2021年04月10日
中江有里さんは、1973年、大阪府のご出身。
1989年に、芸能界デビュー。
1991年「花をください」で歌手デビューし、
5枚のシングル、2枚のアルバムをリリースされました。
その後、数多くのTVドラマ、映画にご出演されます。
2002年「納豆ウドン」で、NHK大阪放送局が主催する、
「第23回BKラジオ ドラマ脚本懸賞」最高賞を受賞。
現在は、作家、女優、歌手、TVコメンテーターなど、幅広い活躍をされていらっしゃいます。
そして、作詞家・松井五郎さんとの出会いから、
2019年に本格的に音楽活動を再開し、先日、3枚目のアルバム
「Port de voix」をリリースされました。
──児玉清さんに言われたショックな一言
茂木:中江さんは芸能界のデビューが早かったじゃないですか。朝ドラにも大河ドラマにも、メジャーなものに色々出演されましたが、芸能界に入ってから今までの人生を振り返ると、どんな感じでしたか?
中江:不思議ですよね。私は15歳で芸能界に入ったんですけど、正直に言うと自分は、その前から“物を書きたい”という夢をずっと持っていたんです。
小学校の時からずっと本を読むのが好きだったので、作家みたいな仕事に就きたいと思っていたんですけど、当時私はミステリーが好きで、赤川次郎さんも読んでいたんですよ。でも私はトリックを考えられないから、無理かなと思ったんです(笑)。単純なので(笑)。
茂木:(笑)。なるほど。
中江:中学校に入ってから、今度は脚本家の仕事に憧れて…。
茂木:じゃあ、脚本家もかなり最初の頃からなんですね。
中江:そうなんです。「ドラマとかを書いてみたいんだ」とずっと言っていたんです。でも、その当時は自分も大阪で暮らしている普通の中学生だったので、どうやったら脚本家になれるのか分からなかったんですよね。
そういう時に、たまたま芸能界という道があって、ちょっと不純なんですけど、“自分の人生をここで変えられるんじゃないかな”と。言ったら、ドラマにすごく近い世界なので、書く方じゃなくて出る方になるかもしれないけれど、それだったらやってみたいと思って、思い切って東京に来たんです。
茂木:書き物が本当に好きなんですね。
そんな中で小説もたくさんお書きになっていて、児玉清さんがアドバイスをしてくれた小説もあるんですね。
中江:はい。私は最初、2006年に『結婚写真』という小説を書いて単行本デビューしたんですけども、それからしばらく書いていなかったんですよ。それが何故かと言うと、一作目を書いて、色んな意味で自分が“もっとこうしたかった・ああしたかった”、“できなかった”というのもあるし、ちょっと自信を失っていた部分もあって、“書きたい”という気持ちと“怖い”という気持ちが両方あったんですよね。
ずっとそのままいた時に、ある日たまたま児玉さんに会ったら、「君は何がしたいの?」と聞かれたんです。
茂木:いきなり聞かれたんですか!
中江:児玉さんは結構聞くんですよ。児玉さんに聞かれると、ちょっとドキッとするじゃないですか。「私は何でもやりたいですよ」とちょっとおちゃらけて答えたら、「君は中途半端に見えるよ」と言われたんです。もうショックで…(笑)!
茂木:そうなの!
中江:児玉さんに「中途半端に見えるよ」と言われてしまったというショックが大きくて、“私は何か足りないんだ”と、“それは何だろう?”と考えました。その時に、“二作目の小説を書いていない”と。
茂木:小説を一作しか書いてないから、中途半端なんだ、と。
中江:自分はすごく色んなことに手を出すから、何か中途半端に見えるのはそういうことなんだ、と思いました。
私も書きたい気持ちはあるけど怖いから書けないというのもあったので、“じゃあ二作目を書いてみよう”と思って。そこから自分でプロットを書いて出版社の方に連絡して「こういうものを書きたいんですけど」ということで色々お話を詰めて行って…。ようやく書けるという段階に来た時に、児玉さんが亡くなったんです。それが第二作目の『ティンホイッスル』なんですね。
茂木:これは芸能界のことですよね。
中江:そうです。これは芸能界のマネージャーの視点から書いたお話なんですけども。これまで色んなことを見てきた中で、一回書いてみたいなと思っていた自分にしか書けないことだったので、それを書けたというのは、ある意味児玉さんのお陰でしたね。これがなかったら三作目にも繋がらなかっただろうと思います。
──表現したいという欲求
茂木:中江有里さんの「Port de voix」という素晴らしいアルバムが出たことで、中江さんもまたどんどん先に行けそうな気がしますよね。
中江:いくつになっても色んなことに挑戦できるんだな、ということを、改めて感じましたね。それは、自分はとても恵まれているんだということも当然あるんですけれど、とりあえず、“自分が可能性を潰すようなことはしないでおこう”ということはいつも思っています。
茂木:中江さんの2019年の小説に、「トランスファー」という、入れ替わりものと言うかSFっぽいものがありますね。しかもタイムトリップと言うか、時空が…。
中江:そうですね。小説を書くことは、脚本ともまた違うんですよね。脚本も書くんですが、映像化できないことをあえて書いてみたいということがあって、小説は小説の世界で、この「トランスファー」を書きました。
茂木:本当にいつも新しいことにチャレンジされていますよね。
中江:今も小説は連載で書いていますし、今年は一冊新しい本を出す予定でもあります。
茂木:テレビのMCとしての仕事もそうだし、映画とかドラマもそうだし、小説もそうだし、今回歌手もそうだけど、どれをとっても、“普通にやっていたらそれでじゅうぶんでしょう?”ということをトントントンとやっていますね。
中江:(笑)。それは本当にありがたいですね。自分一人では繋げない縁と言うものを、どうやって繋いできたのかよくわからないんですけれども、何か繋がってきて。色んなことで出会いがあって、導いて頂くとか、そういうことが重なり合って今があるな、という感じがします。
茂木:そして、最初から物書きをしたいと思っていたんですね。
中江:そうですね。“表現したい”というのが、最初の自分の欲求なんですよね。だから、そこから全てが始まっていて、『書く』ということも表現だし、『出る』ということも表現ですよね。
だから、“何かを作り出す”ということが私はとても好きなんだな、ということを感じます。
●中江有里 公式ホームページ
↑中江さんの最新情報は、こちらをご覧ください。
●中江有里 yuri nakae(@yurinbow) Twitter
●Port de voix / 中江有里
(Amazon)
1989年に、芸能界デビュー。
1991年「花をください」で歌手デビューし、
5枚のシングル、2枚のアルバムをリリースされました。
その後、数多くのTVドラマ、映画にご出演されます。
2002年「納豆ウドン」で、NHK大阪放送局が主催する、
「第23回BKラジオ ドラマ脚本懸賞」最高賞を受賞。
現在は、作家、女優、歌手、TVコメンテーターなど、幅広い活躍をされていらっしゃいます。
そして、作詞家・松井五郎さんとの出会いから、
2019年に本格的に音楽活動を再開し、先日、3枚目のアルバム
「Port de voix」をリリースされました。
──児玉清さんに言われたショックな一言
茂木:中江さんは芸能界のデビューが早かったじゃないですか。朝ドラにも大河ドラマにも、メジャーなものに色々出演されましたが、芸能界に入ってから今までの人生を振り返ると、どんな感じでしたか?
中江:不思議ですよね。私は15歳で芸能界に入ったんですけど、正直に言うと自分は、その前から“物を書きたい”という夢をずっと持っていたんです。
小学校の時からずっと本を読むのが好きだったので、作家みたいな仕事に就きたいと思っていたんですけど、当時私はミステリーが好きで、赤川次郎さんも読んでいたんですよ。でも私はトリックを考えられないから、無理かなと思ったんです(笑)。単純なので(笑)。
茂木:(笑)。なるほど。
中江:中学校に入ってから、今度は脚本家の仕事に憧れて…。
茂木:じゃあ、脚本家もかなり最初の頃からなんですね。
中江:そうなんです。「ドラマとかを書いてみたいんだ」とずっと言っていたんです。でも、その当時は自分も大阪で暮らしている普通の中学生だったので、どうやったら脚本家になれるのか分からなかったんですよね。
そういう時に、たまたま芸能界という道があって、ちょっと不純なんですけど、“自分の人生をここで変えられるんじゃないかな”と。言ったら、ドラマにすごく近い世界なので、書く方じゃなくて出る方になるかもしれないけれど、それだったらやってみたいと思って、思い切って東京に来たんです。
茂木:書き物が本当に好きなんですね。
そんな中で小説もたくさんお書きになっていて、児玉清さんがアドバイスをしてくれた小説もあるんですね。
中江:はい。私は最初、2006年に『結婚写真』という小説を書いて単行本デビューしたんですけども、それからしばらく書いていなかったんですよ。それが何故かと言うと、一作目を書いて、色んな意味で自分が“もっとこうしたかった・ああしたかった”、“できなかった”というのもあるし、ちょっと自信を失っていた部分もあって、“書きたい”という気持ちと“怖い”という気持ちが両方あったんですよね。
ずっとそのままいた時に、ある日たまたま児玉さんに会ったら、「君は何がしたいの?」と聞かれたんです。
茂木:いきなり聞かれたんですか!
中江:児玉さんは結構聞くんですよ。児玉さんに聞かれると、ちょっとドキッとするじゃないですか。「私は何でもやりたいですよ」とちょっとおちゃらけて答えたら、「君は中途半端に見えるよ」と言われたんです。もうショックで…(笑)!
茂木:そうなの!
中江:児玉さんに「中途半端に見えるよ」と言われてしまったというショックが大きくて、“私は何か足りないんだ”と、“それは何だろう?”と考えました。その時に、“二作目の小説を書いていない”と。
茂木:小説を一作しか書いてないから、中途半端なんだ、と。
中江:自分はすごく色んなことに手を出すから、何か中途半端に見えるのはそういうことなんだ、と思いました。
私も書きたい気持ちはあるけど怖いから書けないというのもあったので、“じゃあ二作目を書いてみよう”と思って。そこから自分でプロットを書いて出版社の方に連絡して「こういうものを書きたいんですけど」ということで色々お話を詰めて行って…。ようやく書けるという段階に来た時に、児玉さんが亡くなったんです。それが第二作目の『ティンホイッスル』なんですね。
茂木:これは芸能界のことですよね。
中江:そうです。これは芸能界のマネージャーの視点から書いたお話なんですけども。これまで色んなことを見てきた中で、一回書いてみたいなと思っていた自分にしか書けないことだったので、それを書けたというのは、ある意味児玉さんのお陰でしたね。これがなかったら三作目にも繋がらなかっただろうと思います。
──表現したいという欲求
茂木:中江有里さんの「Port de voix」という素晴らしいアルバムが出たことで、中江さんもまたどんどん先に行けそうな気がしますよね。
中江:いくつになっても色んなことに挑戦できるんだな、ということを、改めて感じましたね。それは、自分はとても恵まれているんだということも当然あるんですけれど、とりあえず、“自分が可能性を潰すようなことはしないでおこう”ということはいつも思っています。
茂木:中江さんの2019年の小説に、「トランスファー」という、入れ替わりものと言うかSFっぽいものがありますね。しかもタイムトリップと言うか、時空が…。
中江:そうですね。小説を書くことは、脚本ともまた違うんですよね。脚本も書くんですが、映像化できないことをあえて書いてみたいということがあって、小説は小説の世界で、この「トランスファー」を書きました。
茂木:本当にいつも新しいことにチャレンジされていますよね。
中江:今も小説は連載で書いていますし、今年は一冊新しい本を出す予定でもあります。
茂木:テレビのMCとしての仕事もそうだし、映画とかドラマもそうだし、小説もそうだし、今回歌手もそうだけど、どれをとっても、“普通にやっていたらそれでじゅうぶんでしょう?”ということをトントントンとやっていますね。
中江:(笑)。それは本当にありがたいですね。自分一人では繋げない縁と言うものを、どうやって繋いできたのかよくわからないんですけれども、何か繋がってきて。色んなことで出会いがあって、導いて頂くとか、そういうことが重なり合って今があるな、という感じがします。
茂木:そして、最初から物書きをしたいと思っていたんですね。
中江:そうですね。“表現したい”というのが、最初の自分の欲求なんですよね。だから、そこから全てが始まっていて、『書く』ということも表現だし、『出る』ということも表現ですよね。
だから、“何かを作り出す”ということが私はとても好きなんだな、ということを感じます。
●中江有里 公式ホームページ
↑中江さんの最新情報は、こちらをご覧ください。
●中江有里 yuri nakae(@yurinbow) Twitter
●Port de voix / 中江有里
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