2024.12.31
外食業界をもっと働きたくなる職場へ
ONE MORNING「 The Starters 」
火曜日のこの時間は社会に風穴を開けようと取り組む若き起業家をお迎えして
そのアイデアの根っこにあるものや未来へ向けたビジョンを伺います。
今週のゲストは先週に引き続き、株式会社CRISP 代表取締役の宮野浩史さんです。
宮野浩史さんは10代で渡米されて、22歳で帰国後、タリーズコーヒージャパンに入社。
カスタムサラダ専門店『CRISP SALAD WORKS』を展開する株式会社クリスプを創業されています。
今週はこの会社を創業される前後のお話を伺っていきたいと思います。まず宮野さん、高校1年生で学校を辞めちゃったんですか?
「そうですね。僕元々1981年生まれで、普通の家庭で育ったんですけれども、別にぐれてたわけでもないんですけれども、自分の行きたいところに行けなかったのかなんかでちょっとずれちゃった感じなんですかね、学校がいやになっちゃって、辞めちゃったんですよね、高1の1学期で。」
アメリカで過ごされた経験があると先週もおっしゃってましたよね。
「10年ぐらい結果いたんですけれども、親が心配して、せめて高校は行ってくれじゃないですが、裕福な家庭でもなかったんですけれども、たまたま知り合いがアメリカで留学生を受け入れるみたいなことをしているみたいのがあったんで、アメリカの高校だったらもしかしたら行ってみない?みたいなので、今思えばすごくいい話なんですけど、僕は行きたくてっていうよりはまあ行ってもいいよぐらいで、今思えば親に申し訳ないんですけど。」
アメリカの生活はどうでしたか?
「最初はもう言葉もわからなくて、学校の勉強もいい方じゃなかったんで、もう何言ってるかもわからないし、結構ストレスではありましたね。」
サポートしてくださった方はいらっしゃったんですか?
「ホストファミリーの方が中国系のアメリカ人で、元々日本生まれかなんかで日本語もできるし中国語もできて英語できるみたいな形で、元々そこのお父さんが自分でいろんな商売をやられていて、その方はすごく魅力的な方で、その方のビジネスの一つとして、天津甘栗をアメリカで売るっていう、日本で天津甘栗を売っている会社のアメリカ進出を手伝うみたいなことをやられていて、僕は高校生のときにバイトでちょっと手伝ってたんですけど、僕が高校を卒業するぐらいのタイミングで、その日本から進出してきた会社が日本の事情で何か辞めることになったと。でも栗自体は売れてるから、なんか勿体ないねっていうんで、そのホストファミリーのお父さんが、これ自分たちでやってもいいんじゃないのっていうので一緒にやんないって言われて、僕は当時18歳とか19歳ぐらいでお父さんも50過ぎぐらいだったんで、普通は一緒にやんないってうちの会社で働きなよって言うじゃないですか。その人すごい変わってる人で、いや、ビジネスパートナーでやろうよ、フィフティフィフティでいいよと。俺は最初お金を出してあげるし、やり方を教えてあげる、その代わり俺は何もしないからその後はお前が全部やれと。すごく魅力的な人で素敵な人だったんで、じゃあ僕、大学行く予定だったんですけど大学行かないで辞めますと、一緒やりますと、栗売りますと言ったらまた親が驚いて、お前大学はどうなってんだってすぐ驚いてきましたけど、そこでちょっとビジネスを学ばせてもらったっていう感じですね。」
ビジネスをやることになり、自分で甘栗を広げていくわけですよね。売れたときも結構あったわけですか?
「日系のスーパーの前とかで売ると、1日で日本円にして30万40万って売れる日もあるんですね。それが一番多いときで本当10ヶ所ぐらい、いろんなスーパーとかでやらせてもらいました。そのときびっくりしたのは、天津甘栗って当時日本でもそんな大騒ぎするもんじゃないというか、もちろん美味しいけど当たり前にあるものだからみたいな感じだったんですけど、一方でアメリカに場所が変わるだけで、これ日本で食べて懐かしいねなんて言って飛ぶように売れるわけですよ。場所が変わるだけで、同じものでもこんなに喜んでもらえるんだというのはすごく気づきになって、それがいわゆる国の逆、日本に戻ってきたときに、アメリカではサラダとかデリって当たり前にあったのに、日本ってないなって思って、それがクリスプサラダワークにつながっています。」
実際に日本に帰国された後はどうしたんですか?
「当時働いたことがなかったので、サラリーマンやってみたいなと思って、タリーズコーヒーに転職して、5年ぐらい結局働いて、創業の社長の松田さんって参議院もやられた人に気にかけてもらって、直轄メンバーみたいな感じでいろんなことをやらせてもらって、チャレンジさせてくれるすごくいい会社でしたね。」
そこから企業にはどう繋がるんですか?
「会社を辞めて、自分でテクスメクスって言われるタコスとかブリトーのお店っていうのも、それもアメリカで当たり前にあって僕好きだったんで日本でやるということでそれも5年ぐらいやって、その後に2014年にクリスプサラダワークスっていうサラダのブランドを、やっぱり元々は日本にいるアメリカ人の方とか、僕みたいに留学とかしてた方とかが喜んでくれたらいいなと思って麻布十番に開けたんですけど、実際蓋を開いてみたらありがたいことに、そういう外国人の方だけじゃなくて、日本人でそういう文化を元々知らない方からもこんな店できないかなと思ってたんですよとかいいねってすごく言っていただいて、だったらもっといろんな人に食べていただきたいなっていうんで、あれよあれよといつの間にか今30店舗くらいになりました。」
1個気になったのはそのビジネスとして展開していくターゲットはすごくいいなと思ったんですけど、例えばその日本でやるには野菜を仕入れなきゃいけないというところがあって、こういうルートとか、その辺のコネクションはあったんですか?
「元々はそんなになかったんですけれども、10年かけてそれこそ各産地の農家さんだったりとか、流通会社さんとかとの信頼関係を作ってきて、それこそロメインレタスなんか10年前ってスーパーにもほとんど売ってないし、農家さん側も全然作りたがらな買ったんですけど、僕らもずっとやってきたんで今100t以上年間で路面レタスで仕入れるようになって、ありがたいことにロメインレタス作りたいよって言ってくださる農家さんとかもどんどん増えてきてくださって、すごく嬉しいです。」
最後にこれからの夢を教えてください。
「おこがましいんですけれども、日本の外食の業界、もっともっとよくなるのかなと思っていて、なので素敵な業界になって、若い方の中で今まで外食は面白いけど職場としてはどうかなって思ってたような人たちも、もっと働きたくなるような場所になるお手伝いを少しでもできたらすごくいいなって思っています。」
株式会社CRISPの宮野浩史さんにお話を伺いました。ありがとうございました。