12月生まれの音楽家、セザール・フランクに注目!
17/12/04
今夜もお聴きいただきありがとうございます!
12月生まれの作曲家から、ベルギー出身、フランスで活躍したセザール・フランクに注目しました。フランスの作曲家として語られることが多いのですがその中では「やや地味な印象・・、重厚な作風はオルガニストだったからでしょう」と横山さん。
<PlayList>
M1 フランク 《前奏曲、アリアと終曲》 より<アリア> / ホルヘ・ボレット( ピアノ)
M2 フランク 《ピアノ五重奏曲》 より 第1楽章 / ジャン・ユボー(ピアノ)、ヴィオッティ四重奏団
M3 フランク《ヴァイオリン・ソナタ イ長調 /矢部達哉 (ヴァイオリン)、横山幸雄(ピアノ)1997年のアルバム、『エシェゾー』より
フランクは、1822年12月10日生まれ。ちょうどショパンやリストより一回り後輩にあたり、ロマン派の時代に活躍した作曲家です。リストやワーグナーなどドイツ系ロマン派の強い影響を受け、半音階進行や転調を多く用いたり、「循環形式」(多楽章の曲で共通の主題を繰り返し登場させてまとめる手法)を用いた作風が特徴です。さらに、独自の音楽性を盛り込み、フランス近代音楽の礎を築きました。
*1822年(今から191年前)ベルギーのリエージュに誕生。幼少の頃から楽才に優れていたフランクは、父から英才教育を受け、11歳で、ピアニストとして父と共に演奏旅行を行う。
*12歳でリエージュ音楽院を卒業し、翌年には一家でパリに移住。その後フランス音楽院へ進学。パリ音楽院において様々な賞を総なめにするような神童ぶりを見せた。
*父は、フランクを演奏家として育てたい思惑があったが、フランクは作曲家を希望し、パリで作曲活動を開始する。
*作曲家として初期にはオラトリオや宗教音楽を多く発表したが、世間の評判はあまり良くなかった。そのため教会のオルガニストを兼務しながら、比較的質素な生活を送っていたといわれる。
*次第に世間に認められるようになりパリ音楽院で教鞭をとるようになる。経済的に安定し、作曲活動に専念できるように。
*1871年(49歳)、若い音楽家育成のために、サン=サーンスとともにフランス国民音楽協会を創立し、初代会長となる。
1879年から死の年である1890年までのおよそ10年間(57〜67歳)は、フランクの「傑作の森」ともいうべき時期で、それまでの鳴かず飛ばずの数十年を取り戻すかのように、フランクは次々に傑作を発表し続けます。
今夜お送りした「前奏曲、アリアと終曲」は64歳ごろ、「ピアノ五重奏曲」は57歳ごろ、「ヴァイオリンソナタ イ長調」は64歳の頃の作品です。大器晩成の人生でしたが、67歳のとき馬車との接触事故が原因で腹膜炎になり命を落としてしまいます、死後名声が高まった芸術家です。
「フランクは作品数はおおくない作曲家。コラールとフーガ、シンフォニーの傑作も残しています。」と横山さん。
次回は、横山さんの「ベートーヴェン・プラスVol4」の貴重な音源から、ベートーヴェンの誕生日を祝いつつ、2017年後半を振り返ります!
ぜひお聴きください!