2020年11月14日
鴻上尚史さんは、1958年、愛媛県のご出身。
早稲田大学法学部をご卒業されていらっしゃいます。
1981年に、劇団「第三舞台」を結成し、以降、作・演出を手掛けられます。
1987年、「朝日のような夕日をつれて」で紀伊國屋演劇賞を、
1994年、「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞を受賞、
2009年、『グローブ・ジャングル「虚構の劇団」旗揚げ3部作』が、
第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞されます。
現在は、プロデュースユニット「KOKAMI@network」と、
2008年に若手俳優を集めて旗揚げした「虚構の劇団」での作・演出を中心として、
ご活躍中でいらっしゃいます。
演劇公演の他にも、映画監督、小説家、エッセイスト、ラジオ・パーソナリティ、
脚本家などなど、幅広く活動をされていらっしゃいます。
──『世間』はあるが『社会』に馴染みが薄い日本
茂木:「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」なんですけど、佐藤直樹先生と対談しようというのはどういうきっかけなんですか?
鴻上:佐藤先生は『日本世間学会』を立ち上げた方で、九州工業大学名誉教授の方なんですけど…。僕も世間や同調圧力に関しての本を何冊も出していて、佐藤先生も何冊も出していて、読ませてもらっていたんですよ。
それで、ちょうど今年の5月ですけど、Twitterを含めて特にSNSがすごく荒れてるなという感じがすごくあって、“これは同調圧力がきつくなったな”と思ったので出版しないといけないと感じたんです。5月の上旬ぐらいに、講談社現代新書の編集者さんに連絡して、「出したいんだよ!」と話をして、緊急対談をして、で8月に出た、ということですよね。
茂木:本の作り方としては異例ですね。
鴻上:すごい早かったですね。3回、それぞれ2〜3時間喋ったんですよ。佐藤さんは学者さんなので、エビデンスとかデータとかでちゃんと日本の同調圧力というものがどういうものなのかを語ってくれるんです。だから僕と佐藤さんが語れば、『同調圧力』と呼ばれるものの本質と言うか正体がよりクリアになるだろう、より多くの人に伝わるだろう、と思って、対談を申し込みました。
茂木:例えば『不謹慎狩り』とか、こういうのはどう思われます?
鴻上:色んな理由はあると思うんですけど…。もともといわゆる『自粛警察』と呼ばれるようなことは、でも、例えば“自分がどういうふうにこの気持ちを持って行ったらいいんだ?”という、みんなの不安だったり怒りだったりすることが原因の大きなものだと思うんですよ。それが今、世間というものが、よりコロナの中でとても縛りがきつくなった、というのがすごくあるんだと思うんですよね。
茂木:もともとあった傾向が強くなってきている。
鴻上:そうです。麻生さんが「日本人は『民度』が高かったから、緊急事態宣言でロックダウンという法律にしなくても何とかなったんだ」とおっしゃったんだけど、それは僕の言葉で言えば『民度』じゃなくて『同調圧力が強い国』で。
僕が言う『世間』というのはいくつかのルールがあって、例えば“年上は1学年上であっても、無条件で先輩の言うことを聞かなければならない”とか、そういうルールがあるんですけど。それが壊れかけてきたかな、と思ったのが、コロナによってみんな不安になったんで、とりあえずしがみつこうと思うのが『世間』になってしまった、という、揺り戻しが来ているという意識を僕は持ってますね。
茂木:鴻上さんは以前から「『世間』と『社会』は違うんだ」とおっしゃってますね。
鴻上:はい。『世間』は自分の知っている人たちの集団で、会社とか同僚とか、学校とかママ友とかPTAが『世間』で、その反対語が実は『社会』で。『社会』というのは、自分が全く知らない人たち…例えば、映画をたまたま一緒に観ている人とか、電車に乗り合わせた人とか、そういうのが『社会』なんです。
「日本は『世間』はあるんだけど、『社会』というものに対してすごく馴染みが薄い」と、僕はずっと言ってますね。
茂木:実際に『世間』とか『空気』とか『同調圧力』で苦しい、と。今回のサブタイトルが「日本社会はなぜ息苦しいのか」なんですが、なんで自ら息苦しくするんですかね?
鴻上:要は、歴史的な流れで生まれたと言うか。日本という国はまず農耕民族で、みんなが纏まらなければ収穫できなかった。よく言われる狩猟民族みたいな少人数の纏まりじゃなくて、米を作るためには村全体が纏まらなければいけなかったというのがある、ということと…。
それから、結局村は何が一番大事かと言うと、“水をどう引くか”ということが大事で、我がままをしてしまうと村全体が滅びてしまうので、とにかく“水をどう分配するか”が一番のテーマで、それに従わなかったらもう死んでもいい、というぐらい激しく迫害されたわけですね。尚且つ、年貢はそもそも村単位だったので、個人じゃなかったんですよね。だから、村で纏まるということがあるというのがすり込まれたのと…。
アジアの大陸は殿様が変わると言葉が変わったりするわけですけど、日本の場合は殿様が変わっても村はあんまり変わらなかったと言うか。というような色んなすり込みがあって『世間』というものが強かったということです。
茂木:なるほど。
日本の、あんまり考えないで『同調圧力』で行っちゃうところは、鴻上さんが書いている「鴻上尚史の俳優入門」という本で、鴻上さんが説かれている俳優の世界の厳しさとは真逆ですね。
鴻上:真逆ですね。なんでみんながジャッジしないかと言うと、よく言う日本には個人(自我)はいなくて、集団我という…個のグループの喜びとか悲しみを、自分の“我”にする『集団我』にする。そうすると個人がジャッジしないから、真逆になっていくということですよね。
茂木:俳優は厳しい競争とかあるじゃないですか。厳しい演劇の世界で鴻上さんはずっと仕事をされてきていますが、劇団は同調圧力だけではいい作品は作れないということですね。
鴻上:同調圧力が出て来ると怖いですね。だから、なるべく僕はずっと同調圧力が生まれない集団を作ろうと気にしてきました。やっぱり同調圧力を作った方が、上の人間からすると楽なんですけど、そうするとクリエイティビティから一番遠くなるので、そこはすごく気にしていますね。
同調圧力が生まれた瞬間から、下の者は自由にものを言わなくなるし、活発な議論もなくなるから、とにかく同調圧力を壊していくことが一番大事ですよね。
●同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書) / 鴻上尚史
(Amazon)
●鴻上尚史 (@KOKAMIShoji)
Twitter
●サードステージ
●舞台「ハルシオン・デイズ2020」公式ページ
早稲田大学法学部をご卒業されていらっしゃいます。
1981年に、劇団「第三舞台」を結成し、以降、作・演出を手掛けられます。
1987年、「朝日のような夕日をつれて」で紀伊國屋演劇賞を、
1994年、「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞を受賞、
2009年、『グローブ・ジャングル「虚構の劇団」旗揚げ3部作』が、
第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞されます。
現在は、プロデュースユニット「KOKAMI@network」と、
2008年に若手俳優を集めて旗揚げした「虚構の劇団」での作・演出を中心として、
ご活躍中でいらっしゃいます。
演劇公演の他にも、映画監督、小説家、エッセイスト、ラジオ・パーソナリティ、
脚本家などなど、幅広く活動をされていらっしゃいます。
──『世間』はあるが『社会』に馴染みが薄い日本
茂木:「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」なんですけど、佐藤直樹先生と対談しようというのはどういうきっかけなんですか?
鴻上:佐藤先生は『日本世間学会』を立ち上げた方で、九州工業大学名誉教授の方なんですけど…。僕も世間や同調圧力に関しての本を何冊も出していて、佐藤先生も何冊も出していて、読ませてもらっていたんですよ。
それで、ちょうど今年の5月ですけど、Twitterを含めて特にSNSがすごく荒れてるなという感じがすごくあって、“これは同調圧力がきつくなったな”と思ったので出版しないといけないと感じたんです。5月の上旬ぐらいに、講談社現代新書の編集者さんに連絡して、「出したいんだよ!」と話をして、緊急対談をして、で8月に出た、ということですよね。
茂木:本の作り方としては異例ですね。
鴻上:すごい早かったですね。3回、それぞれ2〜3時間喋ったんですよ。佐藤さんは学者さんなので、エビデンスとかデータとかでちゃんと日本の同調圧力というものがどういうものなのかを語ってくれるんです。だから僕と佐藤さんが語れば、『同調圧力』と呼ばれるものの本質と言うか正体がよりクリアになるだろう、より多くの人に伝わるだろう、と思って、対談を申し込みました。
茂木:例えば『不謹慎狩り』とか、こういうのはどう思われます?
鴻上:色んな理由はあると思うんですけど…。もともといわゆる『自粛警察』と呼ばれるようなことは、でも、例えば“自分がどういうふうにこの気持ちを持って行ったらいいんだ?”という、みんなの不安だったり怒りだったりすることが原因の大きなものだと思うんですよ。それが今、世間というものが、よりコロナの中でとても縛りがきつくなった、というのがすごくあるんだと思うんですよね。
茂木:もともとあった傾向が強くなってきている。
鴻上:そうです。麻生さんが「日本人は『民度』が高かったから、緊急事態宣言でロックダウンという法律にしなくても何とかなったんだ」とおっしゃったんだけど、それは僕の言葉で言えば『民度』じゃなくて『同調圧力が強い国』で。
僕が言う『世間』というのはいくつかのルールがあって、例えば“年上は1学年上であっても、無条件で先輩の言うことを聞かなければならない”とか、そういうルールがあるんですけど。それが壊れかけてきたかな、と思ったのが、コロナによってみんな不安になったんで、とりあえずしがみつこうと思うのが『世間』になってしまった、という、揺り戻しが来ているという意識を僕は持ってますね。
茂木:鴻上さんは以前から「『世間』と『社会』は違うんだ」とおっしゃってますね。
鴻上:はい。『世間』は自分の知っている人たちの集団で、会社とか同僚とか、学校とかママ友とかPTAが『世間』で、その反対語が実は『社会』で。『社会』というのは、自分が全く知らない人たち…例えば、映画をたまたま一緒に観ている人とか、電車に乗り合わせた人とか、そういうのが『社会』なんです。
「日本は『世間』はあるんだけど、『社会』というものに対してすごく馴染みが薄い」と、僕はずっと言ってますね。
茂木:実際に『世間』とか『空気』とか『同調圧力』で苦しい、と。今回のサブタイトルが「日本社会はなぜ息苦しいのか」なんですが、なんで自ら息苦しくするんですかね?
鴻上:要は、歴史的な流れで生まれたと言うか。日本という国はまず農耕民族で、みんなが纏まらなければ収穫できなかった。よく言われる狩猟民族みたいな少人数の纏まりじゃなくて、米を作るためには村全体が纏まらなければいけなかったというのがある、ということと…。
それから、結局村は何が一番大事かと言うと、“水をどう引くか”ということが大事で、我がままをしてしまうと村全体が滅びてしまうので、とにかく“水をどう分配するか”が一番のテーマで、それに従わなかったらもう死んでもいい、というぐらい激しく迫害されたわけですね。尚且つ、年貢はそもそも村単位だったので、個人じゃなかったんですよね。だから、村で纏まるということがあるというのがすり込まれたのと…。
アジアの大陸は殿様が変わると言葉が変わったりするわけですけど、日本の場合は殿様が変わっても村はあんまり変わらなかったと言うか。というような色んなすり込みがあって『世間』というものが強かったということです。
茂木:なるほど。
日本の、あんまり考えないで『同調圧力』で行っちゃうところは、鴻上さんが書いている「鴻上尚史の俳優入門」という本で、鴻上さんが説かれている俳優の世界の厳しさとは真逆ですね。
鴻上:真逆ですね。なんでみんながジャッジしないかと言うと、よく言う日本には個人(自我)はいなくて、集団我という…個のグループの喜びとか悲しみを、自分の“我”にする『集団我』にする。そうすると個人がジャッジしないから、真逆になっていくということですよね。
茂木:俳優は厳しい競争とかあるじゃないですか。厳しい演劇の世界で鴻上さんはずっと仕事をされてきていますが、劇団は同調圧力だけではいい作品は作れないということですね。
鴻上:同調圧力が出て来ると怖いですね。だから、なるべく僕はずっと同調圧力が生まれない集団を作ろうと気にしてきました。やっぱり同調圧力を作った方が、上の人間からすると楽なんですけど、そうするとクリエイティビティから一番遠くなるので、そこはすごく気にしていますね。
同調圧力が生まれた瞬間から、下の者は自由にものを言わなくなるし、活発な議論もなくなるから、とにかく同調圧力を壊していくことが一番大事ですよね。
●同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書) / 鴻上尚史
(Amazon)
●鴻上尚史 (@KOKAMIShoji)
●サードステージ
●舞台「ハルシオン・デイズ2020」公式ページ