感じがしますね。
どうしても失敗するじゃないですか。その後に考えすぎずに次のスイングに行かなきゃいけないので、そういう感じなんですよね。
僕らは3回しかチャンスがないので、1回失敗しただけで「あ〜」って思ってしまうと次にいけないので、2歩3歩歩いたら忘れるくらいにして、良いイメージを持って次に臨まないといけないんですよね。

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──でも、忘れたくても忘れられない時ってあるじゃないですか。切り替えのテクニックとかってあるんですか?

僕の場合、今回リオと変えたことは、拍手を求めることだったんです。リオの時はどうしてもゾーンを自分で作りだそうと思って、一点集中だったんですよ。
そしたら、アウェイっていう状況もあると思いますけど、すごく窮屈になってしまって力が出なかったので、今回の世界パラでは真逆に1本目から拍手を求めて、自分から輪に入って行こうと思ったんです。
緊張も良い形で力に変えられるし、力は入っているんですけど、それが硬くならずに出来たんです。
多分、もともとハンドボールをやっていたので、観客の声の中でやっていたのも影響しているんでしょうね。

──拍手する時に絶対に歩幅と合わないじゃないですか。やりにくくないのかな、と思ってしまうんですが…

初めは合わそうと思ったんですけど、まあ合わないんですよ(笑)。
だんだん早くなりすぎると自分も早くなっちゃうんです。でも、本当にアウェイの環境でやりますし、どうしても体力と共に心も削られてくるんです。
力をもらうために協力してください、って意味の拍手なので、なんでも良いんですよ。

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──走り高跳びで日本人初のパラリンピック出場、そして、5大会連続入賞という偉業を成し遂げている鈴木選手が、パラリンピックを通して得たものがあれば教えてください。

おそらく日本ではシドニーパラリンピックの頃までテレビとか新聞でもほとんど報道していなかったんです。
僕が試合会場に行っても、何百人くらいしかお客さんが入っていないですし、テレビでももちろんやりませんので、僕が代表に入っても周囲の方は分からないんです。
それが2008年ぐらいですかね、北京のパラリンピックの時にはテレビとかで扱ってくださって。小学生でもパラリンピックを知ってるので、すごく自分としても活躍する場所を見出せたなあと思いますね。
その前まではどうしても障害者スポーツでいうとリハビリからの延長上だったので、競技スポーツとしての見られ方をされていなかったんですよ。今ではアスリートとして扱ってくれてますし、
すごく嬉しかったのが、それまでメディアでは鈴木徹”さん”だったのが鈴木徹”選手”になっているんです。これって小さいことなんですけど、やっとスポーツ選手として見てもらえたっていうのを5大会の間に感じることができたのはすごく嬉しいですよね。

──毎回、ゲストの方にお気に入りの一曲を伺っていますが、
鈴木徹選手がよく聞いている曲や、心の支えになっている曲などはありますか?


清貴さんの「My Victory」です。
実は、この曲はリオが終わった後に作られていて、僕、清貴さんと面識があるんですけれど、僕のための曲でもあるんです。
うまくいかなくても、もう一回頑張ろうっていう曲なんですけど、リオの後はこの曲を聴きながら頑張ってこれました。

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──2020年の東京パラリンピック、ずばり目標は?

東京に決まる前は怪我をずっとしていて、膝に痛みがある状況だったので30歳くらいで引退する予定だったんですね。
でも、開催地が東京に決まって、良い治療法にも出逢いまして、もう一回頑張ろうって思わせてくれたのは東京大会が決まったからだと思います。
40歳という節目の大会でもあるんですけど、正直40歳の時の身体がどうなっているか分からないんですよ。
なので、チャレンジしかないですね。東京大会で金メダルを取ることが最大の目標です。

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