2020年01月04日
今週ゲストにお迎えしたのは、祥伝社から「ビジネスの武器としての『デザイン』」を発売された、工業デザイナーの奥山清行さんです。
奥山さんは、1959年、山形県生まれ。
1982年に海外に移住して以来、ゼネラルモーターズ社のチーフデザイナー。
ポルシェのシニアデザイナー。イタリア ピニンファリーナ社のデザインディレクター。
アメリカ合衆国 アートセンター・カレッジ・オブ・デザインの工業デザイン学部長などを歴任されています。
フェラーリエンツォ、マセラティ、クアトロポルテなどの代表作をはじめ、世界的企業の工業デザインや、ブランディングを手がけられました。
そして、2007年よりKEN OKUYAMA DESIGNを立ち上げられ、その代表として山形・東京・ロサンゼルスを拠点にデザインコンサルティングのほか、
日本そして海外で、有名ブランドのデザインをされるなどご活躍中でいらっしゃいます。
──デザインのあり方
茂木:ご著書「ビジネスの武器としての『デザイン』」。この本は、奥山さんにとって今までの集大成みたいな本ですね。
奥山:そうですね。ここ数年本を出してなかったのでネタが貯まるまでかなり温めまして。
実は最近、ものをデザインするというよりも、経営とかビジネス全体をデザインしてくれという話の方が多くて、役員会に出たり、バランスシートを見るということが増えました。
その中で、やっぱりデザインってすごく重要だということに経営の立場から見ることで逆に気がつきまして。そこでちょっと一冊書こうかなと思って今回に至りました。
茂木:今回の本ってデザイン本に留まっていないですよね。
奥山:デザインというのがすごい勘違いされてまして、スタイリングもデザインの一部なんですけども、日本ってそれに留まっちゃって、作家性とか形とか色とかで終わってしまう。
むしろ、国土のグランドデザインとか、それぐらい大きなくくりなんですよ。そういう話をしてます。
茂木:この本は素晴らしい言葉もたくさん書いてありまして、「そもそもデザインの語源はラテン語はdesignare(デジナーレ)とされ…」と書いてあるんですが、デジナーレってどういう意味なんでしょう?
奥山:設計とか企画というところまで入れて、デジナーレという言葉だったんです。
日本では当てはまる言葉がないのでデザインという言葉使ってますけれども、設定の方に近いですね。
茂木:そして、奥山さんはこうも書かれています。
「文系理系の枠の観点で言えば、これまで日本のデザイン教育というのは文系理系のしがらみの中にあって、美大受験は文系の区分だった」これが非常に問題だと。
奥山:今でも日本の教育ってどうしても高校1年で文系なのか理系なのかって分けられちゃいますけど、高校1年で自分の人生ってわかるわけないじゃないですか。
後戻りできないのが日本の仕組みなんですよね。アメリカですごく良いと思ったのは、再スタートできるんです。
文系の教育を受けて、なんだか満足できなくてアメリカにたまたま行ったら今度は理系のデザイン教育を受けまして。デザインってちょうど真ん中なんですよ。
ただ、世の中を変えているほとんどのものってちょうど理系と文系の真ん中のものじゃないですか。
茂木:おっしゃる通りです。
奥山:だから、日本の教育ってそういう枠を取らないといけないなと思います。
茂木:奥山さんを見ていると、JRさんやヤンマーさんなどの日本を代表する企業とコラボされてるんですけど、何となく外国人枠みたいなところないですか?
奥山:その通りでして、社内の人たちができないとか、気がつかないこと。それから、僕は基本的に素人代表、お客様代表だと思っていまして。専門知識はありませんよ。ただ、お客様だったらこういう風に思うだろうな、というような話を役員会とかでズケズケとするんです(笑)。
最初はデザイナーが役員会で何ができるの?みたいな空気がありましたけれども、素人だから逆にバランスシートを読めなくても全然いいんですよ。
意外とプロの人であればあるほど、お客様像が見えない、現場も見えないっていうことが多いんで、それの僕の役割ですよね。
茂木:デザインのイメージが今回の本「ビジネスの武器としての『デザイン』」を読むと一新されるんですけど、このようにもお書きになってますよね。
「日本ではビジネスのためのデザインではなく、アート(アーティストとしてのデザイン)デザイナーを期待してしまってる」と。
奥山:確かに日本は素晴らしいアーティストがいらっしゃいますが、それで商品を出しますと一発屋で終わっちゃうんですよ。
茂木:持続可能性がないんですね。
奥山:はい。話題にはなる。ひと商品は売れる。それがアーティストのブランドアップにはなっても、企業のブランド力は上がらないんです。
それから、シリーズでずっとこれから出てくるべき全体の戦略とか、商品体系とかが見えないまま終わっちゃうのは経営者もそうですし、お客様もアートをデザインに期待しちゃってるんですよ。
茂木:奥山さんは日本の美大を普通に出られましたが、その頃ってやっぱりアーティストとしてのデザイナーっていうイメージをみなさん持ってらしたんですか?
奥山:横尾忠則さんとか、粟津潔さんとか本当に素晴らしい方いらっしゃった頃なんですけれども、僕山形の出身じゃないですか。
進学校だったので、幼稚園受験、小学校受験、中学受験、高校受験とずっと受験をしていたんです。
茂木:教育重視のご家庭だったんですね。
奥山:田舎って選択肢がないので、違うことやろうと思ったらそれしかなくて。
僕はもう大学に行くのが嫌だったんですけれど、何をしようかって考えたときに、一番最初は日本画家になろうと思ったんです。
茂木:そうなんですか!
奥山:それで美術の先生に相談したら「やめておけ奥山。これからはデザインだ」って言われたんです。
1978年とかその辺りのデザインって、グラフィックデザインでパルコのCMとか、テレビコマーシャルなんかものすごい華やかだった頃なので、僕はグラフィックの方で入ったんですよ。
ただ、全然思ってたのと違ってなんだかつまらないなと思ったので芸大を受験したんですが、田舎から行くと全然受験の仕方もわからなくて、絵の半分も終わんなくて一次で落ちました。
で、滑り止めって言ったら僕の母校に申し訳ないですけど、武蔵美に入ったんです。クラスメイトはすごいんです! みうらじゅんとか、中島信也とか。
でも、一番最初に入ったときの自己紹介で、なんでこの大学に来たんですか?って教授が聞くと「芸大に落ちたので」みんな言うわけですよ(笑)。まあでも、そういう人たちが世の中を変えてますけれどもね。
そんな中で、僕はなんだか満足できなくて。立体デザインや工業デザインが好きだというのは後から気がついてアメリカに行ったんです。
●KEN OKUYAMA DESIGN
●ビジネスの武器としての「デザイン」/ 奥山清行
(Amazon)
●祥伝社
奥山さんは、1959年、山形県生まれ。
1982年に海外に移住して以来、ゼネラルモーターズ社のチーフデザイナー。
ポルシェのシニアデザイナー。イタリア ピニンファリーナ社のデザインディレクター。
アメリカ合衆国 アートセンター・カレッジ・オブ・デザインの工業デザイン学部長などを歴任されています。
フェラーリエンツォ、マセラティ、クアトロポルテなどの代表作をはじめ、世界的企業の工業デザインや、ブランディングを手がけられました。
そして、2007年よりKEN OKUYAMA DESIGNを立ち上げられ、その代表として山形・東京・ロサンゼルスを拠点にデザインコンサルティングのほか、
日本そして海外で、有名ブランドのデザインをされるなどご活躍中でいらっしゃいます。
──デザインのあり方
茂木:ご著書「ビジネスの武器としての『デザイン』」。この本は、奥山さんにとって今までの集大成みたいな本ですね。
奥山:そうですね。ここ数年本を出してなかったのでネタが貯まるまでかなり温めまして。
実は最近、ものをデザインするというよりも、経営とかビジネス全体をデザインしてくれという話の方が多くて、役員会に出たり、バランスシートを見るということが増えました。
その中で、やっぱりデザインってすごく重要だということに経営の立場から見ることで逆に気がつきまして。そこでちょっと一冊書こうかなと思って今回に至りました。
茂木:今回の本ってデザイン本に留まっていないですよね。
奥山:デザインというのがすごい勘違いされてまして、スタイリングもデザインの一部なんですけども、日本ってそれに留まっちゃって、作家性とか形とか色とかで終わってしまう。
むしろ、国土のグランドデザインとか、それぐらい大きなくくりなんですよ。そういう話をしてます。
茂木:この本は素晴らしい言葉もたくさん書いてありまして、「そもそもデザインの語源はラテン語はdesignare(デジナーレ)とされ…」と書いてあるんですが、デジナーレってどういう意味なんでしょう?
奥山:設計とか企画というところまで入れて、デジナーレという言葉だったんです。
日本では当てはまる言葉がないのでデザインという言葉使ってますけれども、設定の方に近いですね。
茂木:そして、奥山さんはこうも書かれています。
「文系理系の枠の観点で言えば、これまで日本のデザイン教育というのは文系理系のしがらみの中にあって、美大受験は文系の区分だった」これが非常に問題だと。
奥山:今でも日本の教育ってどうしても高校1年で文系なのか理系なのかって分けられちゃいますけど、高校1年で自分の人生ってわかるわけないじゃないですか。
後戻りできないのが日本の仕組みなんですよね。アメリカですごく良いと思ったのは、再スタートできるんです。
文系の教育を受けて、なんだか満足できなくてアメリカにたまたま行ったら今度は理系のデザイン教育を受けまして。デザインってちょうど真ん中なんですよ。
ただ、世の中を変えているほとんどのものってちょうど理系と文系の真ん中のものじゃないですか。
茂木:おっしゃる通りです。
奥山:だから、日本の教育ってそういう枠を取らないといけないなと思います。
茂木:奥山さんを見ていると、JRさんやヤンマーさんなどの日本を代表する企業とコラボされてるんですけど、何となく外国人枠みたいなところないですか?
奥山:その通りでして、社内の人たちができないとか、気がつかないこと。それから、僕は基本的に素人代表、お客様代表だと思っていまして。専門知識はありませんよ。ただ、お客様だったらこういう風に思うだろうな、というような話を役員会とかでズケズケとするんです(笑)。
最初はデザイナーが役員会で何ができるの?みたいな空気がありましたけれども、素人だから逆にバランスシートを読めなくても全然いいんですよ。
意外とプロの人であればあるほど、お客様像が見えない、現場も見えないっていうことが多いんで、それの僕の役割ですよね。
茂木:デザインのイメージが今回の本「ビジネスの武器としての『デザイン』」を読むと一新されるんですけど、このようにもお書きになってますよね。
「日本ではビジネスのためのデザインではなく、アート(アーティストとしてのデザイン)デザイナーを期待してしまってる」と。
奥山:確かに日本は素晴らしいアーティストがいらっしゃいますが、それで商品を出しますと一発屋で終わっちゃうんですよ。
茂木:持続可能性がないんですね。
奥山:はい。話題にはなる。ひと商品は売れる。それがアーティストのブランドアップにはなっても、企業のブランド力は上がらないんです。
それから、シリーズでずっとこれから出てくるべき全体の戦略とか、商品体系とかが見えないまま終わっちゃうのは経営者もそうですし、お客様もアートをデザインに期待しちゃってるんですよ。
茂木:奥山さんは日本の美大を普通に出られましたが、その頃ってやっぱりアーティストとしてのデザイナーっていうイメージをみなさん持ってらしたんですか?
奥山:横尾忠則さんとか、粟津潔さんとか本当に素晴らしい方いらっしゃった頃なんですけれども、僕山形の出身じゃないですか。
進学校だったので、幼稚園受験、小学校受験、中学受験、高校受験とずっと受験をしていたんです。
茂木:教育重視のご家庭だったんですね。
奥山:田舎って選択肢がないので、違うことやろうと思ったらそれしかなくて。
僕はもう大学に行くのが嫌だったんですけれど、何をしようかって考えたときに、一番最初は日本画家になろうと思ったんです。
茂木:そうなんですか!
奥山:それで美術の先生に相談したら「やめておけ奥山。これからはデザインだ」って言われたんです。
1978年とかその辺りのデザインって、グラフィックデザインでパルコのCMとか、テレビコマーシャルなんかものすごい華やかだった頃なので、僕はグラフィックの方で入ったんですよ。
ただ、全然思ってたのと違ってなんだかつまらないなと思ったので芸大を受験したんですが、田舎から行くと全然受験の仕方もわからなくて、絵の半分も終わんなくて一次で落ちました。
で、滑り止めって言ったら僕の母校に申し訳ないですけど、武蔵美に入ったんです。クラスメイトはすごいんです! みうらじゅんとか、中島信也とか。
でも、一番最初に入ったときの自己紹介で、なんでこの大学に来たんですか?って教授が聞くと「芸大に落ちたので」みんな言うわけですよ(笑)。まあでも、そういう人たちが世の中を変えてますけれどもね。
そんな中で、僕はなんだか満足できなくて。立体デザインや工業デザインが好きだというのは後から気がついてアメリカに行ったんです。
●KEN OKUYAMA DESIGN
●ビジネスの武器としての「デザイン」/ 奥山清行
(Amazon)
●祥伝社