11/22 ピアノでめぐり逢い
09/11/23
横山幸雄です。
今日も、来年2010年に生誕200年を迎える
ショパンにまつわるお話とともに生演奏をお届けしました。
今日は、ショパン20歳の頃。
1830年11月に意気ウィーンへと向かったショパン。
前年1829年のウィーンでのデビューコンサートは大成功したにもかかわらず、
当時の人々の間では、シュトラウスのワルツが人気を博していて、
頼りにしていた恩師も病にふせっていて援助してくれないなど、
思うように演奏活動ができない状態でした。
ウィーンでの音楽活動に見切りをつけたショパンは、いよいよ1831年にウィーンを離れ、
パリへと向かうのです。
そこでは同時代の音楽家たちとの出会いが待っていました!
パガニーニやリスト、シューマンや、メンデルスゾーン、ベルリオーズなど、
当時のパリでは多くの素晴しい芸術家たちが活躍していました。
ショパンはパリ到着後まもなく、一歳下のリストと知り合い、すぐに意気投合。
リストはその人間業とは思えない超絶技巧で、時に粗野に、また時には非常に繊細な表現をしたりと、それまでのピアニストにはないタイプとして人気を博していました。
ということで、今日はパガニーニの作品、そしてそれを基に作られたリストの作品を
生演奏でお届けしました。
パガニーニ作曲 <ヴァイオリン協奏曲第二番 ロ短調 Op.7 MS 48 >より第三楽章
リスト作曲 ≪パガニーニによる大練習曲 S.141≫より<ラ・カンパネラ>
そしてもちろん、ショパンの作品もご紹介しました。
ショパン作曲 マズルカ作品7−1
ショパン作曲 マズルカ作品7−2
ショパン作曲 マズルカ作品7−3
20歳で祖国ポーランドを離れてパリまでたどり着いたショパンですが、
ポーランドの伝統的な民族舞曲 マズルカを書き続けたというところをみると、
ショパンの祖国に対する誇り、そして深い愛情を忘れずに持っていたことがうかがえますね!
横山幸雄