9月生まれの作曲家、クララ・シューマンに注目!
16/09/19
今夜もお聴きいただきありがとうございます。
今夜は、9月生まれの作曲家、クララ・シューマンに注目しました。
クララ・シューマンといえば、夫ロベルト・シューマンを支えた良き妻として以外にも、
幼い頃から天才ピアニストとして知られ、また当時としては珍しかった女流作曲家としての顔も持っていました。
1819年9月13日に生まれ、1896年に亡くなっていますので、ロマン派の時代をそのまま生きた音楽家です。
<プレイリスト>
M1 クララ・シューマン 《 ロマンス・ヴァリエ Op.3 》
ヴェロニカ・ヨッフム(ピアノ)
M2 ロベルト・シューマン 《クララ・ヴィークの主題による10の即興曲 Op.5》
イェーネ・ヤンドー(ピアノ)
M3 クララ・シューマン 《ピアノ協奏曲 イ短調 op.7》より第一楽章
ルーシー・パーハム(ピアノ)、バリー・ワーズワース(指揮)、BBCコンサート・オーケストラ
M4 クララ・シューマン《3つのロマンス》より第1曲Op.21-1
スザンネ・グリュッツマン(ピアノ)
M1「ロマンス・ヴァリエ 作品3」は1831年、クララが12歳のときに作曲、初めてロベルトに献呈し、クララの願いで、
ロベルトが10の即興曲を作りました(M2)。兄妹のようだった2人の関係は次第に恋愛へと変わっていきました。
そして、M3のピアノ協奏曲は、ロベルトがオーケストレーションを担当。
そのことが1833年11月22日のクララの日記に残されています。
1837年、クララの18歳の誕生日にロベルトはクララの父で自分の師であるヴィークに
結婚の承諾を求めますがヴィークは猛反対。
裁判にまで発展し、2人は1840年9月12日(クララ21歳の誕生日の前日)に結婚することができました。
結婚後のクララは、8人の子供を育てながら、作曲家ロベルトを支え、コンサートピアニストとして、
控えめながら作曲活動もつづけました。
しかし、クララが35歳の1854年、夫のロベルトが自殺未遂、精神病院に入院し、1856年に亡くなります。
クララは、その後子育てをしながら演奏活動をつづけ、ロベルトの作品を世に紹介し、シューマン全集の編纂も行いました。
作曲家のブラームスは、ロベルトを慕って1853年ごろから家族ぐるみで親しくつきあい、
ロベルトが亡くなったあともクララや子供たちを献身的に支えたことで知られています。
今夜は、最後に、1853年にクララがロベルトに誕生日プレゼントとして贈った「ロマンス」第1曲をお送りしました。
曲を贈り合う恋人同士から支え合う夫婦へ・・やはり、めったにない素敵な関係です。
横山さんは、「クララは早熟な天才であり、作曲した作品からたしかなピアノの腕前が感じられる、
ロベルト・シューマンや、もっと古典的なメンデルスゾーン、ベートーヴェンの雰囲気も感じました。
大人になってもっとたくさんの曲を書いていたら、どんな曲を書いていたのか興味深いですね」とおっしゃっていました。
いよいよ9月22日(木・秋分の日)は、ベートーヴェン・プラスvol.4!
東京・オペラシティ・コンサートホールで2時開演です!
そして、9月23日(金)は、ピアノでめぐり逢い トーク&ライブin福岡!
たくさんのご応募ありがとうございました!
当選のみなさまには招待状をお送りしています。お待ちしています!