ON AIR REPORT オンエアレポート

10月生まれの作曲家 サン=サーンスに注目!

17/10/02


今夜もお聴きいただきありがとうございます。

10月1日は、10月生まれの作曲家からカミーユ・サン=サーンス(1835-1921)の作品と生涯を紹介しました。
作曲家、オルガニスト、ピアニストとして活躍、幼いときには神童、晩年はフランス楽壇の大御所と呼ばれた音楽家です。

<PLAY LIST>
M1 サン=サーンス 《動物の謝肉祭》より <序奏と獅子王の行進曲>/(ピアノ)マルタ・アルゲリッチ、(ヴァイオリン)ギドン・クレーメル その他
M2 サン=サーンス《サムソンとデリラ》より<バッカナール>/(指揮)シャルル・デュトワ、モントリオール交響楽団
M3 サン=サーンス《ピアノ協奏曲第2番》より 第1楽章/ (ピアノ)パスカル・ロジェ、(指揮)シャルル・デュトワ、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

M1はサン=サーンス51歳の作品。この14曲からなる組曲はパロディ作品も多いため、純然たるオリジナルの「白鳥」以外は、サン=サーンスが死ぬまで出版も演奏も禁じられていました。

M2はサン=サーンスが作曲した13のオペラ作品から代表作。わかりやすく明快な作風のバレエ音楽、オーケストラ曲です。

M3はピアノの名手であったサン=サーンスの技量が充分生かされた「ピアノ協奏曲」。初演は自身のピアノ、アントン・ルービンシュタインの指揮でしたが、3週間で仕上げた作品、オーケストラの練習時間も短く成功とはいえなかったとか。
11月23日、関西フィルの定期演奏会で、横山幸雄さん、ヴァイオリンと指揮、オーギュスト・デュメイによる「予測不可能、衝撃のフレンチ・カーニバル」というタイトルのコンサートで、このピアノ協奏曲を久しぶりに演奏します。
14時開演、会場は大阪のザ・シンフォニー・ホールです。

サン=サーンスの生涯は。。
*カミーユ・サン=サーンス(1835−1921)は1835年にパリで生まれ、2歳半より叔母から音楽の手ほどきを受け、3歳で最初の作品を作曲し、7歳のときにピアノ演奏で聴衆を魅了するなど、モーツァルトに匹敵する神童と言われていました。1848年に13歳でパリ音楽院に入学して作曲とオルガンを学び、16歳で交響曲を書いています。
*音楽以外の分野においても秀でており、文学、数学、詩人、絵画など、その多才ぶりを発揮しました。
*1857年(22歳)に当時のパリのオルガニストの最高峰といわれたマドレーヌ教会のオルガニストに就任します。
*名オルガニストとして名を馳せ、リストからは「世界で一番偉大なオルガニスト」と賞賛され、ベルリオーズからは「サン=サーンスは何もかも心得ている。足りないのは未知の経験だけだ」と言わしめました。
*作曲家としてのみならず、文筆家としても多岐にわたる文章を発表していたサン=サーンスは、ワーグナーにいち早く注目したり、当事あまり認められていなかったシューマンを演奏し続けたり、音楽文化に対する独自の見識を実践していたといえます。
*1871年(36歳)にはフランス音楽普及のために、フランク、フォーレらとともに国民音楽協会を設立しました。フランスの作曲家による新しい音楽の奨励という目的のために、様々な演奏会も行っています。
*晩年はフランス楽壇の大御所として君臨。
*作品は交響曲、交響詩、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、室内楽作品などあらゆるジャンルにわたって膨大ですが、艶麗を極める旋律美と、熟達した作曲技法は比類がなく、また東洋的素材を好んだエキゾティシズムも魅力的です。
*1921年、アルジェリア旅行中に86歳の生涯を閉じました。葬儀は国葬で執り行われ、その功績をたたえられました。

来週、再来週は、ジャズ・ピアニストの山下洋輔さんをお迎えします!お楽しみに!