2023年09月30日
櫛野展正さんは、1976年、広島県のお生まれです。
2000年より知的障害者の福祉施設職員として働きながら、
広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」でキュレーターを担当されます。
その後、2016年に、アウトサイダー・アート専門スペース「クシノテラス」開設のため独立。
未だ評価の定まっていない表現者を探し求め、取材を続けていらっしゃいます。
2021年からは、「アーツカウンシルしずおか」のチーフプログラム・ディレクターに就任。
総務省主催「令和3年度ふるさとづくり大賞」にて、
総務大臣賞を受賞されていらっしゃいます。
──超老芸術家は、人生を後悔していない
茂木:櫛野さんは、元々は岡山大学教育学部で障害児教育を専攻されていて、その当時は、特別支援学校教員を目指していたということなんですけども、どこでそこからアートの方に関心が広がっていったんですか。
櫛野:これは、元々特別支援学校の教員になろうと思っていたんですけど、たまたまその募集がなかったんですよ。仕方なく、近所にある福祉施設に入ったんですけども、すごい重度の障害のある方々がたくさんいらっしゃって。
障害のある方が、例えば、お風呂の時間になったら手を引っ張ってもらって体を洗ってもらうとか、ご飯の時間だったら介助して食べさせてもらう、という姿を見て、何か自己主張できる、もう少し「自分がここにいていいんだ」という存在を、障害のある方も持つべきじゃないかと、当時新人のぺーぺーの僕は思いまして。僕は木工班に配属になったんですけども、そこにある機械をもう全部処分して、「アート活動しましょう」と上司を説得して、こういうことを始めたのがきっかけです。
茂木:当時、櫛野さんの福祉法人の上の方ともお話ししていて、すごく理解のある方々ですが、でも、そうは言っても、かなり画期的なことですよね。だから、もう福山で革命を起こした感じですよね。
櫛野:だから、例えば、本当に重い障害のある方で、別に絵を描きたいわけじゃない方だったので、画用紙を渡しても破っちゃうし、クレパスを出しても口にしちゃう方がいらっしゃって。本当に「どうしたらいいんだろう?」から始まりました。
茂木:そして、鞆の津ミュージアム。これも、あんな立派なミュージアム作るというのは、ものすごく苦労があったんじゃないですか?
櫛野:そうですね。1年目・2年目の時は、全国の福祉施設とかアート活動しているところに、休みなしで動き回って、勉強して帰っていました。そうしたところ、うちの施設でもそういう、いわゆるスター選手のような、芸術的才能を持った方が花開いていって。そこから美術館を作ろうという流れになって、ああいう美術館ができたという感じです。
茂木:これはよくある議論だと思うんですが、今「スター選手」と仰いましたが、エイブルアート、障害者アートの中でも注目されるような作品を描かれる方と、そうでもない方がいらっしゃるじゃないですか。そのあたりはよく議論になると思うんですけど、櫛野さんはどうお考えになられるんですか。
櫛野:障害のある方のアートの中でも、やっぱり先駆的と言うか早く発見されて、ある意味スタイルができている方がいらっしゃいますが…。例えば、同じ名前を繰り返し書くとかそういった方がいらっしゃれば、他の県でもそういう方がいると、どうしても二番煎じに思われちゃって、それは現代アートの世界もそうなんですけど、そういうのはちょっと悲しいところかなと思いますね。
茂木:なるほど。
アートとしての評価と、その当事者の方々の幸せとか生きがいとか、そういうもののバランスというのが、現場ではどうやって模索されてるのかな、と。
櫛野:僕は現場の支援も全部やっていたので、例えば、自閉症スペクトラムの方とかの支援と、アートを活用した支援みたいなのもあるので、自分にとっては支援の引き出しの一つがアートだったというだけです。
茂木:あくまでも、支援の引き出しの一つなんだということですね。
櫛野:そうです。
茂木:一方で、最近ではエイブルアートなどもかなり市場性が出てきて、商業化というか売れる作家さんも出て来ていますよね。それはある意味で、現場で支援する上でも役立つからいいという考え方もあると思うんですけど、そのあたりの動きはどうですか。
櫛野:実は、ちょっとそこは懸念している部分があります。例えば、面白い作品ができたからそれを商品化しようとか、販売しようというのは、現場のスタッフが決めちゃうところがあって。それというのは、実は、その人の人生を別のルートに軌道修正していることになるんですよ。茂木さんもご存知のように、特に美術の市場というのはやっぱりすごく競争主義だし、そこに乗せちゃうと、その人の人生がまた変わっちゃうので、その辺は本当に慎重にならざるを得ないといけないかなと思っていますね。
茂木:やっぱり難しいですね。でも、今日お話していて改めて思うのは、櫛野さんは、あくまでも当事者の方々の幸せというか、今でもそこにかなりの重点を置かれてらっしゃるんですね。
櫛野:そうですね。「作品を通じてその人を知ってほしい」というのがやっぱり一番で、こんな面白い人生を歩んでるとか、自分の参考にさせてもらっているというところが一番ありますね。
茂木:今までのご著作でも、それは貫かれていますね。
櫛野:ありがとうございます。
茂木:本当に皆さん、櫛野さんの本をいろいろ検索して読んで頂きたいんですけど、「アートとして、この作品がこうだ」というところは本当に最小限で、その人の人生を淡々と紹介されてらっしゃいますもんね(笑)。あれはそういう想いなんですね。
櫛野:そうです。やっぱりその人たちにもう少し光を当てたいし、すごく学ぶべき点が多いということですね。
茂木:現代は色々息苦しいとか、生き辛いというような意見も、いわゆる健常者の方々からも聞かれるんですけど。このラジオを聴いてらっしゃる一般の方々にとって、このエイブルアート、障害者アート、そしてこの超老芸術、こういうものに触れることの意味とは何だと思われますか?
櫛野:一般的に言うと、例えばアウトサイダー・アートと言うと、障害のある方のアートだと思われがちなんですけども、「何かそういう特別な欠損とか障害がないと面白いアートができないのか」と言うと、そうじゃないと思っていて。だから、“高齢者”という、誰でも通る道のアートを、僕は今推しているという感じですね。
茂木:そうか…! 超老芸術だったら、誰でも通る道だから。なるほど!
そんな櫛野さんですが、静岡県にある「アーツカウンシルしずおか」にて、来月10月3日から10月8日の6日間、全国各地で人知れず捜索を続けている、高齢の方の芸術表現を一堂に集めた『超老芸術』の展覧会を実施されます。
そして、展覧会に物理的に行けない方は、メタバース上での展覧会空間も準備中ということで。
櫛野:はい、そうですね。
茂木:これはちょっと画期的ですね。展覧会の詳しい情報は、「アーツカウンシルしずおか」の公式サイトをご覧ください。
ということで、櫛野さん。友人として11年間、どんどん活躍の領域を広げられているので、本当に嬉しいと同時に、心の底からリスペクトするんですけど。今、大学院にも行かれて、また学位を取られようとしてるということで、今後どういう方向に活動を持っていきたいですか?
櫛野:今後は、まだ自分の方向性はわからないんですけども、やっぱり高齢者の方を取材させてもらってるので、まだまだ可能性は色んなことがあるなというのは感じていますね。
──櫛野展正さんの夢・挑戦
茂木:この番組のテーマは『夢と挑戦』なんですけども、櫛野さんのこれからの夢、挑戦なんでしょうか?
櫛野:大きくて、ちっちゃいような夢なんですけど、死ぬ時に後悔しない人生を送るのが僕の夢ですね。
茂木:なんかちょっと格好よすぎるんですけど(笑)。全く想定してない格好良さでした。
櫛野:それが、超老芸術家の方々を取材していると、僕は最後に、まさにこのドリームハートみたいに、「あなたの人生はどんな人生でしたか?」と聞くんですよ。そうすると、皆「後悔がない」と言うんですよ。誰一人として、何かやり残したことがあるというのは今まで聞いたことがなくて。
茂木:ちょっと感動しました。そうですか。
櫛野:はい。だから、そういう人生を送りたいなと思っています。
●櫛野展正 (@kushinon)さん 公式アカウント / X(旧Twitter)
★静岡県にある「アーツカウンシルしずおか」にて、
来月10月3日〜10月8日の6日間、
全国各地で人知れず創作を続ける高齢の芸術表現を一堂に集めた、
『超老芸術』の展覧会が実施されます。
全国各地から集めた22組の超老芸術家による
1,500点を超える作品を一挙公開。
詳しくは、「アーツカウンシルしずおか」公式サイトをご覧下さい!
●「アーツカウンシルしずおか」公式サイト
●『超老芸術』/ 櫛野展正 (著)
(Amazon)
●ケンエレブックス公式サイト
2000年より知的障害者の福祉施設職員として働きながら、
広島県福山市鞆の浦にある「鞆の津ミュージアム」でキュレーターを担当されます。
その後、2016年に、アウトサイダー・アート専門スペース「クシノテラス」開設のため独立。
未だ評価の定まっていない表現者を探し求め、取材を続けていらっしゃいます。
2021年からは、「アーツカウンシルしずおか」のチーフプログラム・ディレクターに就任。
総務省主催「令和3年度ふるさとづくり大賞」にて、
総務大臣賞を受賞されていらっしゃいます。
──超老芸術家は、人生を後悔していない
茂木:櫛野さんは、元々は岡山大学教育学部で障害児教育を専攻されていて、その当時は、特別支援学校教員を目指していたということなんですけども、どこでそこからアートの方に関心が広がっていったんですか。
櫛野:これは、元々特別支援学校の教員になろうと思っていたんですけど、たまたまその募集がなかったんですよ。仕方なく、近所にある福祉施設に入ったんですけども、すごい重度の障害のある方々がたくさんいらっしゃって。
障害のある方が、例えば、お風呂の時間になったら手を引っ張ってもらって体を洗ってもらうとか、ご飯の時間だったら介助して食べさせてもらう、という姿を見て、何か自己主張できる、もう少し「自分がここにいていいんだ」という存在を、障害のある方も持つべきじゃないかと、当時新人のぺーぺーの僕は思いまして。僕は木工班に配属になったんですけども、そこにある機械をもう全部処分して、「アート活動しましょう」と上司を説得して、こういうことを始めたのがきっかけです。
茂木:当時、櫛野さんの福祉法人の上の方ともお話ししていて、すごく理解のある方々ですが、でも、そうは言っても、かなり画期的なことですよね。だから、もう福山で革命を起こした感じですよね。
櫛野:だから、例えば、本当に重い障害のある方で、別に絵を描きたいわけじゃない方だったので、画用紙を渡しても破っちゃうし、クレパスを出しても口にしちゃう方がいらっしゃって。本当に「どうしたらいいんだろう?」から始まりました。
茂木:そして、鞆の津ミュージアム。これも、あんな立派なミュージアム作るというのは、ものすごく苦労があったんじゃないですか?
櫛野:そうですね。1年目・2年目の時は、全国の福祉施設とかアート活動しているところに、休みなしで動き回って、勉強して帰っていました。そうしたところ、うちの施設でもそういう、いわゆるスター選手のような、芸術的才能を持った方が花開いていって。そこから美術館を作ろうという流れになって、ああいう美術館ができたという感じです。
茂木:これはよくある議論だと思うんですが、今「スター選手」と仰いましたが、エイブルアート、障害者アートの中でも注目されるような作品を描かれる方と、そうでもない方がいらっしゃるじゃないですか。そのあたりはよく議論になると思うんですけど、櫛野さんはどうお考えになられるんですか。
櫛野:障害のある方のアートの中でも、やっぱり先駆的と言うか早く発見されて、ある意味スタイルができている方がいらっしゃいますが…。例えば、同じ名前を繰り返し書くとかそういった方がいらっしゃれば、他の県でもそういう方がいると、どうしても二番煎じに思われちゃって、それは現代アートの世界もそうなんですけど、そういうのはちょっと悲しいところかなと思いますね。
茂木:なるほど。
アートとしての評価と、その当事者の方々の幸せとか生きがいとか、そういうもののバランスというのが、現場ではどうやって模索されてるのかな、と。
櫛野:僕は現場の支援も全部やっていたので、例えば、自閉症スペクトラムの方とかの支援と、アートを活用した支援みたいなのもあるので、自分にとっては支援の引き出しの一つがアートだったというだけです。
茂木:あくまでも、支援の引き出しの一つなんだということですね。
櫛野:そうです。
茂木:一方で、最近ではエイブルアートなどもかなり市場性が出てきて、商業化というか売れる作家さんも出て来ていますよね。それはある意味で、現場で支援する上でも役立つからいいという考え方もあると思うんですけど、そのあたりの動きはどうですか。
櫛野:実は、ちょっとそこは懸念している部分があります。例えば、面白い作品ができたからそれを商品化しようとか、販売しようというのは、現場のスタッフが決めちゃうところがあって。それというのは、実は、その人の人生を別のルートに軌道修正していることになるんですよ。茂木さんもご存知のように、特に美術の市場というのはやっぱりすごく競争主義だし、そこに乗せちゃうと、その人の人生がまた変わっちゃうので、その辺は本当に慎重にならざるを得ないといけないかなと思っていますね。
茂木:やっぱり難しいですね。でも、今日お話していて改めて思うのは、櫛野さんは、あくまでも当事者の方々の幸せというか、今でもそこにかなりの重点を置かれてらっしゃるんですね。
櫛野:そうですね。「作品を通じてその人を知ってほしい」というのがやっぱり一番で、こんな面白い人生を歩んでるとか、自分の参考にさせてもらっているというところが一番ありますね。
茂木:今までのご著作でも、それは貫かれていますね。
櫛野:ありがとうございます。
茂木:本当に皆さん、櫛野さんの本をいろいろ検索して読んで頂きたいんですけど、「アートとして、この作品がこうだ」というところは本当に最小限で、その人の人生を淡々と紹介されてらっしゃいますもんね(笑)。あれはそういう想いなんですね。
櫛野:そうです。やっぱりその人たちにもう少し光を当てたいし、すごく学ぶべき点が多いということですね。
茂木:現代は色々息苦しいとか、生き辛いというような意見も、いわゆる健常者の方々からも聞かれるんですけど。このラジオを聴いてらっしゃる一般の方々にとって、このエイブルアート、障害者アート、そしてこの超老芸術、こういうものに触れることの意味とは何だと思われますか?
櫛野:一般的に言うと、例えばアウトサイダー・アートと言うと、障害のある方のアートだと思われがちなんですけども、「何かそういう特別な欠損とか障害がないと面白いアートができないのか」と言うと、そうじゃないと思っていて。だから、“高齢者”という、誰でも通る道のアートを、僕は今推しているという感じですね。
茂木:そうか…! 超老芸術だったら、誰でも通る道だから。なるほど!
そんな櫛野さんですが、静岡県にある「アーツカウンシルしずおか」にて、来月10月3日から10月8日の6日間、全国各地で人知れず捜索を続けている、高齢の方の芸術表現を一堂に集めた『超老芸術』の展覧会を実施されます。
そして、展覧会に物理的に行けない方は、メタバース上での展覧会空間も準備中ということで。
櫛野:はい、そうですね。
茂木:これはちょっと画期的ですね。展覧会の詳しい情報は、「アーツカウンシルしずおか」の公式サイトをご覧ください。
ということで、櫛野さん。友人として11年間、どんどん活躍の領域を広げられているので、本当に嬉しいと同時に、心の底からリスペクトするんですけど。今、大学院にも行かれて、また学位を取られようとしてるということで、今後どういう方向に活動を持っていきたいですか?
櫛野:今後は、まだ自分の方向性はわからないんですけども、やっぱり高齢者の方を取材させてもらってるので、まだまだ可能性は色んなことがあるなというのは感じていますね。
──櫛野展正さんの夢・挑戦
茂木:この番組のテーマは『夢と挑戦』なんですけども、櫛野さんのこれからの夢、挑戦なんでしょうか?
櫛野:大きくて、ちっちゃいような夢なんですけど、死ぬ時に後悔しない人生を送るのが僕の夢ですね。
茂木:なんかちょっと格好よすぎるんですけど(笑)。全く想定してない格好良さでした。
櫛野:それが、超老芸術家の方々を取材していると、僕は最後に、まさにこのドリームハートみたいに、「あなたの人生はどんな人生でしたか?」と聞くんですよ。そうすると、皆「後悔がない」と言うんですよ。誰一人として、何かやり残したことがあるというのは今まで聞いたことがなくて。
茂木:ちょっと感動しました。そうですか。
櫛野:はい。だから、そういう人生を送りたいなと思っています。
●櫛野展正 (@kushinon)さん 公式アカウント / X(旧Twitter)
★静岡県にある「アーツカウンシルしずおか」にて、
来月10月3日〜10月8日の6日間、
全国各地で人知れず創作を続ける高齢の芸術表現を一堂に集めた、
『超老芸術』の展覧会が実施されます。
全国各地から集めた22組の超老芸術家による
1,500点を超える作品を一挙公開。
詳しくは、「アーツカウンシルしずおか」公式サイトをご覧下さい!
●「アーツカウンシルしずおか」公式サイト
●『超老芸術』/ 櫛野展正 (著)
(Amazon)
●ケンエレブックス公式サイト