ON AIR REPORT オンエアレポート

3月6日 ヨハン・セバスチャン・バッハ①

11/03/07


3月第1回目は、3月生まれの大作曲家、ヨハン・セバスチャン・バッハの人生&音楽を特集しました。
実はこの2月、3月という時期に生まれた作曲家は他にも結構たくさんいるんですよ。
例えば、2月生まれでは先週とりあげたリストの師匠、チェルニーや、メンデルスゾーン、ワーグナー、ロッシーニ、ヘンデルなど・・・3月にはショパン、ヴィヴァルディ、ラヴェル、ハイドン、その他多数。

●「音楽の父」と呼ばれるバッハの人生(30 代後半まで)
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・1865年3月21日、ドイツ中部、テューリンゲン地方のアイゼナハで生まれました。
・幅広いジャンルにわたって作曲を行い、オペラ以外のあらゆる曲種を手がけ、その数1000曲以上。
・幼い頃両親を亡くし、その後兄から音楽教育を受けますが、兄からあたえられた教材に満足でき ず、兄秘蔵の楽譜を持ち出して夜毎秘かに書き写した、という逸話はよく知られています。
・15歳のバッハは自立の道を選んで北ドイツの町リューネブルクへ移り、ミカエル教会付属学校の給費生となり、聖歌隊で歌うのと同時に、オルガニストとしての腕も磨き、この頃からオルガン曲やクラヴィーア曲の作曲を開始しています。
・18歳から21歳までアルンシュタット(テューリンゲン地方)でオルガニストとしての職を務めました。そこで最初の妻(バッハは生涯で2度結婚)、マリア・バーバラ・バッハと出会い、翌22歳で結婚。(マリアとは父親同士が従兄弟という遠い親戚にあたる。その後 5男2女をもうけるが、1720年バッハが35歳の時、マリアが急死。)
・その後、ミュールハウゼンでの教会オルガニスト(21歳〜23歳)、ヴァイマールでの宮廷オルガニスト(23歳〜32歳)の経験を重ね、オルガニストとしてのバッハの名声はドイツ各地に広まっていきました。
・32歳のときにケーテンの宮廷楽長に就任(1717〜1723年。32歳〜38歳)。
・当時のケーテンの宮廷楽団には優れた器楽奏者がおり、バッハはそのメンバーのために数多くの器楽曲を作曲。ソナタ・組曲・協奏曲等の主要な器楽作品は殆どこの時代に作曲されています。
・クラヴィーア作品が集中的に書かれたのもこの時期で、主に弟子の教育や家庭での演奏を目的として2声と3声の《インヴェンション》(BWV 772〜801)、 24の長調と短調を用いた《平均律クラヴィーア曲集第1巻》(BWV 846〜869)、《イギリス組曲》(BWV 806〜811)、《フランス組曲》(BWV 812〜817) などがあります。
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●バッハのクラヴィーア作品について

私たちに馴染みのある「ピアノ」は、当時発明されたばかりで、まだ試作品の段階でした。その後徐々に改良されていき、ショパンやリストの時代に現代のピアノの形が出来上がって行きます。
バッハのクラヴィーア作品は主にチェンボロ、オルガン、クラヴィコードの3種のいずれかの楽器のために書かれていますが、バッハ自身は楽譜に楽器を明示しなかったので、私たちは作品の音域や様式から推測するしかありません。

そんなバッハの作品を私たちはチェンバロで演奏したり、また現代のピアノで演奏したり、さらには違う楽器に編曲して演奏したりしています。たとえ本来は現代ピアノのために書かれたものではなくとも、偉大な作品には楽器をも選ばない音楽としての普遍性と多様性があるのではないかと思います。

僕もバッハの作品を現代ピアノで演奏しますが、もしバッハがタイムマシンで現代にやってきて演奏したらどんな音楽になるんだろう?!・・・なんてことを想像しながら演奏しています。

バッハの作品には、まだまだたくさんの名曲があります。
来週も引き続き、新たなバッハの魅力をみなさんと一緒に発見できたら思いますので、
どうぞお楽しみに♪

<オンエア楽曲>
♪M1 《小フーガ ト短調》(BWV578)
♪M2 《ブランデンブルク協奏曲 第5番》(BWV1050)より第1楽章
♪M3 《イギリス組曲 第3番》(BWV808)よりプレリュード

<横山幸雄の今後の予定>
● 3月9日(水)午後7時から
会場:東京、上野学園にある石橋メモリアルホール
「プレイエルによるショパン ピアノ独奏曲演奏会 第6回」があります。
曲目:パリ時代初期の遺作のマズルカ、4つのマズルカOp.17、12の練習曲Op.25 他

●5月3日(祝) 午前8時(7時半開場)〜深夜2時 終演予定
会場:東京オペラシティコンサートホール
「横山幸雄 ショパン・ピアノソロ 完全奏覇全212曲 世界記録更新チャレンジコンサート」