2021年09月18日
山田さんは、1991年、神奈川県のお生まれです。
20歳の時、会社から帰宅途中に電車に轢かれ、利き手と両脚を失われました。
一時は絶望を味わうも、「仲間と共に生きる」ことを目標に生きることを決意。
医師から1〜1年半はかかると言われた義足歩行のリハビリを驚異的なスピードでクリア。
持ち前のポジティブで明るい性格と、「1人でも多くの人を勇気づけたい」という思いでSNSを発信。
YouTubeでは片手で料理をする様子や坂道・階段チャレンジ、モーニングルーティンなどを配信し、
現在のチャンネル登録者数は10万人を超えていらっしゃいます。
明るくさわやかなルックスと男気のある性格で、女性ファンはもちろん、
熱血男子からも支持されているほか、ケガや病気で障がいを持った人、
その家族など、幅広いファン層から高い支持を集めていらっしゃいます。
──持ち前の明るさと負けん気
茂木:山田さんはお話も上手いですし、YouTubeチャンネルも常に元気でいらっしゃいますよね。
山田:持ち前の明るさと言うか、たぶん僕自身のそういったのがあるんでしょうかね(笑)。
茂木:そうは言っても、大変な事故に遭われたんですが…。事故の瞬間は覚えてらっしゃるんですか?
山田:事故の瞬間の当時の記憶というのは全くなくて、目が覚めたら1週間から10日ほど時間が経っていて、気が付いたら手足がなくなっていたという交通事故でした。それで良かったのが、今でも電車に乗れるということでもあるんですけど。
茂木:今、会社に行かれるのも電車ですよね。
山田:そうです。
茂木:会社は一般採用として入社されて?
山田:はい、今の企業は一般採用で、誰もと変わりなく、毎日定時で働かせて頂いています。
茂木:ご著書の『線路は続くよどこまでも』には、本当に細かな心のひだが書かれていてグッとくるんですよね。ご両親の愛なども、事故に遭われた後に、より深く気付かれたという。
山田:そうですね。怪我する前の10代の頃までは、自分でアルバイトもたくさんして、自分の欲しいものも全て自分で(買って)、という、自分一人で生きてきたかのような生活を送っていました。当然、両親と喧嘩することも多かったですし。
その中でこういった怪我をして、今までもこれからも“誰のお陰でそういうことができていたのか”“誰のお陰で今自分がここにいるのか”ということに改めて気づくことができたのが、この事故だったな、と思っています。
茂木:ご著書の中で、考えさせられるところがあって、障がい者が頂けるはずの障がい年金が、ある条件を満たさないと支給されないんですか?
山田:そうです。僕自身が20歳10か月目の時の交通事故だったんですね。そして、障がい者年金の制度として、20歳から事故までの間に、(年金を)3分の2を納めているか・納めていないか、というところが基準になってくるんです。ですが、僕自身がそこの会社で働き始めて1か月目だったので、まだ国民年金を納めていませんでした。国民年金は後で纏めて納めることができたから後で納めようという気持ちで、そういった申請とかもしていなくて。
要するに、10か月分のうちの5〜6か月分を納めていれば年金を貰えたんですけど、そこの基準に引っ掛からなかったんです。
茂木:年金の支払いを後からするということもあるし、制度を知らない方も多いですもんね。
山田:そうですね。その当時は大学を1年生で辞めた上で、学生だったら免除されたりする時もあるんですけど僕は学生ではなかったですし、働き始めでまだお金がなかったので、後ほど納めればいいかなという安易な考えから年金を納めていなくて、その時の交通事故だったんです。
僕自身も何度か年金事務所に行ったりとか年金機構に行ったりとかしたんですけど、後から納めたりすることはできない、ということで諦めましたね(笑)。
茂木:いろいろ制度に課題があると言うか、これからもうちょっと良くしていった方がいいかなと思いますが。
山田:ただ、怪我してすぐに年金を頂けないという苦しい現実があったからこそ、余計に自立しなければいけないと強く思うようになりました。負けん気が出てきたと言うか、これだけ両親に迷惑をかけておいて、お金の面でも両親に迷惑をかけなきゃいけないのか、と思った時に、年金は一定の所得を超えると貰えなくなってしまうので、だとするならば僕は他の人と同じように働いて、一定の所得を超えなければならないなとそこで強く思いました。
茂木:すごいですね! (実際は)貰えないんだけど、元々一定の所得を超えていれば貰えなかったはずだから…。
山田:そうです。捉え方次第だと思っているので。結局、物事をシンプルに考えているんです。例えば、『生きる』か『死ぬか』で『生きる』を選択した。『どういう風に行きたいのか』で、勝負じゃないですけど『負けたくない』から。手足を失ったから敗者ではないですけど、常に敗者ではいたくないし。
僕自身がすごく「お前は負けだよ」と言われている気がして、「そんなことねぇ」と認めたくない自分がいたので、「だったら這い上がってやろうじゃんか」という、たぶん負けん気ですかね(笑)。
茂木:山田さんは人生と言う現場で、活躍されているという感じがしますね。素晴らしいなと思います。
山田:ありがとうございます。
茂木:この『線路は続くよどこまでも』は本当に素晴らしい本ですよね。編集も素晴らしいし、すごく勇気が貰える本ですね。本が出た今、どんな想いがありますか?
山田:この本に関しては僕の人生の線路が描かれているんですけど、線路というのは人生と同じだと思っているんです。僕が今まで健常者と言われていた10代の頃からずっと人生の線路を歩んでいて、そこでは小学校・中学校・高校とか色々な駅を通って、色んな人と出会って、その経験のお陰で僕はこうやって成長することができました。なおかつ、怪我してからも今でもこうして線路が続いていて、色んな所で色んな人と出会って…。
書いてあることは僕自身の線路だけど、この本を読んだ上で、皆さんも一度自分の線路を振り返ってもらいたいと言うか。“どんな人と出会ったのか”、“これからどんな人と出会っていくのか”、そして“自分はどういう方向に向かって進んでいくのか”、というところを、読んだ上で感じてもらえればな、と思います。
●山田千紘(Chihiro Yamada)(@chi_kun_cq22) Twitter
●山田千紘(ChihiroYamada) (@chi_kun0922) - Instagram
●山田千紘 ちーチャンネル - YouTube
●線路は続くよどこまでも / 山田千紘 (著)
(Amazon)
20歳の時、会社から帰宅途中に電車に轢かれ、利き手と両脚を失われました。
一時は絶望を味わうも、「仲間と共に生きる」ことを目標に生きることを決意。
医師から1〜1年半はかかると言われた義足歩行のリハビリを驚異的なスピードでクリア。
持ち前のポジティブで明るい性格と、「1人でも多くの人を勇気づけたい」という思いでSNSを発信。
YouTubeでは片手で料理をする様子や坂道・階段チャレンジ、モーニングルーティンなどを配信し、
現在のチャンネル登録者数は10万人を超えていらっしゃいます。
明るくさわやかなルックスと男気のある性格で、女性ファンはもちろん、
熱血男子からも支持されているほか、ケガや病気で障がいを持った人、
その家族など、幅広いファン層から高い支持を集めていらっしゃいます。
──持ち前の明るさと負けん気
茂木:山田さんはお話も上手いですし、YouTubeチャンネルも常に元気でいらっしゃいますよね。
山田:持ち前の明るさと言うか、たぶん僕自身のそういったのがあるんでしょうかね(笑)。
茂木:そうは言っても、大変な事故に遭われたんですが…。事故の瞬間は覚えてらっしゃるんですか?
山田:事故の瞬間の当時の記憶というのは全くなくて、目が覚めたら1週間から10日ほど時間が経っていて、気が付いたら手足がなくなっていたという交通事故でした。それで良かったのが、今でも電車に乗れるということでもあるんですけど。
茂木:今、会社に行かれるのも電車ですよね。
山田:そうです。
茂木:会社は一般採用として入社されて?
山田:はい、今の企業は一般採用で、誰もと変わりなく、毎日定時で働かせて頂いています。
茂木:ご著書の『線路は続くよどこまでも』には、本当に細かな心のひだが書かれていてグッとくるんですよね。ご両親の愛なども、事故に遭われた後に、より深く気付かれたという。
山田:そうですね。怪我する前の10代の頃までは、自分でアルバイトもたくさんして、自分の欲しいものも全て自分で(買って)、という、自分一人で生きてきたかのような生活を送っていました。当然、両親と喧嘩することも多かったですし。
その中でこういった怪我をして、今までもこれからも“誰のお陰でそういうことができていたのか”“誰のお陰で今自分がここにいるのか”ということに改めて気づくことができたのが、この事故だったな、と思っています。
茂木:ご著書の中で、考えさせられるところがあって、障がい者が頂けるはずの障がい年金が、ある条件を満たさないと支給されないんですか?
山田:そうです。僕自身が20歳10か月目の時の交通事故だったんですね。そして、障がい者年金の制度として、20歳から事故までの間に、(年金を)3分の2を納めているか・納めていないか、というところが基準になってくるんです。ですが、僕自身がそこの会社で働き始めて1か月目だったので、まだ国民年金を納めていませんでした。国民年金は後で纏めて納めることができたから後で納めようという気持ちで、そういった申請とかもしていなくて。
要するに、10か月分のうちの5〜6か月分を納めていれば年金を貰えたんですけど、そこの基準に引っ掛からなかったんです。
茂木:年金の支払いを後からするということもあるし、制度を知らない方も多いですもんね。
山田:そうですね。その当時は大学を1年生で辞めた上で、学生だったら免除されたりする時もあるんですけど僕は学生ではなかったですし、働き始めでまだお金がなかったので、後ほど納めればいいかなという安易な考えから年金を納めていなくて、その時の交通事故だったんです。
僕自身も何度か年金事務所に行ったりとか年金機構に行ったりとかしたんですけど、後から納めたりすることはできない、ということで諦めましたね(笑)。
茂木:いろいろ制度に課題があると言うか、これからもうちょっと良くしていった方がいいかなと思いますが。
山田:ただ、怪我してすぐに年金を頂けないという苦しい現実があったからこそ、余計に自立しなければいけないと強く思うようになりました。負けん気が出てきたと言うか、これだけ両親に迷惑をかけておいて、お金の面でも両親に迷惑をかけなきゃいけないのか、と思った時に、年金は一定の所得を超えると貰えなくなってしまうので、だとするならば僕は他の人と同じように働いて、一定の所得を超えなければならないなとそこで強く思いました。
茂木:すごいですね! (実際は)貰えないんだけど、元々一定の所得を超えていれば貰えなかったはずだから…。
山田:そうです。捉え方次第だと思っているので。結局、物事をシンプルに考えているんです。例えば、『生きる』か『死ぬか』で『生きる』を選択した。『どういう風に行きたいのか』で、勝負じゃないですけど『負けたくない』から。手足を失ったから敗者ではないですけど、常に敗者ではいたくないし。
僕自身がすごく「お前は負けだよ」と言われている気がして、「そんなことねぇ」と認めたくない自分がいたので、「だったら這い上がってやろうじゃんか」という、たぶん負けん気ですかね(笑)。
茂木:山田さんは人生と言う現場で、活躍されているという感じがしますね。素晴らしいなと思います。
山田:ありがとうございます。
茂木:この『線路は続くよどこまでも』は本当に素晴らしい本ですよね。編集も素晴らしいし、すごく勇気が貰える本ですね。本が出た今、どんな想いがありますか?
山田:この本に関しては僕の人生の線路が描かれているんですけど、線路というのは人生と同じだと思っているんです。僕が今まで健常者と言われていた10代の頃からずっと人生の線路を歩んでいて、そこでは小学校・中学校・高校とか色々な駅を通って、色んな人と出会って、その経験のお陰で僕はこうやって成長することができました。なおかつ、怪我してからも今でもこうして線路が続いていて、色んな所で色んな人と出会って…。
書いてあることは僕自身の線路だけど、この本を読んだ上で、皆さんも一度自分の線路を振り返ってもらいたいと言うか。“どんな人と出会ったのか”、“これからどんな人と出会っていくのか”、そして“自分はどういう方向に向かって進んでいくのか”、というところを、読んだ上で感じてもらえればな、と思います。
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●線路は続くよどこまでも / 山田千紘 (著)
(Amazon)