三協フロンテア presents The Starters(ザ スターターズ)

パーソナリティ ユージ・吉田明世20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、
彼らがどんな発想や未来への展望を持ってブレイクスルーを起こそうとしているのかお話を伺います。
高い意識とモチベーションで社会に風穴を開けようと取り組む彼らの話が、
「あなたも、世の中を変えられる!」という、
朝、仕事へ向かうビジネスパーソンのやる気のカンフル剤になることを目指してゆきます。

Guest ゲスト

2024.06.18

世の中を、社会を、日本を良くしたい

株式会社ジーリーメディアグループ
代表取締役
吉田皓一さん
台湾人・香港人向け日本情報メディア『樂吃購!日本』を運営



ONE MORNING「 The Starters 」
火曜日のこの時間は社会に風穴を開けようと取り組む若き起業家をお迎えして
そのアイデアの根っこにあるものや未来へ向けたビジョンを伺います。

今週のゲストは先週に引き続き、株式会社ジーリーメディアグループ 代表取締役の吉田皓一さんです。

吉田皓一さんは、防衛大学校を経て慶應義塾大学卒業後、朝日放送に入社。3年勤務したのち退職、2013年に台湾でジーリーメディアグループを創業。台湾をはじめとしたアジアと日本をむすぶ事業を展開されています。

今週は吉田さんのこれまでについて伺います。防衛大学校に入られたとご紹介したんですが、きっかけはなんだったんですか?

「父の実家が神戸で、小学生のときに阪神大震災がありまして、そこで活動される自衛官の方々の姿を見て僕もなりたいと思って、なるんだったら防衛大学校がいいかなということで入ったんですが、簡単にいうと決まったことを決まった通りにするのが苦手だなというのもあって、そのままいても税金泥棒なるわけだけですから、1年足らず、その年の10月に辞め翌年にはもう別の大学に入り直しました。」

中国語も慶応大学で勉強されたということですが、大学に入ってはもう勉強漬けの毎日だったんですか?

「今ほどいろんなアプリケーションとかツールがあるわけじゃないので、ずっと中国語のCDを擦り切れるほど聞いてたといういう感じですかね。それでHSKといういわゆる中国語の試験の一番上の級と、中国語検定は準1級まで取りました。」

勉強がすごいできて、慶應大学に入って、中国語もCDが擦り切れるほど聞いたってとても勉強熱心な大学生だったんですね。

「留年しました(笑)。」

何があったんですか?

「学校行けなかったですね。駅降りて右に行ったら学校あるんすけど、なんかわかんないけど降りると左曲がっちゃって、カラオケやと昼からやってる居酒屋があって、そっちしかしてなかったかも知れないですね。」

台湾との繋がりができたきっかけは何だったんだんですか?

「これも本当留年のおかげで留学できたということですね。留年して結局谷が2単位とか4単位取り残しただけなので、暇な時間があるんですよ。うなるほど時間があるので、台湾に半年間留学をしまして、そのときも既に喋れるようになってるので、喋れるようになってから行く留学はまぁ楽しくて、まず学校行ったんですけど、学校行けなくなっちゃって、学生ビザなんでそんなにバリバリ働けないんですけど、その制限の範囲内でバーテンダーをやってました。台北の会員制のバーでして、結構財界の方とか、芸能人の方が来るところで、そこでご縁はいただいたかなと思います。今の仕事でもご縁が続いてる方もたくさんいました。」

大学卒業後は放送局の朝日放送に入社されているんですが、どうして放送局に入られたんですか?

「真面目な話をしますと、ソフトパワーというキーワードがありまして、20世紀はハードパワーの時代だと、各国が興行力とか軍事力を競う時代だったと、で21世紀はソフトパワーの時代で、世界から共感される、あるいは支持される力というのがその国の国力だというのを防衛大学校の時に学びまして、ソフトパワーって何だというとコンテンツだと、コンテンツを一番持っている会社は日本だと。どこだというと放送局だと。放送局の中でも、朝日放送は当時台北支局を持ってたので、自分の力を発揮できるんじゃないかなと思って決めました。」

ですが3年で辞めてしまったんですね。

「そうですね。なかなかラジオ局で言う話じゃないですけど、日本の放送業界はなかなか内向きでドメスティックなんですよね。海外で何かやりたいっていうとそういうのじゃないかなという。それよりもテレビ局の場合だとシェアを取りなさいとか視聴率を取りなさいとか、もちろんそれ間違ってないし、そもそも新入社員にそんなこと言われたくねえよっていう気持ちだと思うんですけど、当時は僕も若気の至りというか、これ以上は待てませんということで3年で辞めました。」

退社した後は何をされてたんですか?

「先週も少し申しましたがうちも自己資本でやってて、十数年前って今のようにスタートアップに投資家やVCのお金がどんどん入っていくようなスキームがなくて、貯めたお金がどんどんなくなるので、当時まず大学の先輩の会社を手伝いつつ、何か商売のため、台湾、中国、海外で発展する何かないかなというのを探していたのが2010年・11年ぐらいですね。」

ジーリーメディアグループを作るきっかけは何だったんですか?

「これはFacebookですね。いろんな失敗をする中で藁にもすがる思いでFacebookページを作ってみたら、当時まだインフルエンサーみたいな人がいなかったので、半年で10万人ぐらいフォロワーがついて、これは商売になると思って法人化して、そこから元々テレビ局の営業やってたので、そのノウハウと人脈を生かして、日本国内の広告代理店の皆さんに、これから日本に外国人いっぱい来ますから、一緒にメディア売ってくださいと。大手の代理店さんからは大体断られたんですけど、元々ご縁がある中小の広告代理店の方から吉田くんには前職お世話なったからちょっと売ってみるよということで、そのちっちゃい関西の代理店さんと一緒に毎日テレアポやったり、飛び込み営業したりとかしてました。」

台湾というのは、今何のメディアが流行ってるんですか?

「メディアで言いますとSNSですね。逆にテレビはもう100チャンネルあるので、視聴率1%取れないですね。1%とったらすごいです。一方でYouTubeはみんな見ています。あとFacebookの利用率は世界で一番です。」

そんな中でも吉田さんはFacebookで80万人ぐらいのフォロワーがついたわけですが、どういうことを書いたんですか?

「最初の頃はもう本当日常の何でもない、それこそ桜の開花予想が気象庁から発表なりましたみたいなことを書いたり、当時ですけど深田恭子さんが痩せて綺麗になったみたいな、要はたわいもないことを書いてたんですけど、見てくださってる方にとってはやっぱ面白い情報だったみたいです。」

台湾の方に日本の魅力を発信してるからこそ、ここは日本の強みになるだろうなというポイントってどんなところがあると思いますか?

「一番は日本列島が縦に長いということじゃないですかね。北海道でスキーやスノボができる、同じ日に沖縄ではダイビングできるとか、その強みというのはもう圧倒的ですね。」

最後に、これからの夢を教えてください。

「世の中を、社会を、日本を良くしたいと思って商売していますが、それでもやっぱり利益は出さなきゃいけないんで、その利益と社会貢献というのを両立できるなら何やってもいいと思ってますから、手前味噌ながらうちの社員みんないけてるやつが揃ってますので、一緒にこれからも楽しい事業を1個1個作っていきたいと思っております。」

株式会社ジーリーメディアグループ 代表取締役の吉田皓一さんにお話を伺いました。来週もよろしくお願いします。


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