2020年03月21日
今週ゲストにお迎えしたのは先週に引き続き、ジャーナリストの堀潤さんです。
堀潤さんは、1977年生まれ、兵庫県のご出身です。
立教大学文学部ドイツ文学科卒業後、
アナウンサーとして、2001年NHKに入局。
岡山放送局での勤務を経て、「ニュースウォッチ9」リポーター、
「Bizスポ」キャスター等、報道番組を担当。
また、2012年に、市民ニュースサイト「8bitNews」を自ら立ち上げ、
2013年4月1日付でNHKを退局。
フリーに転身後は、ジャーナリスト、キャスターとして、
数多くのテレビ・ラジオ番組などに出演する一方、インターネットテレビ、SNS、
執筆活動などを通じて、精力的に発信を続けていらっしゃいます。
──メディア人としての役割
茂木:先週はドキュメンタリー映画「わたしは分断を許さない」について伺ったんですが、堀さんは元々、NHKのアナウンサーということで。辞めると言ったとき、周りの方はなんとおっしゃったんですか?
堀:近しい仲間はみんな応援してくれました。なぜ辞めたかと言うと、やっぱり僕は取材した人たちの言葉を出せる限り出したかったんです。
取材を1日〜2日かけてさせていただいてもニュースで出す部分は本当に短い。当時はテープでしたけど、テープ4、5本回しても一本にも満たない量しか出ないわけですよ。
東日本大震災があって原発の事故があって、被災した地域とかを回っていても現場に行くと本当にいろんな考え方があるんです。
でも、結局出せるのが限られていたときに限られている理由ってこちら側の論理だなと思ったんです。放送時間とか、番組の質ですとか。だけど、取材を受けていらっしゃる皆さんには関係ないですよね。
茂木:そうだね。一生懸命話してるもんね。
堀:そうなんです。だから、フリーになってしまえば映像はテレビで伝えられなくたってYouTubeで出せます。映像だけじゃなくてじっくり読みたいということであれば、文章で出そう。出版もある、ブログもある。音声だったらラジオで寄り添うような形で伝えられる。
表現は非常に多様だし、“なんであれが出せなかったんだよ”って舌打ちする前に出せるところに行けばいいのかなと思ったんです。
茂木:辞めた日はスッキリしましたか?
堀:辞めた日のことは今でもよく覚えてます。ギャグ漫画のように空に向かって「自由だ!」って言いましたから(笑)。
この10年の間、東日本大震災以降も、本当に各地で災害や社会事件が相次いでますよね。
僕、地震とかが発生すると「もし支援が必要な方がいたら連絡をください」って言って自分のLINEのIDを公開するんです。「大変な時かもしれないけど、動画が一本、写真一枚送ってくれたらこれを元に僕が検証して記事にして送ってくださったところに行きます」という活動を熊本地震以降は災害が起きる毎にやっています。
茂木:堀さんはいろんな意見の人を中立ちするのが上手い方というイメージがあるんですけど、その辺りってどこから来てるんですか?
堀:これは、テレビマンだからかもしれないです。知りたいんです。なんでそう思ったのか。
茂木:どんな意見でも。
堀:うん。極論を言う人がいたとしても、そんなのおかしいじゃなくてなんでそう思ったんですか?って思うんです。
茂木:好奇心で聞いちゃうんですね。
堀:そうなんです。知らないと否定も出来ないというか。賛同もできないですよね。
最初は“そんなこととんでもない!”と思っていても、よくよく理由を聞いてみると”一理あるね!”ってなることもある。
茂木:その人なりの理由があるということですね。
堀:一理あると思ったところが、ものすごく問題を複雑化させてるかもしれない。そういうところこそ、みんなで処方箋が何なのか考えてないといけないところかもしれないなと思います。
NHKを辞めた一つの理由としては、メディアは問題がそこにあることを掴み取って、社会に対して「ここに問題がありますね」って提言しておいて「次はスポーツです」と言ってしまう。
これじゃあ本当に困ってる人は取り残されたままになっちゃうんじゃないか。もっとその先まで行きたかったんですよ。
だから色んな人の知恵を集めましょうと。良い知恵って全く立場が違うとか、見てる景色が違う人同士が知恵を出し合った方が新たな気づきがあるんですね。
そういう場所を作るのがメディア人の役割なのかなと思います。
茂木:なるほど。
堀:最初はそんなこと思ってなかったです。何が正義なのか白黒つけようじゃないか。コロシアムを用意したので思う存分議論してくださいっていう気持ちでしたけど、平成の半ばから後半って本当に色んな事があったし、令和もスタートからいろんな混乱があって。
そんなことをやってる余裕ないというか、災害にしても経済事情や社会問題にしても…。そういうことを考えたとき、「対立しているから、それってもう聞かないよね」というのはないだろうなと思ったんです。
茂木:その人柄の良さで堀さんはいろんな現場に入っていけるんでしょうね。
●映画「わたしは分断を許さない」| 堀潤
監督 オフィシャルサイト
●映画「わたしは分断を許さない」
(@2020Bundan) · Twitter
●堀 潤 JUN HORI (@8bit_
HORIJUN) · Twitter
●堀 潤 JUN HORI|note
堀潤さんは、1977年生まれ、兵庫県のご出身です。
立教大学文学部ドイツ文学科卒業後、
アナウンサーとして、2001年NHKに入局。
岡山放送局での勤務を経て、「ニュースウォッチ9」リポーター、
「Bizスポ」キャスター等、報道番組を担当。
また、2012年に、市民ニュースサイト「8bitNews」を自ら立ち上げ、
2013年4月1日付でNHKを退局。
フリーに転身後は、ジャーナリスト、キャスターとして、
数多くのテレビ・ラジオ番組などに出演する一方、インターネットテレビ、SNS、
執筆活動などを通じて、精力的に発信を続けていらっしゃいます。
──メディア人としての役割
茂木:先週はドキュメンタリー映画「わたしは分断を許さない」について伺ったんですが、堀さんは元々、NHKのアナウンサーということで。辞めると言ったとき、周りの方はなんとおっしゃったんですか?
堀:近しい仲間はみんな応援してくれました。なぜ辞めたかと言うと、やっぱり僕は取材した人たちの言葉を出せる限り出したかったんです。
取材を1日〜2日かけてさせていただいてもニュースで出す部分は本当に短い。当時はテープでしたけど、テープ4、5本回しても一本にも満たない量しか出ないわけですよ。
東日本大震災があって原発の事故があって、被災した地域とかを回っていても現場に行くと本当にいろんな考え方があるんです。
でも、結局出せるのが限られていたときに限られている理由ってこちら側の論理だなと思ったんです。放送時間とか、番組の質ですとか。だけど、取材を受けていらっしゃる皆さんには関係ないですよね。
茂木:そうだね。一生懸命話してるもんね。
堀:そうなんです。だから、フリーになってしまえば映像はテレビで伝えられなくたってYouTubeで出せます。映像だけじゃなくてじっくり読みたいということであれば、文章で出そう。出版もある、ブログもある。音声だったらラジオで寄り添うような形で伝えられる。
表現は非常に多様だし、“なんであれが出せなかったんだよ”って舌打ちする前に出せるところに行けばいいのかなと思ったんです。
茂木:辞めた日はスッキリしましたか?
堀:辞めた日のことは今でもよく覚えてます。ギャグ漫画のように空に向かって「自由だ!」って言いましたから(笑)。
この10年の間、東日本大震災以降も、本当に各地で災害や社会事件が相次いでますよね。
僕、地震とかが発生すると「もし支援が必要な方がいたら連絡をください」って言って自分のLINEのIDを公開するんです。「大変な時かもしれないけど、動画が一本、写真一枚送ってくれたらこれを元に僕が検証して記事にして送ってくださったところに行きます」という活動を熊本地震以降は災害が起きる毎にやっています。
茂木:堀さんはいろんな意見の人を中立ちするのが上手い方というイメージがあるんですけど、その辺りってどこから来てるんですか?
堀:これは、テレビマンだからかもしれないです。知りたいんです。なんでそう思ったのか。
茂木:どんな意見でも。
堀:うん。極論を言う人がいたとしても、そんなのおかしいじゃなくてなんでそう思ったんですか?って思うんです。
茂木:好奇心で聞いちゃうんですね。
堀:そうなんです。知らないと否定も出来ないというか。賛同もできないですよね。
最初は“そんなこととんでもない!”と思っていても、よくよく理由を聞いてみると”一理あるね!”ってなることもある。
茂木:その人なりの理由があるということですね。
堀:一理あると思ったところが、ものすごく問題を複雑化させてるかもしれない。そういうところこそ、みんなで処方箋が何なのか考えてないといけないところかもしれないなと思います。
NHKを辞めた一つの理由としては、メディアは問題がそこにあることを掴み取って、社会に対して「ここに問題がありますね」って提言しておいて「次はスポーツです」と言ってしまう。
これじゃあ本当に困ってる人は取り残されたままになっちゃうんじゃないか。もっとその先まで行きたかったんですよ。
だから色んな人の知恵を集めましょうと。良い知恵って全く立場が違うとか、見てる景色が違う人同士が知恵を出し合った方が新たな気づきがあるんですね。
そういう場所を作るのがメディア人の役割なのかなと思います。
茂木:なるほど。
堀:最初はそんなこと思ってなかったです。何が正義なのか白黒つけようじゃないか。コロシアムを用意したので思う存分議論してくださいっていう気持ちでしたけど、平成の半ばから後半って本当に色んな事があったし、令和もスタートからいろんな混乱があって。
そんなことをやってる余裕ないというか、災害にしても経済事情や社会問題にしても…。そういうことを考えたとき、「対立しているから、それってもう聞かないよね」というのはないだろうなと思ったんです。
茂木:その人柄の良さで堀さんはいろんな現場に入っていけるんでしょうね。
●映画「わたしは分断を許さない」| 堀潤
監督 オフィシャルサイト
●映画「わたしは分断を許さない」
(@2020Bundan) · Twitter
●堀 潤 JUN HORI (@8bit_
HORIJUN) · Twitter
●堀 潤 JUN HORI|note