三協フロンテア presents The Starters(ザ スターターズ)

パーソナリティ ユージ・吉田明世20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、
彼らがどんな発想や未来への展望を持ってブレイクスルーを起こそうとしているのかお話を伺います。
高い意識とモチベーションで社会に風穴を開けようと取り組む彼らの話が、
「あなたも、世の中を変えられる!」という、
朝、仕事へ向かうビジネスパーソンのやる気のカンフル剤になることを目指してゆきます。

Guest ゲスト

2025.01.28

奨学金バンクを社会インフラに

株式会社アクティブ アンド カンパニー
CEO
大野順也さん
企業の人事、人物評価のコンサルティング、奨学金返還支援プラットフォーム「奨学金バンク」を展開



ONE MORNING「 The Starters 」
火曜日のこの時間は社会に風穴を開けようと取り組む若き起業家をお迎えして
そのアイデアの根っこにあるものや未来へ向けたビジョンを伺います。

今週のゲストは先週に引き続き、株式会社アクティブアンドカンパニーCEOの大野順也さんです。
大野順也さんは大学卒業後、企業の営業畑や組織・人事系のコンサルティングを経験され、2006年にアクティブ アンド カンパニーを設立されています。

今週は会社を創業される前後のお話を伺います。大野さんは小さい頃ご家庭で働いた成果をお小遣いでもらうというシステムのご家庭だったんですか?

「そうです。小学生の頃から家のお手伝いをした分お小遣いをもらうという教育方針というか母親がそういう人でして、食器を洗ったりとかお掃除したりとか単価が決まっていて、これ10円とか、25円とか、そういうのをやった分だけ正の字をつけて、1週間とか2週間で計算してお小遣いをもらうんですけど、僕は二つ下の弟がいるんですけど、普通に稼ぎで負けるんですよね。なので年齢とか性別とか、そういうのに関係なく、お金をもらうということに対する、成果主義というとちょっとあれかもしれないですけど、働かざる者食うべからずみたいなものが結構刷り込まれています。」

働いてお金をもらう感覚は社会人になる前からついてましたか?

「働く前からアルバイトとかでも、働いた分だけ何かもらえる、そういったものを無意識に選んでまして、兵庫県の西宮出身なので甲子園球場で球場の売り子をやっていました。」

売り子ってどういう成果報酬になるんですか?

「1個売って20円とか、それの出来高で1日のお給料が決まるといった感じです。」

大野さんは会社を作る前に一度就職されているんですよね。就職活動はいかがでしたか?

「一番最初は人材業界、パソナという会社に就職をしました。当時はバブルが崩壊する前後ぐらいで、就職氷河期みたいな言葉が生まれた時代で、さらにはまだインターネットのスタートした頃で、電話帳みたいな就職案内・会社案内を送るものを見ながら、ハガキを書いて、会社概要いただいて、セミナーに行くというそんな時代でした。」

その後、コンサルティング業界に転職をされるということで、これは先週もちょっとお聞きしたんですけど、改めてなぜですか?

「コンサルティング会社に入りたかったというよりは、人事人材に手を入れることで成長する会社ってやっぱりたくさんあるんですよね。それはパソナで派遣人材派遣をしてるときにやっぱすごくそれを感じたんですけど、人をすごく大切にする会社もあれば、ちょっと言葉選ばずに言うと使い捨てのように使う会社もあって、さらに日本のGDP70%がサービス業って考えると、人事人材をしっかりやる会社、そうやって成長させていくようなサービス、そういうことをやりたいなと思って、じゃあなんだってなったときにコンサルティング会社だったので、そこに転職をしました。」

コンサルティング会社に転職をするんですけど、そのうち独立しているわけじゃないですか。それは頭の中ではもういつか独立する前提で学んでいたのか、やっていく中で自分でやりたいというふうに思ったのか、どちらですか?

「やっていく中でやりたいという気持ちがどんどん強くはなっていたんですけど、やっぱり元々自分で会社をしたかったので、先ほどの幼少期の教育なのかどうかわかりませんけれども、そういったものも含めてやっぱり自分でやりたいと思っていたので、それを学ぶために転職をしました。」

そして2006年にアクティブアンドカンパニーを設立されました。ただ当初大きなピンチがあったそうですね?

「そうですね、2006年に創業したんですけど、最初はもうリーマン・ショックのあおりを受けて、最初大きい取引先があったんですけど、あおりを受けて創業2年目が一番苦しくて、赤字がどんどん膨らんで、今だからも言えるんですけど売上7000万で赤字5000万みたいな、いつ倒産してもおかしくないような状況もあったりとか、当時実は社員が8人ぐらいいたんですけど、やっぱり社内もピリピリしてますしニュースはめちゃくちゃ暗いニュースばっかり流れているので、小さい会社にいても仕方がないというので、一気に4人から辞めたいって言われたんですよね。僕は多分このターニングポイントが一番大きくて、そのときに人生の中で一番自信をなくしたときですね。自分が人材に力を入れて会社を大きくしたいと思って創業したのに、結局自分の足元の社員が半分辞めている、辞めさせちゃってるということで、いやもう仕事辞めた方がいいんじゃないかな、会社たたんだ方がいいんじゃないかって思いましたね。」

どうやって乗り越えたんですか?

「本当にすごい悩んでたんですよ1人で。実は創業からずっと僕と一緒にやってきてくれている今の常務が、コンサルティング会社のときの先輩なんですけど、その人が今僕のNo.2としてやってくれてるんですが、その人がこんなこともあるよ、それにめげてたんだったら、会社なんかこれから5年、10年、15年なんてやれないからやろうって言ってくれて、気持ちを切り替えてやるようになりました。」

その後も大変なことはやはりありましたか?

「そうですね、東日本の大震災もありましたし、東日本大震災のときは、3月の1日にさあやろうといって、3倍ぐらいの規模のオフィスに移転の契約をして、4月1日にそこに移転するぞといって、3月11日に地震が来たと。これもなんとか乗り越えました。コロナの時はコロナ禍で在宅ワークが非常に広がって、新しい働き方とかそういったものの入口になったので、最終的には追い風になったんですけれども、やっぱりそれでも社員の子たちをどうやって働かしていくのかとか、成果を出させるのかとか、そういうところではやっぱり都度都度山を乗り越えながら、ここまできたというような形ですね。

先週もお話ありました奨学金バンク、18年目で新しく始めたサービスでまもなく1年ぐらいですが、始めてから気づいたこととかってありますか?

「やってみて気づいたことは、480万人の人が借りていて大学生の2人に1人が300万円借りて15年かけて返してるんですよね。これだけ多くの人が関わってるにも関わらず、意外にみんながこの課題のことを知らないんだなということに一番気付かされました。」

最後になりますが、これからの夢を教えてください。

「私は社会に出てから組織人事とか人材、この領域でずっと仕事をしてきているんですけれども、やっぱり日本の働く人たち自身がもっとやっぱ元気になっていくことで日本の経済ってもっと活性化すると思うんですよ。そういった人たち自身が関わって助けられてそれを支援するような社会インフラですね、そういったものにこの奨学金バンクを育てていければなと思っています。」

株式会社アクティブ アンド カンパニーの大野順也さんにお話を伺いました。ありがとうございました。

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