Athelete News
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16.04.02
モータースポーツに魅せられて
今週の「ATHLETE NEWS」は、レーシングドライバーで、今シーズンから「チームルマン」の監督に就任した脇阪寿一さんに、お話をうかがいました。


──昨シーズン限りでスーパーGT500クラスを引退されまして、今シーズンからチーム・ルマンの監督に就任されました。
ただ、ドライバーを引退されたわけではないんですよね?


一応、レースの中にもいろいろなカテゴリーがありまして、日本のトップカテゴリーと言いましても、スーパーGTの場合はヨーロッパとか、世界からいろんなドライバーが集まってくるので。
日本では開催されながら、一戦だけタイに行くんですけど。スーパーGT グランドツーリングカーという車の中では、世界で一番速いレースなんですけど、そこからは退いたということですね。

トヨタ自動車や、いろんなメーカーが車の楽しさ、素晴らしさを伝えたいと、参加型のモータースポーツを推奨していますので、一般の方が参加できるようなレース、それの目標とするようなポジションで、レースは走り続けようかなと思います。

──スーパーGT500では3度のタイトルを獲得するなど、長年トップ戦線で活躍されてきましたが、引退しようと思った理由はなんですか?

ありがたいことに「自分のやめどきは、自分で決めてください」と、トヨタ自動車に言われていて。
それを言われた瞬間、”いつまでも乗り続けよう”と思ったんですけど、それを言っていただける部分に対する責任、後続のことを考えたりとか…去年の最終戦までは、1年間ものすごく苦労して、途中、どん底を味わって”サーキットに自分より遅いやつなんて、いないんじゃないか”と、思うようなレースもあったんですね。

そこから仲間の助けがあって、復活して、最終戦をそのレースウィークの中で一番速いタイムで終わったんですね。
成績こそ出なかったけど、今シーズンもスーパーGTに乗るつもりでいたんですけど。
例えば、僕が乗り続けることによって、若手が1人そのシートをとれないとなる、その若手も、僕のところに相談に来てる若手だなと思ったり…。

自分が去年のシーズンのどん底を味わったときみたいな結果が、2016年でなったとき。今よりもモチベーション高く、モータースポーツを盛り上げようと思える自分がそこにいるであるとか。
いろんな積み重ねから、自分が一線から退くのがいいか、僕はご縁ということを大切にしているんですけど、そのご縁のタイミングじゃないかと思って、そういう決意をさせてもらいました。

──スーパーGTというのは、どういうカテゴリになるんですか?
GT500とGT300、同時にレースをするんですよね


一言で言えば、アメージング。
500というのは、だいたい500馬力の車、300というのは、だいたい300馬力の車という分け方なんですけど、そんなことはない。
何十年前からGT500、GT300はありますから。今や、もっと出てますからね(笑)。

──最初乗ってらっしゃる時と比べてどうですか?

もう、ヤバイです(笑)。いま300が、僕らが若い頃に乗っていた500タイムを上回っています。

──そんなに進化しているんですか?

例えば、戦闘機に乗ってGをかけられると、後ろで失神してしまうのってありますよね?
GT500は、横にシートをつけて横に人が乗るとブラックアウトします。そのGT500と、GT300という車が、”よーいドン!”で、同時にやるんですよ。

──スピード差があるんじゃないですか?

1周で10秒くらいなんですね。

──危険もあるのでは?

GT500にしたら、障害物競走をやるみたいなもので。GT300は、もっとすごくて。
後ろから、とてつもないロケットがボンボン飛んでくる中争わないといけない。だから、色んなところで、どんどん車がぶつかることもあるし、そこに破片が散らばる、それでパンクをしたり、色んなことが起こるんですよ。

スーパーGTに関しては、日本でも一番人気のあるレースなんですけど、ワンイベントで数万人入って行き帰りで渋滞になるくらいです。子供から、おじいちゃん、おばあちゃんまで楽しめます。
これを聴いてるリスナーの方々も、スーパーGTの会場に来て1回見ていただいたらリピーターにさせる自信があります。
僕が約束できるくらいのレースなので、ぜひ、お越しいただけたらと思いますね。

──これまでで、最も印象に残っているレースは何ですか?

2003年 SUGOというところで、最終ラップ、最終コーナーで前の車をオーバーテイクして優勝したんですけど、その最終コーナーは普段、抜きに行くようなところじゃないんですよ。
しかも、チームの本体があるピットからは見えなくて、下り坂の一番下から上ってきて、初めてゴールが見えるんですね。
最終コーナーに車が入るところが、テレビのモニターの映像で入ればだいたい優勝だと思うんです。
上ってきて、パッと出てきたのが僕の車だったんですね。
劇的に勝ちましたから、僕もガッツポーズはしてますけど、エンジンで音は聞こえないんですけど。そこに来た友達からすると、サーキット中の悲鳴というか…とてつもない地響きがするような歓声が流れてたそうなんです。

しかも、ゴールした瞬間に僕のボディがバラけて、作家の方からすると、そんなストーリー書けないというストーリーになっているんですよ。
僕としては嫉妬の部分があって、それが2003年で、2015年まで12シーズン乗り続けたんですけど、それ以降自分を超えられるバトルができないまま引退したという、自分の中の自分への嫉妬もあります。
嬉しかったのは、そのレースが終わって、ずっと僕と戦っている永遠のライバルがいるんですけど。彼からメールが来て「かっこ良かった、嫉妬した」とメールが来たんです。
それが、どれだけ嬉しかったか(笑)

──毎回、ゲストの方のお気に入りの一曲を伺っています。 脇阪さんがレース前やレース後に聴いている曲、 心の支えになった曲などはありますか?

尾崎豊さんの「 僕が僕であるために」なんですけど、それをMr.Childrensさんがカバーしてて。
”モータースポーツを盛り上げたいな”とか、いろいろ考えているときに友達がカラオケで歌っていて。
自分の思いを貫き通すためには、勝ち続けないといけないって…勝ち続けるって、ものすごく難しくて。

ある程度のところまで上らせていただいて、いろんな方々の助けで行って、そういう方々を笑顔にし続けることの難しさ、そこで悩んだこともあるし、そういう時にこの曲を聴いて、勝ち続けたいなと思いました。
彼の歌詞の中に、シチュエーションが頭に浮かんで、僕の勝負の世界とプライベートな部分とか、いろんなことがリンクする曲ですね。


来週も、脇阪寿一さんをお迎えして、新たに就任したチームルマン監督について伺います!
来週もよろしくお願いします!!