2022年01月22日
反田さんは、1994年、北海道のお生まれ。
2014年チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院を経て、
フレデリック・ショパン国立音楽大学、(旧ワルシャワ音楽院)研究科に在籍。
2016年のセンセーショナルなデビュー・リサイタル以降、
毎年定期的にリサイタルやオーケストラとのツアーを全国で行なっていらっしゃいます。
2018年からは、室内楽や自身が創設した、ジャパン・ナショナル・オーケストラのプロデュースも行っており、
2021年5月にはオーケストラのための新会社を立ちあげ、奈良を拠点に世界にむけて活動を開始。
また海外での活動も増え、2020年1月にパリ、10月にはウィーン楽友協会でデビューを果たし、
現地の観客から称賛を得ていらっしゃいます。
そして、去年、2021年「第18回ショパン国際ピアノコンクール」で、
日本人としては半世紀ぶりの、第2位を受賞されていらっしゃいます。
──コンクールという化け物
茂木:反田さんは昨年行なわれました「ショパン国際ピアノコンクール」で、日本人として過去最高位の2位入賞という快挙を成し遂げられました。
実はこの番組には2017年(vol.218・vol.219)にも出て頂いています。有言実行で、ショパンコンクールで本当に素晴らしい成果をあげて…。
でも、三次予選の後、深々とお辞儀をされていた時に、どんな気持ちだったんですか? ひょっとしたら、ちょっと「あぁ…」と思ったのかな、と思ったんですが。
反田:振り返って演奏を聴いてみれば、別にそんなに悪くもないですし、ファイナリストして普通に残っていたのであれで良かったんだなと思ったりするんですけど。当の僕としては、演奏していてめちゃくちゃ緊張したんですよね。人生で一番緊張した瞬間が三次予選でした。
自分が理想としている音楽…ステージでこうやって弾くであろう音楽の目標設定を高く設置し過ぎてしまって、自分のメンタルとフィジカルが余り合わなかった。それによって、一曲目を弾きながら「あぁ…何か違うなぁ」と思っていたんです。ちょっとマインドを変えなければ、ずるずる引きずるから、ということで、二曲目からはスパッと違う方向性で演奏しようと決めて、何とか乗り切れたので良かったんですけど…。
どうしても、特に一曲目の『マズルカ』なんかは寝ても覚めても弾ける得意な作品だったし、ポーランド人の先生からも「本当に君の『マズルカ』は特別だ」と言ってくれるぐらい、自信は付いてたのに。やっぱり緊張だったり、“コンクールという化け物”がいるステージに少し飲まれかけた瞬間があったので、あのステージにいると、ちょっとしたことも自分自身として何倍にも被害妄想ではないけど、してしまったりするので…。「まぁ、取りあえず一回一回ここまで来れたし、ありがとうございました」っていう念を込めて、深くお辞儀をしました。
ただ、はける時もはけた後も、2分ぐらいずっと拍手が続いていたので。
茂木:そうですよね。聴衆の反応は良かったし。でもあの時点では、その後のインタビューもちょっと観念したようなことをおっしゃってましたよね。
反田:(笑)。「応援してくださった皆様、ありがとうございまし“た”」と言ってましたね(笑)。
茂木:あの時点では、ひょっとしたらファイナルに行けないかもしれない、と思ったんですか?
反田:もちろんコンクールですので何があっても可笑しくないですし、ここで「落としちゃえ」という先生もいるかもしれないし…。何があるか分からない、だからこそ、すごい不安でしたね。
演奏し終わって、メディアとかの取材が30分ぐらいあるんですけど、ホールにいるスタッフさん、ドアを開ける女性の方々、ホールで働いている方々が、群衆になって駆け寄ってくれて。皆すごく涙していて、「絶対大丈夫だから!」と言ってサインとかを求めてくれた時は、ちょっと元気づけられましたし、「ポーランド人は皆あなたのことを応援しているから」と言われた時はほっとしましたね。
茂木:反田さんは既にピアニストとして人気を確立しているので、「ショパンコンクールに出なくてもいいんじゃないか」という周りの声もあったそうなんですが。
反田:まぁ、リスキーでしたね。個人的にも分かるし、いつも応援してくださるファンの方々だったり、周りの言ってることも分かりますし。
僕は日本国内のコンクールの成績はあっても、海外での国際コンクールのキャリアというのはそんなになくて、一個しか受けたことがなかったので。それでも付いてきてくれる・応援してくれるファンの方々がいて。誰もが見て分かるスポーツ競技の世界ではなく、答えとしては曖昧な芸術の世界で、ファンの方々は自分を信じて反田恭平のことを応援してくださって、チケットを買っている。そんな中で、コンクールの世界的な方々がいる中で審査されて、もし万が一…ということがあったら、誰も悪いわけではないけども、少しファンの方をがっかりさせてしまったらどうしよう、という風にはよく思っていたんですよね。
──過去約15年分の分析
茂木:それにしても、反田さんは元々の才能はありますけども…。今回のショパンコンクールの準備では、“過去の演奏者のどの曲がどれぐらい評価されて、というのを正の字で書いた”とか。凄まじい情報のハッキングみたいなことをされていましたね。
反田:僕がコンクールを受けるとなれば、自分で言うのも恥ずかしいんですけど、注目はされるだろうと思っていましたし、過度な期待もされるだろうと思っていましたし。それを跳ね返せると言うか、恩を自分の力にしてしまうためには、僕には綿密な計画性が必要だった。それには少しずつ自分自身の勘と言うか、あとは自信などを鍛えて行って、出るからにはいい順位を取りたい。そこから800名分の参加者の曲目…4000曲近くを正の字で書いて行って、分析することが必要だった、ということですね。
茂木:反田さんご自身がおっしゃってますけれど、「そもそも芸術に点数や順位を付けるのはどうなのか」という話がある中で…。ショパンコンクールという場は、審査員とソリストが向き合う場じゃないですか。そこで個性を出し過ぎてもいけないだろうし、そこら辺のせめぎ合いと言うか、どうなんでしょう?
反田:その点に関しては、すごく悩みました。僕が自分で過去10〜15年分ぐらいのデータを調べて、審査員の傾向とか審査の雰囲気とかを見ていても、確信を持てなかったのは、現場を見ていなかったからなんですよね。ですので、僕は一次予選が二日目か三日目だったんですけど、一次予選が始まったらすぐに会場に行って他のアーティストを聴いて、審査員の後ろの近くに座って、“どういう風に響いているのか”というのを研究して、かつ、“審査員がどういうタイミングで審査を付けているのか”というのを見ていましたね。
茂木:ええー(笑)。どういうタイミングで付けていたんですか?
反田:20分のコマがあるとすれば、大体17分目ぐらいで審査付けているんです。
茂木:ということは、あとの3分ぐらいは…。
反田:もう後は見届けている、と。まぁそれはそうかな、とも思うのが、やっぱり最初の1分聴けば大体分かるんですよ。「この人は次(の審査)に行ける」とか。だから審査員の立場になって、飽きさせなかったり、ショパンを存分に魅せられるような演奏だったり、もしくは神髄というものを気づかせるということが必要でしたので。一次予選から、演奏しながらも“どういう風に持って行くか組み立てていこう”と考えていましたね。
茂木:ちょっと変な言い方ですけど、反田さんは賭けに勝ったわけじゃないですか。「世界が変わった」とおっしゃっていますが、今はどんな景色が見えているんですか?
反田:もう、ワクワクしかないです。今まで世界で弾きたいと思っていても、なかなかチャンスが回って来なかったり、日本でどんなに有名になろうが、根底にあるものは「世界で弾き、飛び回りたい」。それは自分で打開していかないと掴めないチャンス。皆もそうやって来たから、皆はそういうものがあるし。
だからこそ、今回それを掴んで、このチャンスをすごく大切にしたいと思っていますし、これからどういう世界が待っているんだろうか…。今までパステルカラーのような曖昧だった目標やハードルが、今くっきりと目の前に現れて、はっきりとした目標やレールというものが見えてきたので、やっとそのゴンドラに乗れるような気分でいますね。
●反田恭平 Twitter(@kyohei0901)
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●反田恭平 - YouTube
2014年チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院を経て、
フレデリック・ショパン国立音楽大学、(旧ワルシャワ音楽院)研究科に在籍。
2016年のセンセーショナルなデビュー・リサイタル以降、
毎年定期的にリサイタルやオーケストラとのツアーを全国で行なっていらっしゃいます。
2018年からは、室内楽や自身が創設した、ジャパン・ナショナル・オーケストラのプロデュースも行っており、
2021年5月にはオーケストラのための新会社を立ちあげ、奈良を拠点に世界にむけて活動を開始。
また海外での活動も増え、2020年1月にパリ、10月にはウィーン楽友協会でデビューを果たし、
現地の観客から称賛を得ていらっしゃいます。
そして、去年、2021年「第18回ショパン国際ピアノコンクール」で、
日本人としては半世紀ぶりの、第2位を受賞されていらっしゃいます。
──コンクールという化け物
茂木:反田さんは昨年行なわれました「ショパン国際ピアノコンクール」で、日本人として過去最高位の2位入賞という快挙を成し遂げられました。
実はこの番組には2017年(vol.218・vol.219)にも出て頂いています。有言実行で、ショパンコンクールで本当に素晴らしい成果をあげて…。
でも、三次予選の後、深々とお辞儀をされていた時に、どんな気持ちだったんですか? ひょっとしたら、ちょっと「あぁ…」と思ったのかな、と思ったんですが。
反田:振り返って演奏を聴いてみれば、別にそんなに悪くもないですし、ファイナリストして普通に残っていたのであれで良かったんだなと思ったりするんですけど。当の僕としては、演奏していてめちゃくちゃ緊張したんですよね。人生で一番緊張した瞬間が三次予選でした。
自分が理想としている音楽…ステージでこうやって弾くであろう音楽の目標設定を高く設置し過ぎてしまって、自分のメンタルとフィジカルが余り合わなかった。それによって、一曲目を弾きながら「あぁ…何か違うなぁ」と思っていたんです。ちょっとマインドを変えなければ、ずるずる引きずるから、ということで、二曲目からはスパッと違う方向性で演奏しようと決めて、何とか乗り切れたので良かったんですけど…。
どうしても、特に一曲目の『マズルカ』なんかは寝ても覚めても弾ける得意な作品だったし、ポーランド人の先生からも「本当に君の『マズルカ』は特別だ」と言ってくれるぐらい、自信は付いてたのに。やっぱり緊張だったり、“コンクールという化け物”がいるステージに少し飲まれかけた瞬間があったので、あのステージにいると、ちょっとしたことも自分自身として何倍にも被害妄想ではないけど、してしまったりするので…。「まぁ、取りあえず一回一回ここまで来れたし、ありがとうございました」っていう念を込めて、深くお辞儀をしました。
ただ、はける時もはけた後も、2分ぐらいずっと拍手が続いていたので。
茂木:そうですよね。聴衆の反応は良かったし。でもあの時点では、その後のインタビューもちょっと観念したようなことをおっしゃってましたよね。
反田:(笑)。「応援してくださった皆様、ありがとうございまし“た”」と言ってましたね(笑)。
茂木:あの時点では、ひょっとしたらファイナルに行けないかもしれない、と思ったんですか?
反田:もちろんコンクールですので何があっても可笑しくないですし、ここで「落としちゃえ」という先生もいるかもしれないし…。何があるか分からない、だからこそ、すごい不安でしたね。
演奏し終わって、メディアとかの取材が30分ぐらいあるんですけど、ホールにいるスタッフさん、ドアを開ける女性の方々、ホールで働いている方々が、群衆になって駆け寄ってくれて。皆すごく涙していて、「絶対大丈夫だから!」と言ってサインとかを求めてくれた時は、ちょっと元気づけられましたし、「ポーランド人は皆あなたのことを応援しているから」と言われた時はほっとしましたね。
茂木:反田さんは既にピアニストとして人気を確立しているので、「ショパンコンクールに出なくてもいいんじゃないか」という周りの声もあったそうなんですが。
反田:まぁ、リスキーでしたね。個人的にも分かるし、いつも応援してくださるファンの方々だったり、周りの言ってることも分かりますし。
僕は日本国内のコンクールの成績はあっても、海外での国際コンクールのキャリアというのはそんなになくて、一個しか受けたことがなかったので。それでも付いてきてくれる・応援してくれるファンの方々がいて。誰もが見て分かるスポーツ競技の世界ではなく、答えとしては曖昧な芸術の世界で、ファンの方々は自分を信じて反田恭平のことを応援してくださって、チケットを買っている。そんな中で、コンクールの世界的な方々がいる中で審査されて、もし万が一…ということがあったら、誰も悪いわけではないけども、少しファンの方をがっかりさせてしまったらどうしよう、という風にはよく思っていたんですよね。
──過去約15年分の分析
茂木:それにしても、反田さんは元々の才能はありますけども…。今回のショパンコンクールの準備では、“過去の演奏者のどの曲がどれぐらい評価されて、というのを正の字で書いた”とか。凄まじい情報のハッキングみたいなことをされていましたね。
反田:僕がコンクールを受けるとなれば、自分で言うのも恥ずかしいんですけど、注目はされるだろうと思っていましたし、過度な期待もされるだろうと思っていましたし。それを跳ね返せると言うか、恩を自分の力にしてしまうためには、僕には綿密な計画性が必要だった。それには少しずつ自分自身の勘と言うか、あとは自信などを鍛えて行って、出るからにはいい順位を取りたい。そこから800名分の参加者の曲目…4000曲近くを正の字で書いて行って、分析することが必要だった、ということですね。
茂木:反田さんご自身がおっしゃってますけれど、「そもそも芸術に点数や順位を付けるのはどうなのか」という話がある中で…。ショパンコンクールという場は、審査員とソリストが向き合う場じゃないですか。そこで個性を出し過ぎてもいけないだろうし、そこら辺のせめぎ合いと言うか、どうなんでしょう?
反田:その点に関しては、すごく悩みました。僕が自分で過去10〜15年分ぐらいのデータを調べて、審査員の傾向とか審査の雰囲気とかを見ていても、確信を持てなかったのは、現場を見ていなかったからなんですよね。ですので、僕は一次予選が二日目か三日目だったんですけど、一次予選が始まったらすぐに会場に行って他のアーティストを聴いて、審査員の後ろの近くに座って、“どういう風に響いているのか”というのを研究して、かつ、“審査員がどういうタイミングで審査を付けているのか”というのを見ていましたね。
茂木:ええー(笑)。どういうタイミングで付けていたんですか?
反田:20分のコマがあるとすれば、大体17分目ぐらいで審査付けているんです。
茂木:ということは、あとの3分ぐらいは…。
反田:もう後は見届けている、と。まぁそれはそうかな、とも思うのが、やっぱり最初の1分聴けば大体分かるんですよ。「この人は次(の審査)に行ける」とか。だから審査員の立場になって、飽きさせなかったり、ショパンを存分に魅せられるような演奏だったり、もしくは神髄というものを気づかせるということが必要でしたので。一次予選から、演奏しながらも“どういう風に持って行くか組み立てていこう”と考えていましたね。
茂木:ちょっと変な言い方ですけど、反田さんは賭けに勝ったわけじゃないですか。「世界が変わった」とおっしゃっていますが、今はどんな景色が見えているんですか?
反田:もう、ワクワクしかないです。今まで世界で弾きたいと思っていても、なかなかチャンスが回って来なかったり、日本でどんなに有名になろうが、根底にあるものは「世界で弾き、飛び回りたい」。それは自分で打開していかないと掴めないチャンス。皆もそうやって来たから、皆はそういうものがあるし。
だからこそ、今回それを掴んで、このチャンスをすごく大切にしたいと思っていますし、これからどういう世界が待っているんだろうか…。今までパステルカラーのような曖昧だった目標やハードルが、今くっきりと目の前に現れて、はっきりとした目標やレールというものが見えてきたので、やっとそのゴンドラに乗れるような気分でいますね。
●反田恭平 Twitter(@kyohei0901)
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