時代の象徴のひとり“西城秀樹”(2018/5/18)
金曜日はBIGLOBEが提供するツイッター分析サービス、「ついっぷるトレンド」がまとめた「トレンドワード・ランキング」をご紹介。
2018年5月18日までの一週間、ツイッターで多くつぶやかれた「急上昇ワード」を見ていきます。
第3位【 プリキュア 】
人気アニメシリーズ『プリキュア』を引き合いに、野党が安倍政権を批判するという珍しい場面が話題を呼び、たくさんのツイートで盛り上がりました。
第2位【 エルレ復活 】
先週、人気バンド、ELLEGARDENが10年ぶりのツアーを行うと発表!
エルレ復活にファンのツイートが溢れました。
ELLEGARDENが活動再開、8月にマリンスタジアム公演含む10年ぶりツアー https://t.co/LvMULOdCzW pic.twitter.com/wXw7TwcDya
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) 2018年5月10日
第1位【 地震 】
今週も1位は地震に関するツイートでした。
この1週間、ツイッターでつぶやかれた言葉の「急上昇ワード」から、今週番組でピックアップしたのは、昨日、ついっぷるトレンドの有名人ランキングで1位になった【 西城秀樹 】です。昭和のアイドルスターで新御三家として活躍し、脳梗塞と闘いながら歌手活動を続けていた西城秀樹さんが、16日、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなりました。63歳でした。
◆街の声
「すごい人気で、テレビをつければ必ず映っているくらい。カッコイイですからね、男性の理想じゃないですか。Y.M.C.A.は一番憶えていますし、他にも、ローラとか。僕はSP買っていましたよ、ドーナツ盤の小さいやつ。とにかく、残念で仕方がないです…。お子さんが3人いらっしゃって、みんなで支えていたのがすごい話題になっていましたね。本当に、お悔やみ申し上げます」(男性)
「私は今年43歳になるんですけど、小学校の運動会とかでY.M.C.A.をみんなで踊ったりして楽しかったですね。大人なら子どもまでみんなに愛されていた曲ですね、本当に子供心を掴むような曲でした」(男性)
「僕は彼と同じ歳なんですよ。今と違ってかなり限られた人たちで、突出していて、活躍してたと思うんですよね、タレントさんにしろ歌手にしろ。その中のひとりであると思うし、すごいパワーもある人だったと思います。全員で騒げるような歌手だったと思います。スポーツ好き系というか、とにかくパワーがある人でした」(男性)
「63歳という事で、やっぱり早いなと思います。新御三家ということで、西城秀樹、郷ひろみ、野口五郎、やっぱりこの3人が日本の歌謡曲を引っ張ってきたと考えています。西城秀樹は何をさせてもバツグン!ヒデキ感激!!!ですから、それこそ、8時だョ!全員集合で育ってきましたけど、いつも秀樹さんはゲストで登場して、コントもやりながら、歌もやりながら、そういった姿を見てきたので、非常に悲しいですよ」(男性)
◆新しい若者の時代
速水 西城秀樹さんのデビューは1972年。僕が生まれた歳は73年で、秀樹さんデビューは僕が生まれる前の年なんですよ。昨日、実家に帰っていまして、母親と西城さんの話をしていたら、僕がまだ1歳の頃、まだヨチヨチの頃ですよね、おばさんにあやされる時に反応する声がおばさんの「ローラ!ローラ!」という言葉で、すごい喜んでいたみたいなんですよ(笑)。幼稚園の頃は、Y.M.C.A.が流行りまして、Y.M.C.A.は有名なダンスがありますよね、みんなでY.M.C.A.って頭の上で手でね。それを、お遊戯かな運動会だったかも、その時に踊ったのが僕の記憶にある一番最初のY.M.C.A.ですね。
ちびまる子ちゃんで主題歌を歌っていましたから、若い世代にもあの時代を届けるひとりだったと思います。あの時代というのは、70年代に出てきたアイドルとか歌謡曲の時代。そこで、1972年をちょっと振り返ってみましょうか。2月に、あさま山荘事件があり、そこで機動隊達が発売されたばかりのカップヌードルを食べていて、その映像がテレビで流れ、それを機にカップヌードルが有名になった話は有名ですね。あとは日中国交正常化、これでパンダが来ました、カンカンとランランね。そして新日本プロレスをアントニオ猪木さんが旗揚げしています。
新しい若者の時代。それまでは学生運動時代、混乱の時代だったのが、ぽーんと若者のポジティブな部分が開けていくような時代になりました、そこからアイドルという文化が始まり、西城秀樹さんのように洋楽から音楽を聴き始めたような歌手が、なんか古くさいような音楽じゃなく、新しいことが歌謡曲でも出来るぞ!と思い、歌謡曲の歌手になってデビューしていくわけですけども、西城秀樹さんの場合は17歳で本当に若者でした。若者文化がこれから花開くという72年は非常に重要な年なんじゃないかなと思っていて、そこから歌っている曲というのはカバー曲がすごい多くて、ちょっと面白いのが、西城秀樹さんが歌っている、抱きしめてジルバという曲で、オリジナルを知っている人は、ワムじゃん?ケアレス・ウィスパーじゃん?と思ったと思います、イギリスで流行っているポップミュージックをカバーして日本に広めていた、もちろんY.M.C.A.(ヤングマン)もビレッジピープルというアメリカのディスコグループの曲をカバーなんですよ、ゲイをコンセプトにしたバンドの曲を、非常に若々しい若者の歌に転換しているというのが日本の歌謡曲的で面白いんですよ。日本のモノではない洋楽をいかに消化するか?みたいなところが西城秀樹さんの特色だったのではないでしょうか。
◆伝説の数々
西城秀樹がいなければアイドルがスタジアムでコンサートすることはなかったかもしれない。秀樹がラジオで「懐中電灯持ってきて!」って言わなければペンライトはなかったかもしれない。
— つーちゃん (@kakikukeko_nno) 2018年5月17日
各席の人と一緒の振り付けで踊ることもなかったかもしれない。
たくさんの伝説をありがとう秀樹。どうか安らかに。
西城秀樹が起源とされるもの
— ダイヤ (@diacryde0811) 2018年5月17日
・歌いながら踊る
・マイクスタンドを持ち上げて歌う
・コール&レスポンス
・ペンライト
功績が大きすぎる.......。
振り付けやマイクパフォーマンス、ペンライトもコールアンドレスポンスも洋楽のカバーもヒデキが初めて。スタジアムや野外ライブ、日本武道館ライブもヒデキが初めて。J-POPの土台を作った大スター西城秀樹は本当に凄い人でした。これからもあなたを想ってバーモントカレー食べます!
— ミモザ♪ (@mimosamimosam) 2018年5月17日
スタンドマイクアクション
— ゆっぴぃ☆NAKAMA?????????? (@3HScfIPafeH4BMB) 2018年5月17日
楽曲に合わせた振付けや人文字振付け
ファンとのコール&レスポンス
スタジアムコンサート ペンライト
巨大クレーンで宙吊りになったゴンドラの中での歌唱
レザー光線による演出効果
洋楽カバー
全て第一人者の #西城秀樹 さん
そしてザ・ベストテン史上一例の
満点9999点?
◆ホームもアウェイも関係ない
サッカーに嵌ってた時(いまも好きではあるけど)川渡ると川崎なので等々力でフロンターレの試合を観戦しにいきました。毎年夏の1試合、西城秀樹がYMCAをハーフタイムで歌う。私が訪れた時はF1のレーシングカーがトラックを周りその爆音と西城秀樹の歌声でスタジアムが沸いて圧倒的なスター感でした
— 晶 (@anthemAKIRA) 2018年5月18日
西城秀樹さん亡くなった事凄くびっくりしました。若い年齢だったから。2015年に川崎市制試合で清水エスパルスと川崎フロンターレだったので西城秀樹さんがYMCAを生で見れた事手を振ったら振ってくれて凄く嬉しかった。僕はここで負けた事でエスパルスは原点回帰してJ2からJ1にあがれたのかな。
— スシ (@CPoyrrNhJlYLinD) 2018年5月17日
2017/7/29
— 朕(スポーツ垢)????@PIW4/28pm・5/3am (@7tinnosuke_fc) 2018年5月17日
午後から突然の豪雨中での#フロンターレ × #ジュビロ 戦
そのHTにヒデキがオープンカーで回ってくれて
みんなでYMCAやったの
コレだ!!#ヒデキありがとう#手を振ってくれて!#西城秀樹 #お悔み申し上げます #等々力 #Jリーグ pic.twitter.com/T9XdD3qL9C
当時、川崎フロンターレには興味あるものの、等々力に足を運ぶことはなく。ふとFMヨコハマの番組で西城秀樹さんが等々力でハーフタイム中に歌うと聞き、それなら行ってみるか!と赴き、その現地観戦がきっかけでサポになったのでした。ありがとう。合掌。
— 中がめ夏紀 (@gametan) 2018年5月17日
初めてフロンターレの試合を見たのは、2004年の川崎市制記念試合だった。
— あんどー3 (@5io9X) 2018年5月17日
西城秀樹さんのハーフタイムショーが見たくて往復はがきで応募したのが切っ掛け。
ホーム、アウェイ関係なくスタジアム全体が盛り上がってて凄かったなぁ…
西城さん、安らかにお眠りください…