4月生まれの音楽家ブゾーニに注目!
18/04/09
今夜もお聴きいただきありがとうございました。
今回は、4月生まれの作曲家の中から、1日生まれのイタリアの作曲家、フェルッチョ・ブゾーニを取り上げました!
ブゾーニ・・・・ピアノを習ったことがある方はバッハの《インヴェンション》《平均律クラヴィーア曲集》の「ブゾーニ版」など、楽譜校訂者としてその名前を耳にしたことがあるのではないでしょうか。音楽理論家としても功績を残しています。ピアニスト、作曲家としても活躍しました。
<PLAYLIST>
M1 ブゾーニ 《ピアノ協奏曲》 Op.39 第2楽章 / ヴィクトリア・ポストニコワ(ピアノ)、ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指揮)、フランス国立放送管弦楽団
M2 J.S.バッハ(ブゾーニ版) 《ゴルトベルク変奏曲》より第26変奏/サラ・デイヴィス・ビュークナー(ピアノ)
M3 J.S.バッハ/ブゾーニ 《シャコンヌ》 / 横山幸雄(ピアノ)
(2006年、ラ・カンパネラ〜ヴィルトゥオーゾ名曲集より)
M1の「ピアノ協奏曲」は、全部で5楽章、演奏に1時間もかかり、最終楽章にはドイツ語合唱が登場するという奇抜な作品。ピアノ・パートも難しいわりに見せ場がない、ということで、もちろん横山さんは弾いたことはありません。
ブゾーニは「編曲」活動がもっとも高い評価をえています。M2の「ゴルトベルク変奏曲」も、コンサートで演奏するためにくり返しの省略、いくつかの変奏曲を完全にカットするなど大胆な校訂を行っています。現在は、作曲家のオリジナルを尊重することがスタンダードですが、ブゾーニが生きた100年ほど前までは、原曲に手をいれて演奏者のセンスを加えるのが当然だった時代でした。
M3は、ブゾーニの名前を歴史に残している作品。無伴奏バイオリンのためのパルティータ第2番をピアノ用に編曲。現代ピアノの可能性を最大限に追究した曲。演奏される機会も多いです
・ブゾーニは、1866年4月1日にイタリアで生まれています。母親はプロのピアニスト、父もプロのクラリネット奏者兼画家。ブゾーニは7歳で両親のコンサートに出演しています。
・数年後にはウィーンで自作のいくつかを演奏し、フランツ・リストのピアノ演奏にも接した。
・13歳で《24の前奏曲》Op.37を完成、そのほか大量にピアノ作品を作曲した。
・20歳、1886年にライプツィヒに赴き、その後教職に就く。ヘルシンキやモスクワ、その後1894年までアメリカ合衆国でも教鞭を執った。アメリカではヴィルトゥオーゾのピアニストとして演奏旅行もこなしており、有名なバッハの《シャコンヌ》の編曲も、この頃に手懸けたとされる。
・28歳、1894年にベルリンに居を構え、同地でピアニストや指揮者として一連の演奏会を行う。教育者としても活躍。
・36歳、1902年に《ピアノ協奏曲》に着手。1904年に完成。初のアメリカ・コンサートツアー
・47歳、1913年、ボローニャの音楽学校の学長に任命される。
・第一次世界大戦中は、まずボローニャに避難して音楽院を監督し、それからチューリッヒに移った。
・54歳、1920年、ベルリンに戻り、終生過ごす。
・58歳、1924年、腎臓病のために亡くなり、ベルリンで埋葬された。
来週は、「入魂のショパン2018」予習です!