ON AIR REPORT オンエアレポート

バッハ、シューマン、リストに注目!

18/07/30


今夜もお聴きいただきありがとうございました。
7月末は、バッハ(1750年7月28日)、シューマン(1856年7月29日)、リスト(1886年7月31日)と大音楽家の命日が続いています。
J.S.バッハは17世紀末から18世紀にかけて、ちょうどバロック時代の後半に活躍した作曲家です。「音楽の父」と呼ばれるように、西洋音楽の基礎を築いた大作曲家で後世への影響も多大な大作曲家です。そしてその後およそ130年後に生まれたのがシューマンとリスト。二人は同じ時代に活躍しましたが、ともにバッハを学び大きな影響を受けています。
そこで今夜は、この三人の作曲家にスポットをあて、バッハーシューマン、バッハーリスト、シューマンーリストの「三角関係」?に注目しました。
<PLAY LIST>
M1 バッハ 《半音階的幻想曲とフーガニ短調》BWV.903/ 横山幸雄(ピアノ) 2017年のアルバム『ファンタジー』より

M2 シューマン 《バッハの名による6つのフーガ》op.60より 第1番/マルティン・シュメーディング(ペダル・ピアノ)

M3 リスト 《バッハの名による幻想曲とフーガ》S529/R22/マイケル・ポンティ(ピアノ)

M4 シューマン=リスト 《献呈》 S566/横山幸雄(ピアノ) 2006年のアルバム『ラ・カンパネラ 〜ヴィルトゥオーゾ名曲集〜』より

M1の作曲時期は1720年〜30年頃。バッハの鍵盤作品の中でも最高峰の一つ。
「幻想曲」はきわめて自由な形式です。(バロック時代の「幻想:ファンタジー」は、形式ばらずに自由に即興風に書かれた作品を意味している。)
「幻想曲」に続く3声の「フーガ」は長大でドラマティック。主題のはじめの4音(ラ→シ♭→シ→ド)はバッハの名前(BACH)を並び替えたものです。

●バッハとシューマン
J.S.バッハといえば、1000曲を越す作品を残した大作曲家として、さらに鍵盤楽器奏者、即興演奏の大家・・・とマルチに活躍した音楽家として知られます。しかし、65歳で亡くなってからは、一般的には忘れられた存在でした。

そんなバッハが復興するきっかけになったのが、19世紀初め、バッハ研究家であるフォルケルが『バッハ伝』を出版、1829年、メンデルスゾーンによって《マタイ受難曲》が再演、そして、1850年、バッハ没後100年にシューマンが発起人となり「旧バッハ協会」が発足。バッハ全集の刊行に取り掛かるなどがあげられます。

シューマンは、バッハの自筆譜をもとに、フーガの作曲法を学んでいたといわれています。その成果は《4つのフーガ》op.72、《バッハの名による6つのフーガ》op. 60に現れています。また、晩年はバッハの有名な《無伴奏ヴァイオリン作品(全6曲)、《無伴奏チェロ作品(全6曲)》のすべてにピアノ伴奏を付けて出版(1853年)もしています。

M2は、6曲とも冒頭にB(シ♭)-A(ラ)-C(ド)-H(シ)の主題をみとめることができます。シューマンのバッハへの尊敬の念は深く、手紙に「私の手本とする双璧はバッハとベートーヴェンです」、「私の確信するところでは、バッハには到底かないません。彼は桁違いです」などと記しています。

●フランツ・リストとバッハとのつながり
やはりバッハは特別な存在だったようで、30代の1841年と1842年、バッハにゆかりの深いワイマールでコンサートを開いた際、ト短調の《幻想曲とフーガ》の他、《6つのオルガンのための前奏曲とフーガ》をピアノソロに編曲・演奏しています。 リストの他の編曲と異なり、新たな音・旋律を追加することはほとんどなく、原曲に忠実な編曲になっています。
M3も、バッハの綴りをつかって、B(シ♭)-A(ラ)-C(ド)-H(シ)という四つの音の主題から始まる作品です。


●ともにバッハに学び、影響を受けたシューマンとリスト。良き友人関係であったといわれる二人は、互いに曲を捧げあっています。
シューマンからリストへ:《幻想曲 ハ長調 op.17》
リストからシューマンへ:《ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178》

また、編曲の達人であったリストは、シューマン作品も多く手がけています。
歌曲がもとになったものが多く、中でもM4の《献呈》はリストによるピアノ版も広く知られています。シューマンの歌曲集『ミルテの花』op.25の第1曲「献呈」を、リストがピアノソロ版に編曲しました。