森永乳業 presents 平原綾香のヒーリング・ヴィーナス

平原綾香

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ON AIR REPORT 毎週ゲストをお招きして、その方ならではのパーソナルな“音楽の世界”を辿ります。

06/07ヴィーナスラウンジのゲスト 中孝介さん

2015/6/7 update
平原綾香さん&中孝介さん

いよいよ、今度の土曜日、6月13日から全国ツアーが始まります。全国の皆さんに会えるのをすごく楽しみにしているそう。夏休みに入ると、親戚一同で平原綾香さんのコンサートにくるなんていうご一家も多いんですって。なんだかほっこりしますね。
30公演それぞれ、違う曲をやるというコーナーもありますので、楽しみに待っていてくださいね。

ヴィーナスラウンジのゲスト 中孝介さん
今月のヴィーナスラウンジのゲストは中孝介さんです。中孝介さんは鹿児島県奄美大島出身です。プロモーション時期は、都内に泊まっていますが、いまも、奄美大島で生活されています。今週は中さんの音楽人生について、お伺いしました。

島唄と呼ばれる奄美大島の民謡は、独学だそうですね。奄美の人は、小さい頃から歌えるものなんですか?
「僕が小さい頃は周りに歌っている人は全然いなくて。親も祖父母もやってなかったですし。
全然知らなかったですね。小さいころから音楽は好きで、姉がピアノをやっていて、母親と付き添いで行っていて、そういうのを聴いて、自然に覚えて、家に帰ってきてからピアノで耳コピしていましたね。全く譜面も読めなかったです。
歌を歌うようになったのは、母親がきっかけなんですよ。歌謡曲好きで、カラオケが上手なんですね。食事の準備している時に鼻歌で歌っているのを聴いてて、あ、うまいなと思っていました。中学の頃ぐらいから、自分もカラオケ行って練習して、歌っていました。」

島唄はいつ頃マスターしたんですか?
「きっかけは、高1の時にたまたま観に行った、奄美の文化センターであったクラシックのコンサートです。そこに当時、高校3年生だった、元ちとせが島唄を歌いに来ていて、その頃から元ちとせという名前は奄美では有名だったんですよ。島唄を歌う、若い女の子ということで。毎年5月に奄美民謡大賞というコンクールがあるんですが、その年に大賞を取った、元ちとせの歌を、そこで初めて歌声を聴いたんです。もう、ビビリました。高校生でこんな歌えるんだみたいな。いや、これ高校生の歌じゃないなと思うくらい。それで、ちゃんと民謡聴いてみようと風に思って、聴いてみました。いろんな人の民謡を買い漁り、聴いて真似して、練習しました。」

それで、2000年の奄美民謡大賞では新人賞を受賞されたそうですね。民謡の世界でプロになるという道もあったと思うんですが、ポップスを選んだ理由は?
「奄美を離れたことがきっかけですね。学生時代、奄美を離れて、沖縄の大学に行ったんですよ。奄美の人と沖縄の人は同じ風に思っているかもしれないですが、全然気質が違うんですよね。奄美の人はどちらかというと保守派。守りに入る。沖縄の人は、自分たちの文化を外に発信するパワーがすごいんですよね。民謡にしても、伝統工芸や観光にしてもそうですし。ありとあらゆる分野でのプロモーション能力の高さが沖縄の人はすごいんですよ。奄美の人はどちらかというと、そういうのが下手なんですよ。不器用なんです。自分も奄美の伝統民謡を歌っている一人の人間として、何か新しいことできないのかなみたいなことを思っている時に、ちょうど今のレコード会社の社長さんが一緒に音楽やってみない?って。それは島唄ではなくて、君の声を使って、新しい音楽を作ってみない?みたいなことを言ってくれました。すぐデビューはなかったんですけど、学生やりながら、東京に2ヶ月に1回ぐらい通って、デモを録って。自分ではできないと思っていたんですが、きっかけをくれた人がいたからですね。」
来年は10周年に突入する中さん。来週は、地上で最もやさしい歌声と呼ばれる、中さんの歌声について迫る予定です!お楽しみに!『ベストカバーズ 〜夏目友人帳〜』についてなど中孝介さんついて詳しくは、オフィシャルサイトをご覧ください。

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