2014年7月23日

7月23日 東北食べる通信 山田の海賊3

引き続き、『東北 食べる通信』6月号から、岩手県山田町の、“海賊”と呼ばれる漁師たちのインタビューです。お話を伺ったのは、山田町の漁師たちによるグループ、第八海運丸の代表、柏谷智康さんと弟の直之さん。


奥側の怖い目つきをしているのが兄・智康さん、手前が弟・直之さん

東日本大震災から数ヶ月後、柏谷兄弟は、国や県からの支援を、一切受けることなく、自分たちの力だけで、再び海へ繰り出したと言います。それは2人が、漁師として力に、絶対の自信を持っているからです。

◆震災はチャンスだった
震災後はみんな「養殖を辞める」という話をちょくちょく聞いた。「だめだ」と。でも俺らにしてみれば、もとから養殖はやっていないし、養殖筏もないし、海広くなったな〜ラッキーだなーと思った。どこでもはえ縄漁もできるし、俺の海かなみたいな感じは思っていた。やっぱり一からのやり直しなので、金持ちも貧乏も同じ。ということは腕次第。それを考えると、やったラッキーかなという気持ちは思った。(弟)俺も津波がきて、俺の時代がきたなと。腕には自信があっから、これで俺もトップいけっかなと。そんな感じ。北海道に修行に行って日本一のサンマ船にも乗って8年努めて、それだけでも自信になっているし。地元だけで漁師をしているとそこだけの人間としか出会えない。旅していろいろな人に会っていろんな船に乗って帰ってくると、地元からもすげえ奴だと思われる。地元のウニでもアワビでも自分で獲って、俺は誰にもまけねえなと、腕には自信がある。津波が着た時点で、ああ俺の海だという気持ちに。


震災はピンチではなくチャンス。そう考えた柏谷兄弟は、ベーリング海など過酷な海を経験した、腕利き漁師たちに声をかけ、漁師8人のグループを立ち上げます。

こうして集まった8人の海賊。彼らの大漁旗に書かれた文字が、『第八 海運丸』です。


◆命がけの漁師の“価値”を
第八海運丸というのは、うちの船の名前。元々は俺と弟で、俺らの獲った海産物をうってみようという話になった。今までは魚を捕って市場に揚げて仲買が買ってスーパーが買い取って消費者に行くが、漁師からは一番安い値段で獲っている。それがスーパーに行くまでにとんでもない価格になる。俺らはそうじゃない。獲る方が価格を決めて、食べたかったらその値段で買えと。獲ったものを新鮮なままで、そのまま仲買を通さずに売ることで、そのまま直接だから安い。これはシュウリ貝に例えると、これはほぼ流通していない。価値で言えば、どこまであるか正直わからない。ただ、命をかけて取るシュウリ貝の漁に、価値を伝えていきたい。(弟)俺らが荒波で獲って、消費者が「これはどこからきたのか、どこ産なのか。」表示はされているが、どこでどんな想いで獲っているのかはわからない。それをちゃんとみてもらって味わって、美味しかったというつながりが欲しくて、漁師の直送というのを作った。産地直送はありふれているが、漁師が直接売るというのをやりたくて、みんなでグループを作った。


こうして生まれた第八海運丸。メンバーは8人の漁師と、紅一点・世話役の女性が一人の9人で、今日も海を駆け巡っています。智康さんは「誰もが一筋縄ではいかない強者 漁師ばかり。海賊と呼ばれた時も、やっぱりなと、全然違和感がなかった」と話しています。

パーソナリティ 鈴村健一

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