2020年10月24日
尾崎裕哉さんは、1989年、東京都のご出身。
2歳の時、お父さまでいらっしゃる、尾崎豊さん死去後、
お母さまと共にアメリカに渡り、15歳までの10年間を、アメリカのボストンで過ごされました。
慶應義塾大学大学院をご卒業後、2016年に、自伝『二世』を出版。
アーティスト「尾崎裕哉」としては、
初の音源となるDigital 1st Single『始まりの街』をリリース、
また、2017年には、初のフィジカルCD作品『LET FREEDOM RING』をリリースされました。
以降は、フルオーケストラとの競演「ビルボードクラッシックス」、
弾き語りツアー「ONE MAN STAND」、バンドライブ「INTO THE NIGHT」と、
様々なスタイルでのライブを開催されていらっしゃいます。
そして、今月、21日に、初のフルアルバム「Golden Hour」をリリースされました。
──父親の楽曲を継承する
茂木:裕哉さんが物心ついた時には豊さんはもういらっしゃらなかったわけですけど、アートと言うか、音楽芸術という意味においては、“尾崎豊”と言ったら音楽史に残る方じゃないですか。あえて同じ職業を選んだというのはどういうことですかね?
尾崎:やっぱり、“父親の背中を見て育った”ということだと思います。やっぱり憧れていたんですよ。
それで、音楽を仕事にすると言うことがわりと身近だった。僕が父親と違うなと思うのは、そういうところなんですよ。音楽が最初から身近だったから、音楽で仕事をすることのイメージがすごいつくんです。
もちろん、デビューするまでにものすごい大変だったから10年ぐらいかかったりとか、1stアルバムを出すまでに5年ぐらいかかったりとか。僕はものすごい時間がかかってるんですけど(笑)。
彼があの生き様で駆け抜けた。デビューが18歳で(26歳で亡くなるまで)7・8年で、たくさんアルバムを出してるわけでしょ?
茂木:裕哉さんがデビューしたのが27歳。お父様が亡くなっていた歳ですもんね。
尾崎:そうなんですよ。だから大人ってわけじゃないんですけど、色んなことを掴むのがものすごい早かったのが、ある意味羨ましいです。僕はあえて時間をかけていったつもりだけど、今となっては「ああ、もっと早くやっておけば良かったのかな?」みたいなところもありますけどね。
茂木:お母様は、音楽活動とか今のことを何ておっしゃってます?
尾崎:最初は結構口うるさく色々言ってきたんですけど、最近は安心したみたいで。ライブとかも「安心して観れる」って(笑)。たぶんそれは色んな意味での成長があると思うんですけど。
茂木:お母様はある意味ではお父様を直接知っているわけだから、比較されちゃう? どうなんだろう?
尾崎:もしかしたら、一番比較しているのは母親の可能性はあります。一番僕を知っているのも母親でもあり、一番比較しているのも母親かな、という感じがしますね。
それは結構感じることで、いわゆる世間が見る“尾崎豊”みたいなものをすごく理解しているので、「こういうことをした方が喜ぶよ」とか。そういうのは言われますね。
茂木:そうなんだ! お母様はそういうアドバイスをくださるんですか?
尾崎:結構アドバイスをしたいタイプの人間なので、アドバイスはくれますね。
茂木:(笑)。例えば、「お父さんはこうだったんだよ」という話とかするんですか?
尾崎:します。父親が制作をしていた姿というのは、たぶんそれほど見ていないとは思うんですよ。でも、パーソナルの部分で、「おっちょこちょいだった」という話は良く聞きますよ。
僕の100日祝いで寿司の出前を取った時に、玄関にわーって取りに行って、桶を貰って、それで振り向いた瞬間に、ぶわーって寿司が宙に舞ったって言ってましたね(笑)。
茂木:尾崎豊が寿司を宙に舞わせた(笑)!
尾崎:舞わせて、それで一生懸命みんなでひとつずつ拾って、何とか形にしようとする、みたいな(笑)。尾崎豊が寿司を拾ってる姿が想像できます(笑)?
茂木:イメージがね…。
ちなみに、「もうちょっと生きていてくれたらな」という気持ちはあります?
尾崎:あまり考えたことはないけど、でも、生きていたら面白いんじゃないですか。“尾崎豊は父親として成立するのか?”というところが俺はあまりイメージできないんです。言っても、“音楽をやっている尾崎豊”しか知らないので。なので、「どんな父親だったんだろう?」というのは不思議ですね。
茂木:あまりにも完璧な楽曲をあんなに書いたじゃないですか。もうちょっと長生きしていたら、どんな曲を書いていたんですかね?
尾崎:でも、変わらずにロックをやっていたし、今の時代に言いたいことを言っていたんじゃないですか?
茂木:ひょっとしたら裕哉さんが今の時代で、音楽としてできることを受け継いでやってくださっているのかもしれないですね。
尾崎:一応、その気持ちではいます。
僕が音楽を始めるきっかけが、“父親の見れなかった景色を見ていく”ということをひとつテーマとしていましたし、“父親の楽曲を継承する”というのもテーマですし。僕なりの親孝行と言うか…。父親が僕をミュージシャンにしたいと言っていたという話を母親から聞いていたというのもあって、なので、こうやってやっているというのもあるんですよね。
■プレゼントのお知らせ
今週は、図書カード3,000円分を3名さまにプレゼントします!
ご希望の方は、必要事項を明記の上、
メッセージフォームより、ご応募ください。
茂木さんに聞きたい事や相談したい事など、
一緒にを添えていただけると嬉しいです。
尚、当選者の発表は、
商品の発送をもってかえさせていただきます。
たくさんのご応募、お待ちしております。
●Golden Hour / 尾崎裕哉
(Amazon)
●尾崎裕哉 オフィシャルウェブサイト
●尾崎裕哉 Official INFO(@ozakihiroyainfo) Twitter
●尾崎裕哉 |Hiroya Ozaki (@hiroya.ozaki) Instagram
●尾崎裕哉 SMEレコーズ
※10月24日Dream HEART(ゲスト 尾崎裕哉さん)のpodcast配信は
2020年10月24日22:30〜2021年1月24日22:30までとなります。
2歳の時、お父さまでいらっしゃる、尾崎豊さん死去後、
お母さまと共にアメリカに渡り、15歳までの10年間を、アメリカのボストンで過ごされました。
慶應義塾大学大学院をご卒業後、2016年に、自伝『二世』を出版。
アーティスト「尾崎裕哉」としては、
初の音源となるDigital 1st Single『始まりの街』をリリース、
また、2017年には、初のフィジカルCD作品『LET FREEDOM RING』をリリースされました。
以降は、フルオーケストラとの競演「ビルボードクラッシックス」、
弾き語りツアー「ONE MAN STAND」、バンドライブ「INTO THE NIGHT」と、
様々なスタイルでのライブを開催されていらっしゃいます。
そして、今月、21日に、初のフルアルバム「Golden Hour」をリリースされました。
──父親の楽曲を継承する
茂木:裕哉さんが物心ついた時には豊さんはもういらっしゃらなかったわけですけど、アートと言うか、音楽芸術という意味においては、“尾崎豊”と言ったら音楽史に残る方じゃないですか。あえて同じ職業を選んだというのはどういうことですかね?
尾崎:やっぱり、“父親の背中を見て育った”ということだと思います。やっぱり憧れていたんですよ。
それで、音楽を仕事にすると言うことがわりと身近だった。僕が父親と違うなと思うのは、そういうところなんですよ。音楽が最初から身近だったから、音楽で仕事をすることのイメージがすごいつくんです。
もちろん、デビューするまでにものすごい大変だったから10年ぐらいかかったりとか、1stアルバムを出すまでに5年ぐらいかかったりとか。僕はものすごい時間がかかってるんですけど(笑)。
彼があの生き様で駆け抜けた。デビューが18歳で(26歳で亡くなるまで)7・8年で、たくさんアルバムを出してるわけでしょ?
茂木:裕哉さんがデビューしたのが27歳。お父様が亡くなっていた歳ですもんね。
尾崎:そうなんですよ。だから大人ってわけじゃないんですけど、色んなことを掴むのがものすごい早かったのが、ある意味羨ましいです。僕はあえて時間をかけていったつもりだけど、今となっては「ああ、もっと早くやっておけば良かったのかな?」みたいなところもありますけどね。
茂木:お母様は、音楽活動とか今のことを何ておっしゃってます?
尾崎:最初は結構口うるさく色々言ってきたんですけど、最近は安心したみたいで。ライブとかも「安心して観れる」って(笑)。たぶんそれは色んな意味での成長があると思うんですけど。
茂木:お母様はある意味ではお父様を直接知っているわけだから、比較されちゃう? どうなんだろう?
尾崎:もしかしたら、一番比較しているのは母親の可能性はあります。一番僕を知っているのも母親でもあり、一番比較しているのも母親かな、という感じがしますね。
それは結構感じることで、いわゆる世間が見る“尾崎豊”みたいなものをすごく理解しているので、「こういうことをした方が喜ぶよ」とか。そういうのは言われますね。
茂木:そうなんだ! お母様はそういうアドバイスをくださるんですか?
尾崎:結構アドバイスをしたいタイプの人間なので、アドバイスはくれますね。
茂木:(笑)。例えば、「お父さんはこうだったんだよ」という話とかするんですか?
尾崎:します。父親が制作をしていた姿というのは、たぶんそれほど見ていないとは思うんですよ。でも、パーソナルの部分で、「おっちょこちょいだった」という話は良く聞きますよ。
僕の100日祝いで寿司の出前を取った時に、玄関にわーって取りに行って、桶を貰って、それで振り向いた瞬間に、ぶわーって寿司が宙に舞ったって言ってましたね(笑)。
茂木:尾崎豊が寿司を宙に舞わせた(笑)!
尾崎:舞わせて、それで一生懸命みんなでひとつずつ拾って、何とか形にしようとする、みたいな(笑)。尾崎豊が寿司を拾ってる姿が想像できます(笑)?
茂木:イメージがね…。
ちなみに、「もうちょっと生きていてくれたらな」という気持ちはあります?
尾崎:あまり考えたことはないけど、でも、生きていたら面白いんじゃないですか。“尾崎豊は父親として成立するのか?”というところが俺はあまりイメージできないんです。言っても、“音楽をやっている尾崎豊”しか知らないので。なので、「どんな父親だったんだろう?」というのは不思議ですね。
茂木:あまりにも完璧な楽曲をあんなに書いたじゃないですか。もうちょっと長生きしていたら、どんな曲を書いていたんですかね?
尾崎:でも、変わらずにロックをやっていたし、今の時代に言いたいことを言っていたんじゃないですか?
茂木:ひょっとしたら裕哉さんが今の時代で、音楽としてできることを受け継いでやってくださっているのかもしれないですね。
尾崎:一応、その気持ちではいます。
僕が音楽を始めるきっかけが、“父親の見れなかった景色を見ていく”ということをひとつテーマとしていましたし、“父親の楽曲を継承する”というのもテーマですし。僕なりの親孝行と言うか…。父親が僕をミュージシャンにしたいと言っていたという話を母親から聞いていたというのもあって、なので、こうやってやっているというのもあるんですよね。
■プレゼントのお知らせ
今週は、図書カード3,000円分を3名さまにプレゼントします!
ご希望の方は、必要事項を明記の上、
メッセージフォームより、ご応募ください。
茂木さんに聞きたい事や相談したい事など、
一緒にを添えていただけると嬉しいです。
尚、当選者の発表は、
商品の発送をもってかえさせていただきます。
たくさんのご応募、お待ちしております。
●Golden Hour / 尾崎裕哉
(Amazon)
●尾崎裕哉 オフィシャルウェブサイト
●尾崎裕哉 Official INFO(@ozakihiroyainfo) Twitter
●尾崎裕哉 |Hiroya Ozaki (@hiroya.ozaki) Instagram
●尾崎裕哉 SMEレコーズ
※10月24日Dream HEART(ゲスト 尾崎裕哉さん)のpodcast配信は
2020年10月24日22:30〜2021年1月24日22:30までとなります。