2021年01月16日
笠井さんは、1963年、東京都のお生まれ。
早稲田大学を卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。
「とくダネ!」など、主に情報番組でご活躍されます。
そして、2019年10月、フリーアナウンサーに転身。
直後、ステージ4の悪性リンパ腫であることが発覚し、
12月より入院、治療を始められます。
ブログで闘病の様子をつづり、また、ステイホームの呼びかけも行うなど、
自身のSNSで発信をし続け、去年(2020年)の4月に退院。
6月に完全寛解し、7月からお仕事に復帰され、
現在、ご活躍中でいらっしゃいます。
──ステージ4は手遅れという診断ではない
茂木:今本当に信じられないんですけど、大変なご病気をされましたね。
笠井:はい。『悪性リンパ腫』という血液のがんになりまして、ステージ4だったものですから…。血液のがんは全身にがんが広がってしまうので、「全身にがんが散らばってますね」と言われて、“ちょっとこれはまずいことになったな”という感じだったんです。
ただ、今の医学と薬が本当に進んでいて、完全寛解という、(体の中からがん細胞が)全て消えたという状況です。
茂木:医学が進歩したとは言いながら、我々は『がん』と言うとどうしても『死に至る病』というイメージがありますが…。こうやって完全に治ってしまうこともできる、と。
笠井:はい。ですから、むしろ乗り越えてらっしゃる方が今は多いんですよね。がんはもう克服できる病気でして。
特に血液のがんは、私、悪性リンパ腫ですけれども、白血病と同じ病棟ですし同じ先生方に診てもらうもらうわけですから、やはり難しい病気ではありました。30年前、私の『びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(悪性リンパ腫)』は亡くなる方が多かった。
茂木:それが医学の進歩でね。
皆さんは、フジテレビの『とくダネ!』を始めとする様々な番組で、笠井さんのお顔はお馴染みですよね。ところが、その笠井さんがフリーアナウンサーで新しい人生に挑戦しようと思った矢先に…。これはご著書「生きる力 引き算の縁と足し算の縁」でも書かれてますけど、がんだと分かった時はどんなお気持ちに?
笠井:“何で? 今この大切な、羽ばたこうという時に、羽をもがれるようなことになるんだ”という、“何て運の悪い人生なんだ”と思いました。
茂木:本当に、今だからこうやって笑ってお話になられてますけど、痛みもあるし大変だったでしょう?
笠井:大変でした。全身の痛みは、もう腰が痛くて、肩も痛くて、という中で…。夜、トイレに3回ぐらい立つんですけれども、痛くて3回トイレに起き上がれないんですよ。で、黙っていても体重がどんどん減っていって、もう最後は走れなくなっちゃったんですよ。
自分が病気であること、何か重大な病気にかかっていることは、もう自分のことで分かりました。ただ、“がんではない”と思っていました。なぜならば、その4か月前に2回がん検診を受けていて、別の病院で「笠井さんはがんではありません」という診断が下っていたから。
茂木:この悪性リンパ腫というのは、なかなか診断が難しい病気だと聞きます。
笠井:そうなんですって。結局、悪性リンパ腫と分かるまで時間がかかる方がかなりいます。私も具合が悪くなった、始めのがんの検査から、「悪性リンパ腫のがんです」と結論が出るまで4か月かかりました。
茂木:それにしても、世間では『ステージ4』と言うとちょっと難しい状況だと思いがちじゃないですか。
笠井:それは本当に昔からのイメージがそうなっているんですけれども…。
PET検査という、がん化している細胞が黄色く光り、一発でがんが分かるという最新の画像検査があるんですよ。それを見せて頂いたら、もう全身にがんが散らばっていて、首から下があちこち真っ黄色で、先生に「全部がんです」と言われて。“だからか”、“腕が痛かった、手首が痛かった、肩が痛かったのは、がんだったのか”という状況で。
“駄目か”と思った時に先生が言ったのは、「笠井さん、『ステージ4』と言うのは、『手遅れ』という診断ではありません。効く薬はあります。笠井さんのタイプのがんと薬が合えば、結果は良い結果になりますから、 挫けずに前を向いて進んでいきましょう」と言ってくださいました。
茂木:抗がん剤が効くか効かないかが大事なんだ、と。ステージいくつという事が決め手なんではない、と。
笠井:そうなんですよ!
──曝け出すことも仕事
茂木:「生きる力 引き算の縁と足し算の縁」を読んでいて、笠井さんのメディア人としての覚悟と言うか、生き様のすごさに本当に感動しまして。「曝け出すことも仕事だ」と。
笠井:これは、端的に2つの意味合いがありまして。
1つは、自分はワイドショーアナウンサーとして、33年間、フジテレビでずっと仕事をしてきて、著名な方々のプライバシーをお伝えしてきた。“来て欲しくない”というところにマイクを持って行って向けて、お伝えしていました。
ですから、いざ自分が“今ちょっと来て欲しくないな”という時に、「そっとしておいてください」と言うのは、これはちょっと話が違う。自分の贖罪と言うと言葉が格好良すぎるんですけれども、やっぱり、やらなければいけない事。
私は西城秀樹さんと仲良くして頂いたものですから、単独と言う形で、闘病・リハビリに密着取材をしていました。“何でここまで、あの格好良かった秀樹さんが、苦悩に喘いでいる姿を皆に見せるんだろう?”ということを、横で見て、本当に(思った)。しかし“これが、自分の名前を出して人前で働く人の、1つのあるべき姿なのかな”。
そして小倉さんががんになって、番組で事細かに自分の病状のことを話して、そのお話に確実に反応される視聴者の皆さんがいて。やっぱり物を伝えたりしていく人間の1つの矜持というものを、そこに学んだんですね。
ですから、“自分が病気になったらどうしようか?”とずっと考えていたんですよ。でもそれは、やはりお伝えすることだな、と。
笠井:そしてもう1つ大事なのは、自分は、事件・事故、そして震災などの現場で、皆さんの声を聞いて、取材をして、それをスタジオで中継で、“なるべくそのままの形でどうお伝えすれば、視聴者の方に伝わるのか”ということを考えながら、間接的な情報として話していました。
今回、命と向き合うような大病になって、私が当事者になりました。ということは、「自分の声をそのまま伝えれば、直接的にこの体験が伝わる」という、初めての事が起きたわけですよ。“だとしたら、自分に自分を取材するような形で、ストレートに伝えて行こう”、“本を書こう”、そして、“Instagramやブログでお伝えしていこう”、というのが、自分の中の気持ちでした。
●生きる力 引き算の縁と足し算の縁 / 笠井信輔(Amazon)
●笠井信輔オフィシャルブログ 「笠井TIMES 人生プラマイゼロがちょうどいい」
●笠井信輔official (@shinsuke.kasai) ・ Instagram
早稲田大学を卒業後、アナウンサーとしてフジテレビに入社。
「とくダネ!」など、主に情報番組でご活躍されます。
そして、2019年10月、フリーアナウンサーに転身。
直後、ステージ4の悪性リンパ腫であることが発覚し、
12月より入院、治療を始められます。
ブログで闘病の様子をつづり、また、ステイホームの呼びかけも行うなど、
自身のSNSで発信をし続け、去年(2020年)の4月に退院。
6月に完全寛解し、7月からお仕事に復帰され、
現在、ご活躍中でいらっしゃいます。
──ステージ4は手遅れという診断ではない
茂木:今本当に信じられないんですけど、大変なご病気をされましたね。
笠井:はい。『悪性リンパ腫』という血液のがんになりまして、ステージ4だったものですから…。血液のがんは全身にがんが広がってしまうので、「全身にがんが散らばってますね」と言われて、“ちょっとこれはまずいことになったな”という感じだったんです。
ただ、今の医学と薬が本当に進んでいて、完全寛解という、(体の中からがん細胞が)全て消えたという状況です。
茂木:医学が進歩したとは言いながら、我々は『がん』と言うとどうしても『死に至る病』というイメージがありますが…。こうやって完全に治ってしまうこともできる、と。
笠井:はい。ですから、むしろ乗り越えてらっしゃる方が今は多いんですよね。がんはもう克服できる病気でして。
特に血液のがんは、私、悪性リンパ腫ですけれども、白血病と同じ病棟ですし同じ先生方に診てもらうもらうわけですから、やはり難しい病気ではありました。30年前、私の『びまん性大細胞型B細胞リンパ腫(悪性リンパ腫)』は亡くなる方が多かった。
茂木:それが医学の進歩でね。
皆さんは、フジテレビの『とくダネ!』を始めとする様々な番組で、笠井さんのお顔はお馴染みですよね。ところが、その笠井さんがフリーアナウンサーで新しい人生に挑戦しようと思った矢先に…。これはご著書「生きる力 引き算の縁と足し算の縁」でも書かれてますけど、がんだと分かった時はどんなお気持ちに?
笠井:“何で? 今この大切な、羽ばたこうという時に、羽をもがれるようなことになるんだ”という、“何て運の悪い人生なんだ”と思いました。
茂木:本当に、今だからこうやって笑ってお話になられてますけど、痛みもあるし大変だったでしょう?
笠井:大変でした。全身の痛みは、もう腰が痛くて、肩も痛くて、という中で…。夜、トイレに3回ぐらい立つんですけれども、痛くて3回トイレに起き上がれないんですよ。で、黙っていても体重がどんどん減っていって、もう最後は走れなくなっちゃったんですよ。
自分が病気であること、何か重大な病気にかかっていることは、もう自分のことで分かりました。ただ、“がんではない”と思っていました。なぜならば、その4か月前に2回がん検診を受けていて、別の病院で「笠井さんはがんではありません」という診断が下っていたから。
茂木:この悪性リンパ腫というのは、なかなか診断が難しい病気だと聞きます。
笠井:そうなんですって。結局、悪性リンパ腫と分かるまで時間がかかる方がかなりいます。私も具合が悪くなった、始めのがんの検査から、「悪性リンパ腫のがんです」と結論が出るまで4か月かかりました。
茂木:それにしても、世間では『ステージ4』と言うとちょっと難しい状況だと思いがちじゃないですか。
笠井:それは本当に昔からのイメージがそうなっているんですけれども…。
PET検査という、がん化している細胞が黄色く光り、一発でがんが分かるという最新の画像検査があるんですよ。それを見せて頂いたら、もう全身にがんが散らばっていて、首から下があちこち真っ黄色で、先生に「全部がんです」と言われて。“だからか”、“腕が痛かった、手首が痛かった、肩が痛かったのは、がんだったのか”という状況で。
“駄目か”と思った時に先生が言ったのは、「笠井さん、『ステージ4』と言うのは、『手遅れ』という診断ではありません。効く薬はあります。笠井さんのタイプのがんと薬が合えば、結果は良い結果になりますから、 挫けずに前を向いて進んでいきましょう」と言ってくださいました。
茂木:抗がん剤が効くか効かないかが大事なんだ、と。ステージいくつという事が決め手なんではない、と。
笠井:そうなんですよ!
──曝け出すことも仕事
茂木:「生きる力 引き算の縁と足し算の縁」を読んでいて、笠井さんのメディア人としての覚悟と言うか、生き様のすごさに本当に感動しまして。「曝け出すことも仕事だ」と。
笠井:これは、端的に2つの意味合いがありまして。
1つは、自分はワイドショーアナウンサーとして、33年間、フジテレビでずっと仕事をしてきて、著名な方々のプライバシーをお伝えしてきた。“来て欲しくない”というところにマイクを持って行って向けて、お伝えしていました。
ですから、いざ自分が“今ちょっと来て欲しくないな”という時に、「そっとしておいてください」と言うのは、これはちょっと話が違う。自分の贖罪と言うと言葉が格好良すぎるんですけれども、やっぱり、やらなければいけない事。
私は西城秀樹さんと仲良くして頂いたものですから、単独と言う形で、闘病・リハビリに密着取材をしていました。“何でここまで、あの格好良かった秀樹さんが、苦悩に喘いでいる姿を皆に見せるんだろう?”ということを、横で見て、本当に(思った)。しかし“これが、自分の名前を出して人前で働く人の、1つのあるべき姿なのかな”。
そして小倉さんががんになって、番組で事細かに自分の病状のことを話して、そのお話に確実に反応される視聴者の皆さんがいて。やっぱり物を伝えたりしていく人間の1つの矜持というものを、そこに学んだんですね。
ですから、“自分が病気になったらどうしようか?”とずっと考えていたんですよ。でもそれは、やはりお伝えすることだな、と。
笠井:そしてもう1つ大事なのは、自分は、事件・事故、そして震災などの現場で、皆さんの声を聞いて、取材をして、それをスタジオで中継で、“なるべくそのままの形でどうお伝えすれば、視聴者の方に伝わるのか”ということを考えながら、間接的な情報として話していました。
今回、命と向き合うような大病になって、私が当事者になりました。ということは、「自分の声をそのまま伝えれば、直接的にこの体験が伝わる」という、初めての事が起きたわけですよ。“だとしたら、自分に自分を取材するような形で、ストレートに伝えて行こう”、“本を書こう”、そして、“Instagramやブログでお伝えしていこう”、というのが、自分の中の気持ちでした。
●生きる力 引き算の縁と足し算の縁 / 笠井信輔(Amazon)
●笠井信輔オフィシャルブログ 「笠井TIMES 人生プラマイゼロがちょうどいい」
●笠井信輔official (@shinsuke.kasai) ・ Instagram