2021年06月19日
野口健さんは、1973年、アメリカ・ボストンのお生まれです。
1999年、エベレストの登頂に成功し
7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。
2000年からはエベレストや富士山での清掃登山を開始。
以後、全国の小中学生を主な対象とした「野口健・環境学校」を開校するなど、
積極的に環境問題への取り組みを行っていらっしゃいます。
現在は、清掃活動に加え、
地球温暖化による氷河の融解防止にむけた対策に力を入れており、
北海道洞爺湖サミットでは政府に対し現場の状況を訴える等、
精力的に活動を行っていらっしゃいます。
また、2015年4月、ヒマラヤ遠征中にネパール大震災に遭遇。
すぐに「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、ネパールの村々の支援活動を
継続的に行っていらっしゃいます。
──冒険は資金集めから始まる
茂木:野口さんのお話ですごいなぁと思うのが、お父様に「山へのアタックは資金集めから始めるんだ」と言われたそうですね。すごいお父様ですね。
野口:そうなんです。高校を卒業した時に真っ先に言われました。うちの親父はハッキリしてまして。僕が高校時代にキリマンジャロに登ったりモンブランに登ったりして、ちょっとですけど取材をされたんですね。僕が喜んで喋ってましたら、親父にすごく怒られて。
「冒険というのはお金がかかる。本来はお金を集めるところから冒険が始まってる」と。高校時代に事件を起こして停学になって、停学中に“山に登りたい”と言いだして。「だから俺はそこでお金を出してやった。ピッケルも買ってやった。それでお前はモンブラン、キリマンジャロに登
ったかもしれないけど、あれは俺がお金を出したから登れたんだ」と。「お前はよく、それを人前で喋れるな。みっともないぞ」と言われました。
だから「人前で山を語るならば、全部自分で一からお金を集めて登ってからにしろ」と言われたんですね。“お金を集めるところから冒険が始まってる”というのがストンと落ちて、すごく納得したんですよ。そこから、学生時代の多い時は、年間130何社周ってましたからね。
茂木:そこで世の中を知るし、ある意味では経営的なセンスと言うか、社会運動を進めていくセンスがそこら辺で身についたんですかね?
野口:当時はなかなか実績もないですし、知名度もありませんし、ほとんど相手にされないんです。山は所詮、僕の遊びじゃないですか。“どういう風に相手に伝えれば、僕の山登りに対して夢を持ってくれるか”ということですよね。
例えばある会社に行くと、その会社の商品の方向と僕の方向がカチッと噛み合うようなストーリーを自分で描いて行かなきゃいけない。ただ一方的に「エベレストに行きたい!」と言っても、誰も相手にしてくれないですよね。だから最初の1年ぐらいはずっと相手にされなかったんですけど。“どう伝えれば、相手は興味を持ってくれるのかな?”というストーリーをどう描いていけばいいのか、ずーっと考えていたんです。
意外とそれが、エベレストの後の富士山の清掃などに繋がって来る。22年前から富士山の清掃を始めてるんですけど、あの頃はこの世の中で今ほど環境問題に関心がなかったし、最初の年は4〜5回やっても100人超えなかったんですよ。環境省の記者クラブで記者会見をやって“富士山が汚い”ということを発表したり、色んなところで喋っていても、来ないんですよ。
その時に、“『伝える』=『伝わる』ではないんだ”と思いましたね。
茂木:今でこそ野口健さんと言えば誰でも知ってますけど、まだ無名の学生だった当時に企業の方にどう伝えたか、というのは、実はリスナーの方の参考にもなることだと思います。何が一番の鍵だったんですか?
野口:やっぱり、『相手のことをすごく調べる』ようになりました。
例えば、冒険で着けられるものはそんなに多くないじゃないですか。“じゃあ時計”となると、あの頃はまだインターネットがないので、毎日のように東京の大きな時計屋さんを周って歩くんですよ。大きいところに行くと、メーカーさんから社員が派遣されていたりするんですね。「僕は山岳部員でヒマラヤとかに行きたいんですけど、どういう時計がいいですか?」と聞くと、セイコーの方が「うちのダイバーズウォッチは、植村直己さんもそうだけど、映画になった『南極物語』の越冬隊も実はうちの時計を使っていたんだよ」という話になるんですよ。
茂木:社員の人が教えてくれたんですね。
野口:そう。そこで、「そうなんですね!」というところから、「僕はエベレストに行きたくて…」と言って。そこで僕は「こういう時計でこういう風に作ったらいいんじゃないかな」と、デザインを描いて見て貰って、「そういうのは僕らも全然気づかなかった」となるんですよ。「じゃあ協同で時計を作りませんか?」という話になったところで、初めておでこにSEIKOが付きましたけどね(笑)。
ですから、相手のことをすごく調べて、相手と僕の冒険のストーリーをどう作っていくか、というところでしたよね。
茂木:今のお話は、アルピニストとしてだけじゃなくて、全てのビジネスとか生活に共通した話ですね。
野口:山に登るというのはそういうことなんですよね。
例えば、ある程度話題にならないといけない、と。あの頃は事務所なんてないですから、マーケティングのようなことをやらなきゃいけないんですよ。
茂木:野口さんはアルピニストじゃなくても、何をやっていても成功してた感じがしますね。
野口:たぶん、山に登りたいからそれができたんですよね。目的がないとそこまでできなかったと思うんですよね。
茂木:“コミュニケーション力とは何か”とか、“交渉とは何か”とか、要するに、『相手のことを調べなくちゃいけない』ということですね。
今回の『登り続ける、ということ。』というこちらの本も、子供たちに最高の伝え方をしていませんか。
野口:本当ですか(笑)?
茂木:野口さんのやられていることがすごく良く伝わります。伝え方は大事ですね。
野口:僕は“伝え方が全て”だと思っているんですよね。特に、活動する上ではね。ストイックになるのは大事なんですけど、ストイック過ぎちゃうと自分たちで自分の限界を作ってしまうんです。僕は周りに環境団体の仲間がたくさんいますけど、ストイックになり過ぎてそうなりやすいんですよね。
茂木:真面目ですしね。
野口:それで、どんどん周りから人が離れて行って。
茂木:楽しくなさそうだと離れちゃいますよね。
野口:そうなんですよ。やっぱり楽しさは大事だと思うんですよね。
■プレゼントのお知らせ
ご紹介してきた、野口健さんのご著書、「登り続ける、ということ。」に、
直筆サインを入れて、3名の方にプレゼントいたします。
ご希望の方は、お名前やご住所、電話番号など、必要事項を明記の上、
メッセージフォームより、ご応募ください。
茂木さんに聞きたい事や相談したい事など、
一緒にを添えていただけると嬉しいです。
尚、当選者の発表は、商品の発送をもってかえさせていただきます。
たくさんのご応募、お待ちしております。
●野口健公式ウェブサイト
●野口健 (@kennoguchi0821)Twitter
●登り続ける、ということ。 -山を登る 学校を建てる 災害とたたかう / 野口健
(Amazon)
1999年、エベレストの登頂に成功し
7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。
2000年からはエベレストや富士山での清掃登山を開始。
以後、全国の小中学生を主な対象とした「野口健・環境学校」を開校するなど、
積極的に環境問題への取り組みを行っていらっしゃいます。
現在は、清掃活動に加え、
地球温暖化による氷河の融解防止にむけた対策に力を入れており、
北海道洞爺湖サミットでは政府に対し現場の状況を訴える等、
精力的に活動を行っていらっしゃいます。
また、2015年4月、ヒマラヤ遠征中にネパール大震災に遭遇。
すぐに「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、ネパールの村々の支援活動を
継続的に行っていらっしゃいます。
──冒険は資金集めから始まる
茂木:野口さんのお話ですごいなぁと思うのが、お父様に「山へのアタックは資金集めから始めるんだ」と言われたそうですね。すごいお父様ですね。
野口:そうなんです。高校を卒業した時に真っ先に言われました。うちの親父はハッキリしてまして。僕が高校時代にキリマンジャロに登ったりモンブランに登ったりして、ちょっとですけど取材をされたんですね。僕が喜んで喋ってましたら、親父にすごく怒られて。
「冒険というのはお金がかかる。本来はお金を集めるところから冒険が始まってる」と。高校時代に事件を起こして停学になって、停学中に“山に登りたい”と言いだして。「だから俺はそこでお金を出してやった。ピッケルも買ってやった。それでお前はモンブラン、キリマンジャロに登
ったかもしれないけど、あれは俺がお金を出したから登れたんだ」と。「お前はよく、それを人前で喋れるな。みっともないぞ」と言われました。
だから「人前で山を語るならば、全部自分で一からお金を集めて登ってからにしろ」と言われたんですね。“お金を集めるところから冒険が始まってる”というのがストンと落ちて、すごく納得したんですよ。そこから、学生時代の多い時は、年間130何社周ってましたからね。
茂木:そこで世の中を知るし、ある意味では経営的なセンスと言うか、社会運動を進めていくセンスがそこら辺で身についたんですかね?
野口:当時はなかなか実績もないですし、知名度もありませんし、ほとんど相手にされないんです。山は所詮、僕の遊びじゃないですか。“どういう風に相手に伝えれば、僕の山登りに対して夢を持ってくれるか”ということですよね。
例えばある会社に行くと、その会社の商品の方向と僕の方向がカチッと噛み合うようなストーリーを自分で描いて行かなきゃいけない。ただ一方的に「エベレストに行きたい!」と言っても、誰も相手にしてくれないですよね。だから最初の1年ぐらいはずっと相手にされなかったんですけど。“どう伝えれば、相手は興味を持ってくれるのかな?”というストーリーをどう描いていけばいいのか、ずーっと考えていたんです。
意外とそれが、エベレストの後の富士山の清掃などに繋がって来る。22年前から富士山の清掃を始めてるんですけど、あの頃はこの世の中で今ほど環境問題に関心がなかったし、最初の年は4〜5回やっても100人超えなかったんですよ。環境省の記者クラブで記者会見をやって“富士山が汚い”ということを発表したり、色んなところで喋っていても、来ないんですよ。
その時に、“『伝える』=『伝わる』ではないんだ”と思いましたね。
茂木:今でこそ野口健さんと言えば誰でも知ってますけど、まだ無名の学生だった当時に企業の方にどう伝えたか、というのは、実はリスナーの方の参考にもなることだと思います。何が一番の鍵だったんですか?
野口:やっぱり、『相手のことをすごく調べる』ようになりました。
例えば、冒険で着けられるものはそんなに多くないじゃないですか。“じゃあ時計”となると、あの頃はまだインターネットがないので、毎日のように東京の大きな時計屋さんを周って歩くんですよ。大きいところに行くと、メーカーさんから社員が派遣されていたりするんですね。「僕は山岳部員でヒマラヤとかに行きたいんですけど、どういう時計がいいですか?」と聞くと、セイコーの方が「うちのダイバーズウォッチは、植村直己さんもそうだけど、映画になった『南極物語』の越冬隊も実はうちの時計を使っていたんだよ」という話になるんですよ。
茂木:社員の人が教えてくれたんですね。
野口:そう。そこで、「そうなんですね!」というところから、「僕はエベレストに行きたくて…」と言って。そこで僕は「こういう時計でこういう風に作ったらいいんじゃないかな」と、デザインを描いて見て貰って、「そういうのは僕らも全然気づかなかった」となるんですよ。「じゃあ協同で時計を作りませんか?」という話になったところで、初めておでこにSEIKOが付きましたけどね(笑)。
ですから、相手のことをすごく調べて、相手と僕の冒険のストーリーをどう作っていくか、というところでしたよね。
茂木:今のお話は、アルピニストとしてだけじゃなくて、全てのビジネスとか生活に共通した話ですね。
野口:山に登るというのはそういうことなんですよね。
例えば、ある程度話題にならないといけない、と。あの頃は事務所なんてないですから、マーケティングのようなことをやらなきゃいけないんですよ。
茂木:野口さんはアルピニストじゃなくても、何をやっていても成功してた感じがしますね。
野口:たぶん、山に登りたいからそれができたんですよね。目的がないとそこまでできなかったと思うんですよね。
茂木:“コミュニケーション力とは何か”とか、“交渉とは何か”とか、要するに、『相手のことを調べなくちゃいけない』ということですね。
今回の『登り続ける、ということ。』というこちらの本も、子供たちに最高の伝え方をしていませんか。
野口:本当ですか(笑)?
茂木:野口さんのやられていることがすごく良く伝わります。伝え方は大事ですね。
野口:僕は“伝え方が全て”だと思っているんですよね。特に、活動する上ではね。ストイックになるのは大事なんですけど、ストイック過ぎちゃうと自分たちで自分の限界を作ってしまうんです。僕は周りに環境団体の仲間がたくさんいますけど、ストイックになり過ぎてそうなりやすいんですよね。
茂木:真面目ですしね。
野口:それで、どんどん周りから人が離れて行って。
茂木:楽しくなさそうだと離れちゃいますよね。
野口:そうなんですよ。やっぱり楽しさは大事だと思うんですよね。
■プレゼントのお知らせ
ご紹介してきた、野口健さんのご著書、「登り続ける、ということ。」に、
直筆サインを入れて、3名の方にプレゼントいたします。
ご希望の方は、お名前やご住所、電話番号など、必要事項を明記の上、
メッセージフォームより、ご応募ください。
茂木さんに聞きたい事や相談したい事など、
一緒にを添えていただけると嬉しいです。
尚、当選者の発表は、商品の発送をもってかえさせていただきます。
たくさんのご応募、お待ちしております。
●野口健公式ウェブサイト
●野口健 (@kennoguchi0821)Twitter
●登り続ける、ということ。 -山を登る 学校を建てる 災害とたたかう / 野口健
(Amazon)