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17.09.30
指導の根底にあるもの
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今週の「Athlete News」は、名将シリーズ第1弾、かつてPL学園野球部を率いた名将中の名将、中村順司監督をお迎えしました。

中村順司監督は、1946年、福岡県生まれの71歳。
PL学園では内野手を務め、名古屋商科大学、社会人でプレー後、PL学園のコーチを経て80年に監督就任。
翌年の春から以後84年春の甲子園決勝で敗れるまで20連勝と無類の強さを誇りました。
桑田、清原のKK在学時は5シーズン連続で甲子園に出場し、83年、85年夏に優勝。
87年は、春夏連覇を達成しました。PL学園を18年間率いて、98年の選抜を最後に勇退。
現在は、名古屋商科大学の総監督を務めていらっしゃいます。



──甲子園での勝利数は、歴代2位となる58勝を誇る中村監督。
まず、PL学園をどのようにして常勝チームへと変えたのか伺いました。


全員が同じ練習メニューの中でやっていく。そして僕はウォーミングアップして、キャッチボールして、ノックして…。
2、3箇所でバッティング練習をして、全体の練習はそこで終わるわけです。
それで終わった後に30分間、自分の課題をテーマに自主練習。
ベンチやグラウンドの中、雨天練習場などを見回りながら僕がアドバイスをする。そういう自主練習を毎日やっていましたね。
例えばトスバッティングをやるにしても、
自分の練習が終わったらトスをあげてくれた後輩に10球でもいいから打たせてアドバイスしてやれと言ってましたね。
自主練習という形でやってきたことは、先輩、後輩のつながりっていうのがグラウンドの中であったり、
また、上級生に下級生がゴロ取りを教えてやってみ、とか。
トスで受けたボールを握ってスローイングする時のグラブをどうやって使うか教えてごらん?
とか言いながら、そういう練習方法を上級生と下級生に教えたことは、非常に良かったのではないかなと思いますね。

──中村監督が監督になるまでは、レギュラーと補欠を分けて練習していたが、一緒に練習させることで全体のレベルアップを計ったのだそう。
PL学園を甲子園常連校に育て上げた中村監督ですが、その指導の根底にあったものはなんだったんでしょうか。


コーチ時代の4年間はレギュラー選手が故障したりすることもありました。
当時、投手の西田は投打に活躍していて、一人で投げぬくことが多かったんです。
それで彼が「肘、肩、腰が痛い」という事を言った時に、
もちろん彼だけじゃなく、当時、同級生には金石もいまして、
彼は成長期で背骨が蛇行しているといった事があったり、
そういう事で治療に連れて行ったときに先生から状況を説明されて、その結果を監督に報告する訳です。

特にレントゲン写真を見せられて、首の骨、首と腰との関係などを説明されまして
そういう事を上手に使う事がケガ・故障の防止に繋がって、
身体能力を正しく使えるのではないかという事を思ったのが僕の4年間のコーチ時代でした。
監督になってからは「投げる、取る、打つ、走る」といったときに、
ケガをしない体の使い方を説明しながら、故障をしない選手になって、
将来は高校で終わるのではなく、大学・社会人になっても野球をやるんだぞ、という事を言いながら指導させていただきました。
だから僕は甲子園で全国制覇するといった事は18年間言わずにやっていましたが、
選手たちはそういうモチベーションでやっていたので、そういう点では非常に選手たちに恵まれたのかなという風に思いますね。

──高校野球界で輝かしい成績を残し“名将”と呼ばれる中村監督ですが、そもそも、監督とはどの様な役割だと捉えているのでしょうか。

僕はよく言うんです。「勝ったときは選手の活躍」「負けた時は監督の責任」でも、その中に選手達にも責任があるんだよ、と。
その責任というのは、例えば、監督からのサイン、選手同士で作ったサインですよね。そのサインを選手が見落としてはいけない。
それから、送りバント。チームのために自分の打撃を犠牲にして、ランナーを進める。
あとは全力疾走ですよね。あとは連絡し合う。
ピッチャーが投げたボールを打球が飛んでいったら指を差して「レフト頼むぜ!」「ライト頼むぜ!」とかね。
やっぱり桑田なんかでもそうですよね。
自分が投げて打ち取ったとき、ショートが取って一塁へ投げてアウトにしてから「ありがとう」とかね。
よく外野フライを打たせたらそのままマウンドから降りる選手がいますけど、しっかり確認してからマウンドを降りるとかね。
これは会社の方針と一緒で、チームの方針っていうのは一つのサインプレーですよね。
自分を犠牲にしてランナーを進めるといった事は、野球の中に社会の縮図のようなものがあるんじゃないかな、と思いますね。
野球を通してそういうものを身につけて欲しいなと思います。

──そして、中村順司監督にも恒例、お気に入りの一曲を伺いました!

僕は親元を離れて、九州の中間市からPL学園の富田林の寮に入ったんですけど、その時よく流れていた歌でもあります。
北原謙二さんの「ふるさとのはなしをしよう」
たくさん歌は聴いていますけど、この歌は僕の高校時代を思い出させる歌ですね。

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──さて、来年の夏の甲子園は、記念すべき100回大会です。
中村順司監督から、全ての高校球児たちに向けてメッセージを頂きました。


選手たちには高校3年間、野球をやって、その後の人生に活かして欲しいです。
例えば選手として、30歳ぐらいまでプレーをする。それは社会人野球であったり、企業の軟式野球、
プロ野球などでプレーできれば選手として成功者じゃないのかな。
高校野球で経験した「培った努力」や、そこで出会った人たちと接しながら、その後に人生に活かせればいいんじゃないかと思います。
そして、高校最後の夏を悔いのないように頑張って欲しい。
甲子園に出れる人、出れない人いるかもしれませんが、一番、多感な時期である高校三年間を野球に没頭して、
「苦しかったこと」「悲しかったこと」「楽しかったこと」「友人との出会い」を大事にしてその後の人生に活かしてほしいですね。


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