2013年1月24日
1月24日 福島県南相馬市 原町高校 放送部が記録した311 〈4〉
今週は、福島県・南相馬市にある、原町高校 放送部が記録した、震災と原発事故に焦点を当ててお送りします。福島第一原発30キロ圏内にある原町高校の放送部員は、震災後、それぞれの家族や身の回りの状況を取材して、数本のドキュメンタリー作品を制作しました。
そのひとつが、「お父さんの仕事」。原発作業員の父を持つ放送部員・大浦美蘭(みらん)さん 当時1年生の家族を取材した7分間のラジオドキュメンタリーです。
今日は、この作品にも使われた取材音声を抜粋してお聴き頂きます。大浦さんのお父さんは、取材した学生に向かって、福島第一原発の作業へ向かう素直な気持ちを語っています。
◆お父さんの仕事
大浦美蘭さんの父親(以下、父)「なんとかしなくちゃいけない、誰がするのか考えた時に、今まで20年以上勤務して給料をもらい家族を養ってきたわけだから、当然その後片付け、復旧のお手伝いもなんとかしなくちゃいけないのかな、うちらがやらなければ誰がやるのかという気持ちで3月、4月は(原発の作業へ)行っていた。」
部員「仕事の為に寮に住んでいると聞いたが、忙しい時は家に帰れていましたか?」
父「忙しい時、特に夏は1ヶ月に1回か2回(しか帰れなかった)。今は毎週土日が休み。金曜に帰ってきて日曜日に(原発に)帰る。これが毎週。」
部員「大浦さんの仕事は特別な感じがするが自分の仕事をどう思うか。」
父「マスクをして防護服を着ているが、やっている仕事は普通の仕事。場所は原子力発電所だが、やっている仕事は表と同じ。そんなに構えなくてもいいのではないかと思う。住居はなくなり単身赴任になり、(生活は)大きく変わったが、このとおり普通。普通の家族。」
大浦美蘭さん「お父さんがどう思っているか知らないが、本当は怖いのかも知れない。そういうところを見せないようにしているのかも知れない。聞かないであげたい。だから心配しない。それが親孝行というか、親を立たせて上げるというか、そういうことだと自分は思っている」
南相馬市 原町高校 放送部が記録したドキュメンタリー、原発作業員の父を持つ放送部員・当時1年生の大浦美蘭さんの家族を描いた「お父さんの仕事」という作品から、抜粋してお届けしました。
この番組を制作した当時1年生だった原町高校の放送部員たちはこの春、学校を卒業することになります。
(左から)佐藤健司くん、高山風優香さん、鈴木千尋先生
そのひとつが、「お父さんの仕事」。原発作業員の父を持つ放送部員・大浦美蘭(みらん)さん 当時1年生の家族を取材した7分間のラジオドキュメンタリーです。
今日は、この作品にも使われた取材音声を抜粋してお聴き頂きます。大浦さんのお父さんは、取材した学生に向かって、福島第一原発の作業へ向かう素直な気持ちを語っています。
◆お父さんの仕事
大浦美蘭さんの父親(以下、父)「なんとかしなくちゃいけない、誰がするのか考えた時に、今まで20年以上勤務して給料をもらい家族を養ってきたわけだから、当然その後片付け、復旧のお手伝いもなんとかしなくちゃいけないのかな、うちらがやらなければ誰がやるのかという気持ちで3月、4月は(原発の作業へ)行っていた。」
部員「仕事の為に寮に住んでいると聞いたが、忙しい時は家に帰れていましたか?」
父「忙しい時、特に夏は1ヶ月に1回か2回(しか帰れなかった)。今は毎週土日が休み。金曜に帰ってきて日曜日に(原発に)帰る。これが毎週。」
部員「大浦さんの仕事は特別な感じがするが自分の仕事をどう思うか。」
父「マスクをして防護服を着ているが、やっている仕事は普通の仕事。場所は原子力発電所だが、やっている仕事は表と同じ。そんなに構えなくてもいいのではないかと思う。住居はなくなり単身赴任になり、(生活は)大きく変わったが、このとおり普通。普通の家族。」
大浦美蘭さん「お父さんがどう思っているか知らないが、本当は怖いのかも知れない。そういうところを見せないようにしているのかも知れない。聞かないであげたい。だから心配しない。それが親孝行というか、親を立たせて上げるというか、そういうことだと自分は思っている」
南相馬市 原町高校 放送部が記録したドキュメンタリー、原発作業員の父を持つ放送部員・当時1年生の大浦美蘭さんの家族を描いた「お父さんの仕事」という作品から、抜粋してお届けしました。
この番組を制作した当時1年生だった原町高校の放送部員たちはこの春、学校を卒業することになります。
(左から)佐藤健司くん、高山風優香さん、鈴木千尋先生