Athelete News
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16.09.10
明日への一歩 つなげる想い
今週の「Athlete News」は、日本のパラリンピック選手を支える、スポーツ義足製作の第一人者、臼井二美男さんにお話を伺いました。


──「カリスマ義肢装具士」とも呼ばれる臼井さんですが、アスリートの方の義足も作られていますよね。それはどういうきっかけですか?

いまはパラリンピックの選手とか育っているんですけど、25年くらい前、10代の男の子でも義足で走るということができなかったんですよね。

──そもそも走ることを想定していなくて、歩くまでということなんですね

リハビリというのは本来そうで、生活できたら退院みたいな感じなんですね。

──アスリート用の義足はどうやって発展していったんですか?

最初は日本に部品がなかったんです。
25年くらい前に、アメリカやドイツで義足でスポーツをする人がだんだん出てきて、それに合わせて、それに向いた部品が商品化されてきたんですね。
早速仕入れてみて実験的にやったんですけど、自分が担当している10代の子につけてもらって一緒に走る練習を始めました。

──その方の反応はどうでしたか?

予想外というか、「ただ走れたらいいね」なんて言ってたんですよ。たった5歩走れた時に、その子が泣き出したんですね。
足を切って7年、10年とか、走るというのは自分にはない動作だと諦めていたんです。
そうじゃなくて、練習と部品があればできるということが分かって、その感動で涙を流して。それを見て”やる価値があるな”と、その連続みたいな感じですね。

──アスリート用の義足というのは、練習しないと、走ったり跳んだりできないものなんですか?

できないですね。皆さん切断面の形が違いますから。人間の足の裏って、かなり丈夫にできているんですよ。
ところが、切断面は柔らかくて骨もあるので。そこに、だいたい体重の4倍くらいかかるんですよ。そこで受けないといけないので、義足はちゃんと合ってないといけないし、皮膚を鍛えないといけないんです。
そこにたどり着くまでは、練習したり、義足の調整をしたりしますね。

──これまでに、東京オリンピック誘致で活躍した、走り幅跳びの佐藤真海選手や、リオパラリンピック代表の鈴木徹選手
以前、この番組にもゲスト出演してくれた高桑早生選手らも、臼井さんが手がけた義足を使われているそうですね


そうですね。特に鈴木君が、日本で最初に2000年のシドニーでスポーツ義足を履いて走り高跳びに出てくれましたね。
一緒にシドニーに行ったんですけど、トラックに立っている姿は感動的でした。

──陸上競技以外に、自転車競技、ヨットやボート用さまざまな義足を作ってらっしゃるそうですが、だいぶ違うものなんですか?

やっぱり水に濡れてしまうと錆びてしまうので、錆びないようにするとか、できるように濡らさないようにするとか、そういう工夫はしています。
いま、トライアスロンの選手とかいるんですけど、泳ぐときは義足を外すんですけど、自転車とランニング、それをいかに早く履き替えるか、そういう工夫をしています。
履き替える時間、1分をどうやって30秒にするかとか、そんなことも今やっています。

──新たにどんな競技の義足を作ろうとしてるとか、あるんですか?

いまはトライアスロンですね。今年のリオから初めて選手が出るんですけど、全部初めての挑戦みたいな感じですよね。

──義足を作るときに、心がけていることはありますか?

基本的には、みんな走れないんですよ。1000人いても、ほとんどの人が今も走れない。
生活用の義足を作る中で、その人がチャレンジしたくなるような義足というか…スポーツをやってもいいし、ファッションショーに出たいとかね。
ダンスがやりたいとか、そういう前向きな気持ちになるような義足を作る、そういう気持ちでやっています。

──ご自身でも切断障害者のための陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス」を、運営されてらっしゃるんですか?

ちょうど25年くらい、月に1回なんですけどずっとやっています。誰でも走りたい人は来てくださいと、小学生から75歳くらいまでいますね。
義足になって50年間、一度も走ったことがないという方がいるわけですから。そういう方が、「100メートル走ってみたい」と、そういう方も来ていますね。

──毎回、ゲストの方のお気に入りの一曲を伺っています。臼井さんがよく聞いている曲、これまでの人生の岐路で聞いてきた曲などはありますか?

入社したときに、切断する理由で病気の方もけっこういらっしゃるんですね。
中には転移して亡くなってしまう方とかいて、いまも義足を作っていると、そういう場面もあるんですけど。
その頃に、ユーミンの「ひこうき雲」が流れていたんですね。
若くして亡くなった子供の話なんですけど、この曲を聴くと”もうちょっと、仕事頑張らないとな”と、思うんですよね。

──普段、パラリンピックアスリートと接していると、思うこと、感じることはあるんですか?

ありますよね。病気を乗り越えてスポーツに向かっていくという方もいるし、事故を乗り越えて…いろいろな方がいますからね。
アスリートになる前に、乗り越えてきてる人がほとんどですから。
そこに行けなかった子供さんがいますから、そんなことを思いながら。

──最後に、義肢装具士という仕事を通じて、臼井さんが得たかけがえのないものとは何でしょうか?

元気な義足を履いている仲間がたくさんできたことですね。
僕と関わることで、義足でできることが増えた人が、少しずつ数が増えていますので。それがすごくありがたかったですね。