第497話 褒められたいと願う
-【軽井沢にゆかりのある作家篇】芥川龍之介-
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[2025.03.08]
「軽井沢 つるや旅館」で、病める心を癒した作家がいます。
芥川龍之介(あくたがわ・りゅうのすけ)。
大正時代を代表する文豪です。
わずか35年の生涯で、『羅生門』『杜子春』『蜘蛛の糸』など、いまなお読み継がれる名作を世に送り出しました。
その作品は、海外にも多数紹介され、幻想小説家のボルヘスは、スペイン語に翻訳された『河童』を読み、これこそ文学世界の新しい空間を切り開いた傑作! ノーベル文学賞に値すると、大絶賛しました。
芥川が、信州・軽井沢を訪れたのは、たったの2回だけ。
亡くなる数年前の、夏のことでした。
当時、軽井沢は、文豪たちが執筆のため、夏の暑さを逃れる、格好の別荘地。
芥川も、3つ年上の親友、室生犀星(むろう・さいせい)の勧めに応じて、この避暑地にやってきたのです。
ただ、彼が軽井沢を訪れたとき、心のコンディションは、決してよくありませんでした。
24歳のとき、『鼻』という短編小説で、夏目漱石から多大な評価を受け、颯爽と文壇デビューを果たした芥川は、絶えず、己の才能の枯渇を恐れていました。
さらに彼を追い詰めたのが、日本文壇に台頭してきた、プロレタリア文学。
1923年の関東大震災など、大きな災害や広がる貧富の差が、その流れを後押ししました。
反体制側から、芥川や夏目漱石の文学は、ブルジョワジー、世の中を高みから見物する余裕派、高踏派と、揶揄されたのです。
非難の最たるものは、芥川の作品を「芸術のための芸術」と決めつけたもの。
でも、芥川ほど、日常の何気ない機微や、知人友人たちとの素朴なふれあいを愛した作家は、いなかったのです。
周囲の評判と自分の思いの齟齬に疲れた彼は、心身を病み、逃げるように軽井沢の地を踏んだのです。
軽井沢の優しく清らかな風は、彼に何を教えてくれたのでしょうか。
短編小説の神様として世界にその名をとどろかす、日本文壇のレジェンド、芥川龍之介が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
作家・芥川龍之介は、1892年3月1日、東京、入船町、現在の中央区明石町に生まれた。
辰年、辰の月、辰の日、辰の刻に生まれたので、龍之介と名付けられる。
彼が生まれたとき、父は42歳の厄年、母も33歳で女性の大厄。
当時、両親がともに厄年の場合、生まれた子を、捨て子として扱う風習があった。
友人に一時引き渡し、また戻すことで、拾い子として育てる。
一家に災厄がありませんように、そんな願いも虚しく、龍之介が生まれて数か月後、母が心を病む。
甘えたい盛りに親から引き離され、両国にある母の実家の芥川家に預けられた。
12歳で、正式に芥川家の養子になる。
形式的にとはいえ、いっとき捨て子になったこと、そして養子に出されたことは、龍之介の精神形成において、大きなトラウマをもたらす。
それは、自分という人間の存在否定。
哀しい疎外感。
没後、短編小説の名手であり、寓話性の高い作品を書いたことで、ドイツの作家、フランツ・カフカと共に論じられることの多い芥川。
カフカもまた幼少期に、自己疎外、希薄な実存を経験していた。
さらに二人の共通点は、その絶望的な虚無感を、フィクションの世界で癒したことだった。
芥川家は、代々江戸城の茶道を取り仕切る家系。
文化的で、芸術に傾倒していた。
祖母は、龍之介が眠りにつくまで、毎晩、枕元で物語を諳んじた。
空想の世界に遊ぶとき、龍之介は、ようやく生きることを許されたように感じた。
芥川龍之介は、幼い頃から虚弱体質だった。
学校も休みがち。
日がな一日、家にある本を読んだ。
幸い、蔵書はいくらでもある。
古今東西、歴史書から小説、科学や医学書まで、何でも読んだ。
ただやはり、フィクションの世界にいちばん心惹かれる。
10歳のとき、友だちと小説を書き、回し読みした。楽しかった。
ある話を書いたとき、あまりに同級生が褒めてくれたので、急いで、母親のもとに走った。
かつての実家の、二階。
母はいつも、ぼんやり窓の外を眺め、タバコをふかしていた。
「お母さん、ボクね、すごいって言われたんだよ」
いくら自慢しても、母は、ただ黙って通りを見下ろしている。
やがて、さらさらと白い紙に墨で絵を画いた。
キツネの絵だった。
母はいつも、キツネの絵を画いた。
何も言わずに、キツネの絵を差し出す母。
母をこんなふうにしたのは、自分かもしれない。
龍之介は、いつものように、自分を責めた。
才能の枯渇と、新しい文学の潮流におびえて、軽井沢に出向いた芥川龍之介。
涼やかな風が、彼に生きる力を与え、金沢からわざわざ来てくれた室生犀星との語らいが、心を休めた。
そして、軽井沢で、芥川を今一度創作に向かわせたのは、あるひとりの女性の存在だった。
片山広子(かたやま・ひろこ)。
ペンネーム・松村みね子として、アイルランド文学の翻訳家として名を成していた。
芥川より14歳年上の彼女は、毎年、軽井沢に避暑に来ていた未亡人。
二人は、共通の知人を通して知り合い、やがて惹かれ合った。
プラトニックな関係を貫いたが、芥川にとって、彼女の存在は最後の救いだった。
「あなたには、素晴らしい才能がある。
誰にも負けない世界観がある。
だから、まわりのことなど気にせず、お書きなさい。
あなたにしか書けないものを、どうぞ、お書きなさい」
もしかしたら、芥川は、彼女に母を重ねたのかもしれない。
軽井沢の清らかな風と、広子の包み込むような笑顔。
その二つが彼に、もう一度、作品に立ち向かう勇気をくれた。
そうして芥川は、今も世界的に有名な『河童』を書いた。
彼は生前、河童の絵を好んで描いていた。
人間になれず、人間に憧れる、河童。
終生 過酷だった彼の人生において、この小説を書けたことは、最上の幸運だった。
7月24日。芥川龍之介の命日は、「河童忌(かっぱき)」と呼ばれている。
【ON AIR LIST】
◆女のカッパ / サザンオールスターズ
◆ゆりかごのそばで 作品47-6 / メンデルスゾーン(作曲)、バーバラ・ボニー(ソプラノ)
◆Clair De Lune / 田ノ岡三郎(アコーディオン)
◆I Wanna Be Loved / Elvis Costello
★今回の撮影は、「つるや旅館」様にご協力いただきました。ありがとうございました。
「つるや旅館」について、詳しくは公式HPよりご確認ください。
軽井沢 つるや旅館 公式HP
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