2月生まれの作曲家、ヘンデルに注目!
17/02/13
今夜もお聴きいただきありがとうございます!
まだまだ風邪にご注意くださいね!
今回は、2月生まれの作曲家から23日生まれのゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)の人生と作品をお送りしました。
ドイツに生まれ、後にイギリスに帰化した作曲家。バッハと同郷で同い年です。
<プレイリスト>
M1 ヘンデル作曲: オペラ《セルセ》より<オンブラ・マイ・フ>/(ソプラノ)キャスリーン・バトル、(ピアノ)マーゴ・ギャレット
M2 ヘンデル作曲: 《ハープ協奏曲変ロ長調》op.4-6 より 第1楽章/(ハープ)リリー・ラスキーヌ、 (指揮)ジャン=フランソワ・パイヤール、パイヤール室内管弦楽団
M3 ブラームス作曲:《ヘンデルの主題による変奏曲とフーガop.24》/(ピアノ)ウラディミール・アシュケナージ
●ヘンデルの生涯
ヘンデルは、1865年、ドイツ中部のハレで生まれました。父親ゲオルクは宮廷つきの医師で、音楽とは縁のない家庭。父は息子を法律家にしようとしましたが、音楽的才能をハレの領主に認められ、援助を受けて音楽の勉強を始め、自力で音楽家としての道を切り開いていきます。
10代後半でオペラ作曲家として軌道に乗るものの、世間のオペラ人気低迷を受け、ドイツを出てイタリアへ。
20代前半、ドイツに戻りイタリアで得た刺激やアイディアを自らの創作活動へ取り入れていきます。宮廷楽長としての地位を得るものの、新天地を求めて20代後半にはイギリスへ。人気オペラ作曲家として活躍し、その後正式にイギリスへ帰化しています。《水上の音楽》《王宮の花火の音楽》など管弦楽作品や、オラトリオ《メサイア》、オルガン協奏曲など多くの傑作を残し、
イギリスでは、ヘンデルは自国の作曲家と思われているそうです。
60代では目を患い、バッハと同じ医師にかかり手術を受けますが、バッハと同じように失明し、74歳で生涯を閉じています。
同郷、同年生まれのバッハは、現在は大きな存在ですが、当時は、ヘンデルのほうが人気がありました。
その親しみやすさを今日は感じていただけたのではないかと思います。
バッハ、ヘンデルの作品をモティーフにしたアレンジ作品は数多く存在します。
3曲目にお送りしたブラームスによる変奏曲は、ヘンデルのクラヴィーア組曲第2巻(HWV434)の第1曲「エア(Air)」からとられています。
ブラームスは、ヘンデルたちの150年ほどのちの作曲家で、この曲をはじめ変奏曲の枠を押し広げる作品を残しています。その変奏は先輩のシューマンと比べるととても論理的。この曲はクララ・シューマンによって初演されました。
来週は、チェンバロ奏者の曽根麻矢子さんをお迎えします。お楽しみに!