Athelete News
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16.09.03
4年後の東京、その先の未来へ
今週の「Athlete News」は、アテネ、ロンドン・パラリンピックの、車いすマラソン日本代表、花岡伸和選手にお越しいただきました。

花岡伸和選手は、2004年のアテネパラリンピックの車いすマラソンで日本人最高の6位、ロンドン大会でも5位に入賞されました。
現在は、「車いすマラソン」から「ハンドサイクル」という、手でペダルを回して進む自転車競技に転向され、現役でプレーするかたわら、日本パラ陸上競技連盟の副理事長を務めていらっしゃいます。
リオ2016パラリンピック、車椅子マラソン、そして、日本の車椅子競技の現状を伺いました。



──車椅子マラソンは健常者マラソンとい、42.195キロと同じなんですよね。タイムはどのくらいかかるんですか?

僕が初マラソンを走った時でも1時間48分で走れたので、足で走るよりはずっと速いんですけど。いま、車いすマラソンの世界で一番早いタイムは1時間20分14秒です。

──となると平均時速は?

世界記録になってくると、30キロ以上になりますよね。
ママチャリを全力で42.195キロ走れば、それくらいのタイムかなと思います(笑)。

──今回のリオパラリンピックで注目されている選手は?

メダルの可能性のある選手が何人かいるんですけど。僕としては、自分が現役時代に一緒に頑張ってきた仲間であった選手たちに、頑張ってほしいなっていう気持ちが強いですね。
男子でいけば副島選手、女子の土田和歌子選手、彼らとはアテネとロンドンと2大会行ってるんですけど、本当に努力家で、努力で結果を出すというタイプの選手が副島選手とか土田選手ですね。ただ、まだパラリンピックのマラソンで満足したことがないんですよね。
土田選手は、アテネで銀メダルをとっているんですけど、北京、ロンドンと転倒してるんですよね。
副島選手は、アテネは振るわず、北京は絶好調で行ったんですけど、転倒。ロンドンも調子良かったけど、接触して転倒という不運続きなんですよね。
世界のメジャーレースで勝てるくらいの選手なので、メダルの可能性があるんですけど、なかなか運まで恵まれない2人なので。今度のリオでは運まで味方につけて、自分のやりたいことを42.195キロの中ですべてやり切るような、そういうレースにしてもらえたらいいかなと思っています。

──競技の中では転倒も多いんですか?

集団で走っていると、自分の走りたい場所をとるために隣の選手とも距離が近いですし、手の触れ合いとか、ホイールが擦れ合ったりとかっていうのを当たり前にやっているような感じなので、その中で車輪を相手の選手に持っていかれると”バタッ”と、ひっくり返るんですよ。
選手それぞれ気を付けてはいるんですけど、勝ちたくて走っているので譲り合いとはならないですよね(笑)。

──オリンピックの勢いで、パラリンピックもぜひ頑張ってほしいですね

幸い、リオのマラソンコースは平らなコースなんですよ。平らなコースは日本の選手は得意なので、ひょっとしたらと思っているんですけど。

──車いす競技を見るという面で、いま日本は世界と比べてどうですか?

僕が、20年少しこの世界でやってきましたけど、随分変わったと思うんですね。2020年の東京大会が決まって以降は注目度が上がりました。
アテネ大会で史上最高のメダル数だったんですけど、北京、ロンドンと世界に通用しなくなってきたという2大会を経て、リオ大会でどれくらい盛り返せるかというところですけど。
競技団体で指導にあたりながら感じるのは、まだ世界との溝は大きいのかなという気はしますね。

──その原因というのはわかっているんですか?

言い方が悪いかもしれないですけど、今まではとれたメダルしかとってこなかったというところがあったと思うんですね。
そうすると、何が起きるかというと、本当の選手強化が行えないんじゃないかと思うんですよね。
中国なんかは、アテネの前までは車椅子の選手がいないくらいだったんですよね。ところが、北京の開催が決まった途端に選手強化を始めて、今では車いすの中距離くらいのところでは、決勝に3人出場できるんですけど、3人全てが決勝に上がってくるくらいの力をつけてきてるんですよね。

国の力で急激に強くなったところもあれば、イギリスのようにロンドン大会でコツコツと、スポーツ文化として障害者のスポーツが盛り上がってきて、オリンピックとパラリンピック一つのチームでやっているんですよね。
ナショナルトレーニングセンターも別れてるわけではなくて、一箇所で科学的なトレーニングを、オリンピックもパラリンピックも同じようにやっている。そういう成果の出し方をイギリスはやってきています。

──日本はどうなっているんですか?

どちらもない状態ですね。2020年の開催が決まって、いろんな協議のうえで、ゆくゆくはナショナルトレーニングセンターを一緒に使っていこうという話になったんですけど。それが、箱が使えるようになっただけでは指導者なしでは良いものにはならない。箱の中に、よき指導者がいるという理想の状態になるには、まだしばらく時間がかかるなと…おそらく2020年には間に合わないんだろうなと思っています。
2020年をきっかけにして、日本が世界の選手強化に対抗できるような体制を整えていく、そのスタートになったらいいなと思っています。

──東京大会があるから、いま強化は始まってる段階にはあるんですか?

正直、大慌てですよね(笑)。自分自身の経験からも、数年で良くなるようなものではないと考えていますので。長い目で見て、2021年後っていうところも視野に入れながら、継続してどういう風なことができるかというのは考えていきたいなと思っていますけどね。

──毎回、ゲストの方のお気に入りの一曲を伺っています。花岡伸和さんが現役時代に聞いていた曲や心の支えになっていた曲を教えてください

僕が公務員を辞めてプロのアスリートを志したとき、2001年、コブクロもデビューした年だったんです。そのデビューシングルの「YELL」です。
安定した職業からプロのアスリートに…となったときは不安もあったんですけど、その背中を押してくれたのがこの曲だったので、要所要所で聞いています。

──特に心に残ったフレーズなどはありますか?

最初がすべてかなと思うんですけど、「どんなに小さなつぼみでも…春には花が咲く」っていうところがあるんですけど、その気持ちで僕もコツコツ頑張ってきて、パラリンピック出場を果たして、ロンドンでは満足のいく結果を残せたかなと思っているので。

──最後に、花岡選手の夢を教えてください

突拍子もないかもしれないんですけど、僕の夢は笑って死にたいっていうのが夢なんですよ(笑)。
理由があって、いろんなことを一生懸命日々やってたら、満足して終わりを迎えられるんじゃないかと思うんですよね。
ロンドンのマラソンのフィニッシュでそんな気持ちになれたので、自分の人生のフィニッシュには、やりたいことをやりきって、悔いのない状態で死ねたらいいなと。
そしたら笑えるんじゃないかと思うんですよね。