2019年11月16日
今週ゲストにお迎えしたのは、乙武洋匡さんです。
1976年、東京都生まれ。
1998年、大学在学中に上梓した『五体不満足』は、600万部のベストセラーとなり、話題を集めました。
2000年、早稲田大学政経学部をご卒業後は、スポーツライター、小学校の教諭などを務められます。
現在は、執筆、講演活動のほか、インターネットテレビ「AbemaTV」の報道番組、
『AbemaPrime』のMCとしてもご活躍中です。
そして11月1日、講談社より、著書「四肢奮迅」を刊行されました。
──著書「四肢奮迅」
茂木:著書「四肢奮迅」は、「五体不満足」と同じ講談社ですね。
乙武:実は出版社が同じだけではなくて、編集者の方も同じなんですよ。
茂木:え、小沢さん?
乙武:そうですね。
茂木:それは強力な人ですよね。
実際に出来上がった本を拝読してるんですけど、写真も色々あったり、乙武さんのこれまでの全著作リストがあったり、ある種これはエポックメイキングなものですよね。
乙武:そうですね。皆さんにとってさらに面白いかなと思うのは、実は私が生まれてから小学校3年生ぐらいまで、10年弱の成長の記録というものが映像で撮り溜めてあったんですね。
茂木:それは「五体不満足」の時には知らなかったんですよね?
乙武:はい。それが最近になって発掘されまして、それを見ることで私も知らなかった事実、改めてわかった事というのが結構あったんですよ。
なので、「五体不満足」には盛り込めていなかった幼少期のエピソードや…義足の本なので実は3歳ぐらいまで義足の練習をしていたことがあって、そういうエピソードが中心ではあるんですが。
当時の母の想いだったり、そういったことも一章丸々使って書き込んであるので、面白く読んでいただけるんじゃないのかなと思います。
茂木:今回、義足プロジェクトをクラウドファンディングされて大変注目されているんですけど。
そもそも、3歳ぐらいまで義足を使おうとしていたことを我々も認識していなくて、その辺りのエピソードが読み応えありますね。
乙武:自分が生まれた頃、つまり43年前というのは、まだまだ障害者に対する認識意識というのも今ほど高いものではありませんでした。
当然、街中のバリアフリーも進んでいるわけではなかったですから、車椅子で生活をするということに、今、我々が感じている以上の困難が予想されていたんですね。
そういうこともあって、“義足を付けて歩くことができたら”という思いを、当時周りの大人は持ってくれていたと思うんですけれども。
当時の技術を用いた義足では、私のような両足のみならず、両手もない子供を歩かせるというのは難しかったんですね。それによって3歳の頃、義足を断念して今乗っている電動車椅子に切り替えたという経緯があったんです。
茂木:本の中でも紹介されていますけど、乙武さんのお母さんは生まれてから1ヶ月間、乙武さんに会えなかったんですよね。
乙武:はい、生まれた直後ですね。
茂木:その間、周りが気を使っていて。だけど、実際に会った時に初めて言った言葉が?
乙武:「可愛い」と言ってくれたんですね。
茂木:これも素敵なエピソードだし、お母さんとしては、手足は無いんだけどその乙武さんでいいと。
乙武:そうですね。私が今回の義足プロジェクトに限らず、これまで色んなチャレンジをさせて頂いてきてよく言われるのが、「乙武さんは、どうしてそんなに強いんですか?」とか、「次から次へと、何でもやってみようという気持ちになれるんですか?」と言っていただくんですけれど。
それはやっぱり、自己肯定感というものが私の中で強く育まれてきたからなのかなと思うんですね。
それについて、以前母と話をしたことがあるんですけれども。私が生まれた時に、父も母も私が“どう育っていくのか”というのは、皆目検討がつかなかった。
もっと言えば、一生寝たきりかもしれないと覚悟はしていたそうなんです。
だからこそ、“一生寝たきりかもしれない”と思っていた子が、自分で寝返りを打った、自分で起き上がって座れるようになった、歩き出した、ご飯を食べた、字を書いた……何をやっても、寝たきりがベースにあるとプラス評価だったんです。
だから、「よく、こんなこと出来るようになったね」と、褒めてあげることができた。
茂木:うんうん。
乙武:ところが、多くのお子さんは親が最低限願う“五体満足で生まれてきてくれたら”という願いを満たしてせっかく生まれて来ているのに、「勉強ができない」とか、「他の子と比べて出来ない」という風に、減点主義で育ててしまってることが多いから、どうしても自己肯定感が育みにくいんじゃないのかなと、母が話していたんですけれども。
そういった意味で、私の場合は何か出来る度に「よく出来るようになったね!」と、褒めて育ててもらえたというのは、非常に大きかったのかなと思います。
茂木:今の話は本当に大事だと思うんですけど、子供の時は義足が嫌だったんですよね?
車椅子で十分移動もできるし、その時は義足を使わない生活を選ばれたわけじゃないですか。この姿で普通学級に行って、ずっと歩まれてきたわけですよね?
乙武:はい、そうですね。
茂木:その中で、今回あえて「義足プロジェクト」に向き合ったというのはどんな思いからなんですか?
乙武:実は「乙武さんも、実はやっぱり歩きたいっていう思いがあったんですね」と、誤解をされることが多いんですけれども。
正直なところを言うと、私自身、“歩きたい”という思いをそんなに抱いてきたわけではなかったし、今、一生懸命トレーニングしていますけども、このプロジェクトがある程度成功して、私がその義足を使いこなせるようになったとしても、おそらく私の生活のベースは電動車椅子のままだと思うんです。
茂木:使いこなしてらっしゃるし、便利なわけですもんね。
乙武:そうなんですよ。3歳の頃から、40年間これで生活をしているので、ハードなトレーニングを積んで義足で歩けるようになりたいとは
正直思わないんですよね。
茂木:自己肯定感と仰いましたけど、この車椅子での生活が完全に馴染んでいらっしゃいますもんね。
乙武:そうですね。本当にこれが私の足代わりとして一心同体で生活してきたので。
自分からは、“二本足で歩けるようになりたい”とは、思わなかったんですね。
茂木:乙武さんがやられている、「乙武義足プロジェクト」。
大切なプロジェクトだと思うんですけど、子供の時には義足が嫌だったわけですよね? その中で、今回あえて「乙武義足プロジェクト」をされているんですか?
乙武:今回プロジェクトのリーダーである遠藤健さんが私に声をかけてくださいました。
これまでの技術では、私が子供の頃難しかったように、両足とも膝から上が全部無いという方が義足で歩けるようになるというのは、ちょっと難しかったんです。
それが、彼が開発した最新式のモーターを組み込むことによって、両膝が無い方でも歩けるようになるかもしれないと、そういう技術が生まれてきたわけなんです。
私は生まれつきの障害なので、自分の足で歩けるようになりたい、という思いはないけれども。やはり中途障害で、事故や病気で途中で足を失った方は、“もう一度自分の足で歩きたい”という思いを抱いている方が非常に多くいらっしゃると。
そういう方々に、こういう新しい技術、新しいロボット義足が出てきましたよと、広く伝えていくには、やっぱり乙武さんのような名前の知られた方が取り組んでくださるということが大事なので、ぜひ力を貸してくださいと言っていただきました。
茂木:遠藤さんはMITで研究されていて、その時の先生が「障害っていうのは技術が足りないからだ」というようなお考えなんてすよね。
乙武:そうですね。ヒュー・ハー教授という方で、ご自身も両足のない方なんですね。
すごくユーモアのある方らしくて、健常者の年学生たちに対して「お前らの足は年々歳をとって老化していくだろ? 俺の足は年々進化していくんだ」と仰るくらい、ユーモアのある方らしいんですけれども。
世の中にある障害というのは、その人が抱えているんじゃなくて、まだそれを補うためのテクノロジーが生まれていないだけなんだ、ということを定義されているんですね。
遠藤さんも、ハー教授のお考えに強く共鳴をしていて、スタスタと歩けるような義足が開発されれば、“足がない”ということが障害にならない。
目が悪い方が眼鏡をかければ障害者じゃなくなるように、足が無い方も義足をつけることで障害者じゃなくなる、そういう未来を築きたいという思いに私も賛同させていただいて、今回のプロジェクトに参加させていただきました。
●『乙武洋匡さんーTwitter』
●四肢奮迅/ 乙武洋匡
(Amazon)
1976年、東京都生まれ。
1998年、大学在学中に上梓した『五体不満足』は、600万部のベストセラーとなり、話題を集めました。
2000年、早稲田大学政経学部をご卒業後は、スポーツライター、小学校の教諭などを務められます。
現在は、執筆、講演活動のほか、インターネットテレビ「AbemaTV」の報道番組、
『AbemaPrime』のMCとしてもご活躍中です。
そして11月1日、講談社より、著書「四肢奮迅」を刊行されました。
──著書「四肢奮迅」
茂木:著書「四肢奮迅」は、「五体不満足」と同じ講談社ですね。
乙武:実は出版社が同じだけではなくて、編集者の方も同じなんですよ。
茂木:え、小沢さん?
乙武:そうですね。
茂木:それは強力な人ですよね。
実際に出来上がった本を拝読してるんですけど、写真も色々あったり、乙武さんのこれまでの全著作リストがあったり、ある種これはエポックメイキングなものですよね。
乙武:そうですね。皆さんにとってさらに面白いかなと思うのは、実は私が生まれてから小学校3年生ぐらいまで、10年弱の成長の記録というものが映像で撮り溜めてあったんですね。
茂木:それは「五体不満足」の時には知らなかったんですよね?
乙武:はい。それが最近になって発掘されまして、それを見ることで私も知らなかった事実、改めてわかった事というのが結構あったんですよ。
なので、「五体不満足」には盛り込めていなかった幼少期のエピソードや…義足の本なので実は3歳ぐらいまで義足の練習をしていたことがあって、そういうエピソードが中心ではあるんですが。
当時の母の想いだったり、そういったことも一章丸々使って書き込んであるので、面白く読んでいただけるんじゃないのかなと思います。
茂木:今回、義足プロジェクトをクラウドファンディングされて大変注目されているんですけど。
そもそも、3歳ぐらいまで義足を使おうとしていたことを我々も認識していなくて、その辺りのエピソードが読み応えありますね。
乙武:自分が生まれた頃、つまり43年前というのは、まだまだ障害者に対する認識意識というのも今ほど高いものではありませんでした。
当然、街中のバリアフリーも進んでいるわけではなかったですから、車椅子で生活をするということに、今、我々が感じている以上の困難が予想されていたんですね。
そういうこともあって、“義足を付けて歩くことができたら”という思いを、当時周りの大人は持ってくれていたと思うんですけれども。
当時の技術を用いた義足では、私のような両足のみならず、両手もない子供を歩かせるというのは難しかったんですね。それによって3歳の頃、義足を断念して今乗っている電動車椅子に切り替えたという経緯があったんです。
茂木:本の中でも紹介されていますけど、乙武さんのお母さんは生まれてから1ヶ月間、乙武さんに会えなかったんですよね。
乙武:はい、生まれた直後ですね。
茂木:その間、周りが気を使っていて。だけど、実際に会った時に初めて言った言葉が?
乙武:「可愛い」と言ってくれたんですね。
茂木:これも素敵なエピソードだし、お母さんとしては、手足は無いんだけどその乙武さんでいいと。
乙武:そうですね。私が今回の義足プロジェクトに限らず、これまで色んなチャレンジをさせて頂いてきてよく言われるのが、「乙武さんは、どうしてそんなに強いんですか?」とか、「次から次へと、何でもやってみようという気持ちになれるんですか?」と言っていただくんですけれど。
それはやっぱり、自己肯定感というものが私の中で強く育まれてきたからなのかなと思うんですね。
それについて、以前母と話をしたことがあるんですけれども。私が生まれた時に、父も母も私が“どう育っていくのか”というのは、皆目検討がつかなかった。
もっと言えば、一生寝たきりかもしれないと覚悟はしていたそうなんです。
だからこそ、“一生寝たきりかもしれない”と思っていた子が、自分で寝返りを打った、自分で起き上がって座れるようになった、歩き出した、ご飯を食べた、字を書いた……何をやっても、寝たきりがベースにあるとプラス評価だったんです。
だから、「よく、こんなこと出来るようになったね」と、褒めてあげることができた。
茂木:うんうん。
乙武:ところが、多くのお子さんは親が最低限願う“五体満足で生まれてきてくれたら”という願いを満たしてせっかく生まれて来ているのに、「勉強ができない」とか、「他の子と比べて出来ない」という風に、減点主義で育ててしまってることが多いから、どうしても自己肯定感が育みにくいんじゃないのかなと、母が話していたんですけれども。
そういった意味で、私の場合は何か出来る度に「よく出来るようになったね!」と、褒めて育ててもらえたというのは、非常に大きかったのかなと思います。
茂木:今の話は本当に大事だと思うんですけど、子供の時は義足が嫌だったんですよね?
車椅子で十分移動もできるし、その時は義足を使わない生活を選ばれたわけじゃないですか。この姿で普通学級に行って、ずっと歩まれてきたわけですよね?
乙武:はい、そうですね。
茂木:その中で、今回あえて「義足プロジェクト」に向き合ったというのはどんな思いからなんですか?
乙武:実は「乙武さんも、実はやっぱり歩きたいっていう思いがあったんですね」と、誤解をされることが多いんですけれども。
正直なところを言うと、私自身、“歩きたい”という思いをそんなに抱いてきたわけではなかったし、今、一生懸命トレーニングしていますけども、このプロジェクトがある程度成功して、私がその義足を使いこなせるようになったとしても、おそらく私の生活のベースは電動車椅子のままだと思うんです。
茂木:使いこなしてらっしゃるし、便利なわけですもんね。
乙武:そうなんですよ。3歳の頃から、40年間これで生活をしているので、ハードなトレーニングを積んで義足で歩けるようになりたいとは
正直思わないんですよね。
茂木:自己肯定感と仰いましたけど、この車椅子での生活が完全に馴染んでいらっしゃいますもんね。
乙武:そうですね。本当にこれが私の足代わりとして一心同体で生活してきたので。
自分からは、“二本足で歩けるようになりたい”とは、思わなかったんですね。
茂木:乙武さんがやられている、「乙武義足プロジェクト」。
大切なプロジェクトだと思うんですけど、子供の時には義足が嫌だったわけですよね? その中で、今回あえて「乙武義足プロジェクト」をされているんですか?
乙武:今回プロジェクトのリーダーである遠藤健さんが私に声をかけてくださいました。
これまでの技術では、私が子供の頃難しかったように、両足とも膝から上が全部無いという方が義足で歩けるようになるというのは、ちょっと難しかったんです。
それが、彼が開発した最新式のモーターを組み込むことによって、両膝が無い方でも歩けるようになるかもしれないと、そういう技術が生まれてきたわけなんです。
私は生まれつきの障害なので、自分の足で歩けるようになりたい、という思いはないけれども。やはり中途障害で、事故や病気で途中で足を失った方は、“もう一度自分の足で歩きたい”という思いを抱いている方が非常に多くいらっしゃると。
そういう方々に、こういう新しい技術、新しいロボット義足が出てきましたよと、広く伝えていくには、やっぱり乙武さんのような名前の知られた方が取り組んでくださるということが大事なので、ぜひ力を貸してくださいと言っていただきました。
茂木:遠藤さんはMITで研究されていて、その時の先生が「障害っていうのは技術が足りないからだ」というようなお考えなんてすよね。
乙武:そうですね。ヒュー・ハー教授という方で、ご自身も両足のない方なんですね。
すごくユーモアのある方らしくて、健常者の年学生たちに対して「お前らの足は年々歳をとって老化していくだろ? 俺の足は年々進化していくんだ」と仰るくらい、ユーモアのある方らしいんですけれども。
世の中にある障害というのは、その人が抱えているんじゃなくて、まだそれを補うためのテクノロジーが生まれていないだけなんだ、ということを定義されているんですね。
遠藤さんも、ハー教授のお考えに強く共鳴をしていて、スタスタと歩けるような義足が開発されれば、“足がない”ということが障害にならない。
目が悪い方が眼鏡をかければ障害者じゃなくなるように、足が無い方も義足をつけることで障害者じゃなくなる、そういう未来を築きたいという思いに私も賛同させていただいて、今回のプロジェクトに参加させていただきました。
●『乙武洋匡さんーTwitter』
●四肢奮迅/ 乙武洋匡
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