2019年04月20日
今週ゲストにお迎えしたのは、先週に引き続き、10代の若者を中心に絶大な人気を誇るカリスマクリエイター・kemioさんです。
1995年10月16日生まれ。
YouTube、Instagram、Twitterなどを含めてフォロワーは約300万人。
女子中高生はもちろん、最近では大人からの支持も厚く、
高校時代に動画アプリ・Vineで発信した投稿で注目を集め、2016年末には生活拠点をアメリカに移し、今もアメリカをベースに活動されています。
卓越したワードセンスで繰り出す「あげみざわ」などの独特な言葉は、kemio語として親しまれていて、
流行語を生み出し続ける世界規模のスターとして、モデルや発信者、歌手として多岐にわたりご活躍中でいらっしゃいます。
そして、4月18日(木)にKADOKAWAより初のエッセイ本『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』を発売されました。
今週は、kemioさんご自身についてお話を伺いました。
──幸せを分かち合う
茂木:kemioさんの人生を振り返ると、2歳の時にご両親が事故で亡くなってしまったと…。
kemio:そうなんです。2歳で天国のギャルになりました。
この話をするときってなんか悲しいムーディーになるんですね。なんとも思ってないって言ったらすごい申し訳ないことになってしまうんですけど、幼過ぎたので僕は何も覚えていなくて。
祖父母が僕に対して両親のように本気でぶつかって育ててくれたので、悲しいというよりかは、当時このことを話してもらった時は「そうなんだ〜。理解〜」って思いました。
茂木:バイトしてもらったお金とかをお母さんに見せたりしてたんですよね。
kemio:そうですね。人生で初めてバックダンサーをやってもらったお金は仏壇に添えさせていただきました。
茂木:自分の活躍を見ていてくれてるって今でも思います?
kemio:思います!いつも同じネックレスをしてるのは、母の名前のイニシャルなんですけど、写真とか見ないと顔が思い出せないぐらいなので常に母のことは思っています。
茂木:お母さんも喜んでくださっていると思うんですけど、おじいさんおばあさんに育てられたということで、子供の頃は「仮面ライダー」よりかは「おジャ魔女どれみ」が好きだったと。カラフルな方が好きだったんですかね?
kemio:そうですね。「おジャ魔女どれみ」とか、ディズニーとか、ファンタジーなものに食いついてました。
茂木:そんなkemioさんの本は、人にハッピーを与えるような仕事をしたいっていうメッセージで溢れていますよね。
kemio:やっぱり目立つことがすごく大好きで、幼稚園の頃は白雪姫で主役をやりたいって言ったりとか…。
茂木:実際に白雪姫やったんですか?
kemio:さすがにそれはちょっとキツイということになって、園長先生から魔女に回っていただけないかということ言われて、魔女も主役も変わらなくない?って思ったので魔女を担当しました。
茂木:でも、本当はスノーホワイトをやりたかったんだ。
ハリウッドでスノーホワイトやります。主役オーディション受けますかって言われたら絶対やる?
kemio:はい!白雪姫に限らず、なんでも!
茂木:ジェンダーとか関係なくキャスティングする時代ですもんね。
Vineでブレイクされたkemioさんですけど、SNSデビューは少し遅かったんですか?
kemio:遅かったです。僕がデビューしたのは高校生ぐらいです。僕の中学生ぐらいの世代ってTwitterがまだ主流ではなかったので、自分のリアルタイムのことを載せる「リアルなう」っていうのが流行ってたんですけど、そういうのもできなくて。
僕は高校生ぐらいになって携帯をゲットした時はTwitterが始まってましたね。
茂木:Vineでブレイクしたときはどんな感じでした?
kemio:最初は通知が来すぎて携帯発火コースって思ったんですけど、それはなんとか免れて…(笑)。でもすごくびっくりしました!
茂木:kemioさんの人生の中でかなり画期的なことだったんだと思うんですよ。自分が人から注目される存在だっていう自覚はあったんですか?
kemio:なかったですね。携帯上の数では見れますけど実際はよくわかってなかったんです。当時原宿にめちゃくちゃ遊びに通ってたんですけど、原宿に出掛けて街の方に声をかけていただくと、知らない人が私を知ってるっていうのはすごい驚きました。
茂木:今の時代、SNSってすごく大事じゃないですか。自分もインフルエンサーになりたいっていう人いると思うんだけど、kemioさんからアドバイスとかってありますか?
kemio:インフルエンサーになりたいって思っちゃダメだと思います。僕はそう思いますね。
僕自身もインフルエンサーって言われることがあるんですけど、よくわかってないんですよね。何をInfluenceしてるの?って思う時があって。
茂木:自分の意識としてはどんな感じなんですか?
kemio:kemioでいるっていう感じですね。自分の好きなことをみなさんにシェアハピしているっていう感覚ですね。
もし、インターネットとかYouTubeをやりたいという方がいらっしゃるんだったら、本当に純粋な気持ちで自分の好きな事を皆さんと分かち合いたいって気持ちでいいんじゃないかなって思います。
茂木:kemioさんは人にハッピーを与えるような、広い意味でのエンターテイメントですよね。
そういう仕事をしたいということで、エンタメの本場アメリカに行かれたということで。
kemio:バビューンと引っ越しました!
茂木:今はどんな生活をされているんですか?
kemio:アメリカに引っ越して2年と半分ぐらい経ったんですけど、去年の12月ぐらいまでは学校に通ってましたね。今年から学校にはもう行ってなくて、向こうでモデルの活動をしたり、エージェントも契約しました。
茂木:エージェントは、どういうところに売り込んでくれてるんですか?
kemio:今はファッションが多いですかね。エージェントを見つけるのもめちゃくちゃ時間かかったんですけど、いい人に巡り会えました。
あと、アメリカと日本って芸能の体制が違うなって思うところがあって。
日本って事務所に入ると全てやってくださるじゃないですか。マネージャーさんやヘアメイクさんもつくし…。でも、アメリカの場合ってマネージャーさんは事務所とは別に自分で探してこなきゃいけないし、自分でチームを作るような感覚なんですよ。
茂木:クリエーターの自主性が問われると。
kemio:そうですね。だから意見の反映というか、自分のやりたいことはすぐ反映できるっていうところはあるのかなと思います。
茂木:今はどういうことをしたいですか?
kemio:正直、やりたい事はいっぱいあるんです!でも、最終的にどこに着地するかどうかは分かっていなくて。
ずっと思っているのは、kemioが、kemioにしかできないことをやっていきたいなと思ってます。
もっと具体的に言うと、エンターテイメントの仕事をやりたくてアメリカに引っ越したので、小さい頃に憧れた海外ドラマに出たりとか、そういうのは考えてますね。
茂木:アメリカに住んでみて、実際いかがですか?
kemio:楽しいですね!サバイバルしてるっていう間隔はあります。
色んな事が2年半でありましたし、泥棒入られたこともあれば友達と金銭面で喧嘩したりとか…。色んなことがあって、英語よりも目に見えない部分で成長したんじゃないかなって思います。
アメリカに引っ越して思ったのは、日本人であることをより誇りに思いましたし、色んなところから挑戦しに来てる人がいる中で、僕はこうならなきゃというよりかは「私は日本人で、日本で生まれた私」っていう感じの考えにはなりましたね。
茂木:この番組は夢がテーマになっているんですけど、今回出されたエッセイ本『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』 という意味でいうと、これからのkemioさんのランウェイってどんなものなんですかね?
kemio:やっぱり、常に戦い続けていきたいですね。
ネガティブなことともうまく付き合いながら、中指立てつつ前進みたいな感じでいきたいです。
●kemio - YouTube
●kemio (@mmkemio) Twitter
●kemioさん(@mmkemio) • Instagram
●ウチら棺桶まで永遠のランウェイ / kemio (著)
(Amazon)
1995年10月16日生まれ。
YouTube、Instagram、Twitterなどを含めてフォロワーは約300万人。
女子中高生はもちろん、最近では大人からの支持も厚く、
高校時代に動画アプリ・Vineで発信した投稿で注目を集め、2016年末には生活拠点をアメリカに移し、今もアメリカをベースに活動されています。
卓越したワードセンスで繰り出す「あげみざわ」などの独特な言葉は、kemio語として親しまれていて、
流行語を生み出し続ける世界規模のスターとして、モデルや発信者、歌手として多岐にわたりご活躍中でいらっしゃいます。
そして、4月18日(木)にKADOKAWAより初のエッセイ本『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』を発売されました。
今週は、kemioさんご自身についてお話を伺いました。
──幸せを分かち合う
茂木:kemioさんの人生を振り返ると、2歳の時にご両親が事故で亡くなってしまったと…。
kemio:そうなんです。2歳で天国のギャルになりました。
この話をするときってなんか悲しいムーディーになるんですね。なんとも思ってないって言ったらすごい申し訳ないことになってしまうんですけど、幼過ぎたので僕は何も覚えていなくて。
祖父母が僕に対して両親のように本気でぶつかって育ててくれたので、悲しいというよりかは、当時このことを話してもらった時は「そうなんだ〜。理解〜」って思いました。
茂木:バイトしてもらったお金とかをお母さんに見せたりしてたんですよね。
kemio:そうですね。人生で初めてバックダンサーをやってもらったお金は仏壇に添えさせていただきました。
茂木:自分の活躍を見ていてくれてるって今でも思います?
kemio:思います!いつも同じネックレスをしてるのは、母の名前のイニシャルなんですけど、写真とか見ないと顔が思い出せないぐらいなので常に母のことは思っています。
茂木:お母さんも喜んでくださっていると思うんですけど、おじいさんおばあさんに育てられたということで、子供の頃は「仮面ライダー」よりかは「おジャ魔女どれみ」が好きだったと。カラフルな方が好きだったんですかね?
kemio:そうですね。「おジャ魔女どれみ」とか、ディズニーとか、ファンタジーなものに食いついてました。
茂木:そんなkemioさんの本は、人にハッピーを与えるような仕事をしたいっていうメッセージで溢れていますよね。
kemio:やっぱり目立つことがすごく大好きで、幼稚園の頃は白雪姫で主役をやりたいって言ったりとか…。
茂木:実際に白雪姫やったんですか?
kemio:さすがにそれはちょっとキツイということになって、園長先生から魔女に回っていただけないかということ言われて、魔女も主役も変わらなくない?って思ったので魔女を担当しました。
茂木:でも、本当はスノーホワイトをやりたかったんだ。
ハリウッドでスノーホワイトやります。主役オーディション受けますかって言われたら絶対やる?
kemio:はい!白雪姫に限らず、なんでも!
茂木:ジェンダーとか関係なくキャスティングする時代ですもんね。
Vineでブレイクされたkemioさんですけど、SNSデビューは少し遅かったんですか?
kemio:遅かったです。僕がデビューしたのは高校生ぐらいです。僕の中学生ぐらいの世代ってTwitterがまだ主流ではなかったので、自分のリアルタイムのことを載せる「リアルなう」っていうのが流行ってたんですけど、そういうのもできなくて。
僕は高校生ぐらいになって携帯をゲットした時はTwitterが始まってましたね。
茂木:Vineでブレイクしたときはどんな感じでした?
kemio:最初は通知が来すぎて携帯発火コースって思ったんですけど、それはなんとか免れて…(笑)。でもすごくびっくりしました!
茂木:kemioさんの人生の中でかなり画期的なことだったんだと思うんですよ。自分が人から注目される存在だっていう自覚はあったんですか?
kemio:なかったですね。携帯上の数では見れますけど実際はよくわかってなかったんです。当時原宿にめちゃくちゃ遊びに通ってたんですけど、原宿に出掛けて街の方に声をかけていただくと、知らない人が私を知ってるっていうのはすごい驚きました。
茂木:今の時代、SNSってすごく大事じゃないですか。自分もインフルエンサーになりたいっていう人いると思うんだけど、kemioさんからアドバイスとかってありますか?
kemio:インフルエンサーになりたいって思っちゃダメだと思います。僕はそう思いますね。
僕自身もインフルエンサーって言われることがあるんですけど、よくわかってないんですよね。何をInfluenceしてるの?って思う時があって。
茂木:自分の意識としてはどんな感じなんですか?
kemio:kemioでいるっていう感じですね。自分の好きなことをみなさんにシェアハピしているっていう感覚ですね。
もし、インターネットとかYouTubeをやりたいという方がいらっしゃるんだったら、本当に純粋な気持ちで自分の好きな事を皆さんと分かち合いたいって気持ちでいいんじゃないかなって思います。
茂木:kemioさんは人にハッピーを与えるような、広い意味でのエンターテイメントですよね。
そういう仕事をしたいということで、エンタメの本場アメリカに行かれたということで。
kemio:バビューンと引っ越しました!
茂木:今はどんな生活をされているんですか?
kemio:アメリカに引っ越して2年と半分ぐらい経ったんですけど、去年の12月ぐらいまでは学校に通ってましたね。今年から学校にはもう行ってなくて、向こうでモデルの活動をしたり、エージェントも契約しました。
茂木:エージェントは、どういうところに売り込んでくれてるんですか?
kemio:今はファッションが多いですかね。エージェントを見つけるのもめちゃくちゃ時間かかったんですけど、いい人に巡り会えました。
あと、アメリカと日本って芸能の体制が違うなって思うところがあって。
日本って事務所に入ると全てやってくださるじゃないですか。マネージャーさんやヘアメイクさんもつくし…。でも、アメリカの場合ってマネージャーさんは事務所とは別に自分で探してこなきゃいけないし、自分でチームを作るような感覚なんですよ。
茂木:クリエーターの自主性が問われると。
kemio:そうですね。だから意見の反映というか、自分のやりたいことはすぐ反映できるっていうところはあるのかなと思います。
茂木:今はどういうことをしたいですか?
kemio:正直、やりたい事はいっぱいあるんです!でも、最終的にどこに着地するかどうかは分かっていなくて。
ずっと思っているのは、kemioが、kemioにしかできないことをやっていきたいなと思ってます。
もっと具体的に言うと、エンターテイメントの仕事をやりたくてアメリカに引っ越したので、小さい頃に憧れた海外ドラマに出たりとか、そういうのは考えてますね。
茂木:アメリカに住んでみて、実際いかがですか?
kemio:楽しいですね!サバイバルしてるっていう間隔はあります。
色んな事が2年半でありましたし、泥棒入られたこともあれば友達と金銭面で喧嘩したりとか…。色んなことがあって、英語よりも目に見えない部分で成長したんじゃないかなって思います。
アメリカに引っ越して思ったのは、日本人であることをより誇りに思いましたし、色んなところから挑戦しに来てる人がいる中で、僕はこうならなきゃというよりかは「私は日本人で、日本で生まれた私」っていう感じの考えにはなりましたね。
茂木:この番組は夢がテーマになっているんですけど、今回出されたエッセイ本『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』 という意味でいうと、これからのkemioさんのランウェイってどんなものなんですかね?
kemio:やっぱり、常に戦い続けていきたいですね。
ネガティブなことともうまく付き合いながら、中指立てつつ前進みたいな感じでいきたいです。
●kemio - YouTube
●kemio (@mmkemio) Twitter
●kemioさん(@mmkemio) • Instagram
●ウチら棺桶まで永遠のランウェイ / kemio (著)
(Amazon)